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	<title>アラエス &#187; 市民社会</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>ヘーゲルについて　－弁証法－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1648</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1648#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 21:31:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[宮下]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[西洋思想]]></category>
		<category><![CDATA[ドイツ観念論]]></category>
		<category><![CDATA[ヘーゲル]]></category>
		<category><![CDATA[人倫]]></category>
		<category><![CDATA[国家]]></category>
		<category><![CDATA[家族]]></category>
		<category><![CDATA[市民社会]]></category>
		<category><![CDATA[弁証法]]></category>
		<category><![CDATA[精神]]></category>
		<category><![CDATA[自由]]></category>

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		<description><![CDATA[ヘーゲルについて考えてみます &#160; &#160; ・ヘーゲルについて &#160; &#160; 　・ヘーゲルは、ドイツ観念論を完成させたと言われていて、 　　「精神現象学」や「法の哲学」を書いた &#160;  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1648">ヘーゲルについて　－弁証法－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ヘーゲルについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ヘーゲルについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヘーゲルは、ドイツ観念論を完成させたと言われていて、</p>
<p>　　「精神現象学」や「法の哲学」を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ヘーゲルの考え方</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ヘーゲルは、カントの「人間の心の面の自律に頼る」という考え方を批判した</p>
<p>　　　→ヘーゲルは、理性や自由は現実の社会の中で法律や制度として</p>
<p>　　　　具体的になったものであると考えた</p>
<p>　　　　＝この法律や制度は歴史を通して、どんどん変わっていき、</p>
<p>　　　　　その変わる過程で弁証法が使われているということがわかった</p>
<p>　</p>
<p>　　　※弁証法・・お互いの立場を生かしつつ、お互いの対立を解消し、</p>
<p>　　　　　　　　　より高い立場を目指すこと</p>
<p>　　　　　　　　　例：Ａがあり、Ａに対抗するものとしてＢがある。</p>
<p>　　　　　　　　　　　ＡとＢの良いところを取って合わせたらＣができる。</p>
<p>　　　　　　　　　　　今度はＣに対抗するものとしてＤがある。</p>
<p>　　　　　　　　　　　ＣとＤの良いところを取って合わせたらＥができる</p>
<p>　　　　　　　　　　　・・というような考え方を法律や制度に当てはめて法律や制度を</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　どんどん高めていく</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ヘーゲルは、弁証法の根本が「精神」であると考えた</p>
<p>　　　→精神が、自由な人間の活動を使って、本当の自由を実現していく過程を</p>
<p>　　　　歴史であると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・ヘーゲルが考える「人倫」について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ヘーゲルは、法律は社会を維持し、個人の自由を保障するものかもしれないが、</p>
<p>　　　カントの適法性の考えのように、人間の行動は法律に適しているだけでは</p>
<p>　　　道徳的ではないと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ヘーゲルは、道徳は個人の気持ちの問題かもしれないが、</p>
<p>　　　人々の自由は個人の良心的な行動だけでは実現できないと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↓</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・そこでヘーゲルは、弁証法を使う立場に立って、</p>
<p>　　　法律と道徳がお互いに生かされた状態が大切だと考えた</p>
<p>　　　＝そのような状態を人倫だとした</p>
<p>　　　　→そのため、自由は人倫によって実現できると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・ヘーゲルの「人倫」に対する具体的な考え</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ヘーゲルは人倫は、家族・市民社会・国家の３つの段階によって成り立つと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・家族・・夫婦や親子など、自然な愛情によって作られている共同体</p>
<p>　　　・市民社会・・家族から独立した個人が自由に自分の利益を追求する</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※しかし、実際は「欲望の体系」となって家族も市民社会も崩れる可能性がある</p>
<p>　　　　→そこで、家族と市民社会をまとめていく存在として、</p>
<p>　　　　　家族も市民社会も含まれている国家が重要となる</p>
<p>　　　　→よって、国家の中では家族も市民社会もお互いに生かされるようになり、</p>
<p>　　　　　本当の「自由」が作られると考えた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1648">ヘーゲルについて　－弁証法－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>近代化の２つのパターン　－「上からの道」と「下からの道」という視点－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/556</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/556#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 02 Sep 2013 06:25:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[赤長のいちご]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[政治・経済全般]]></category>
		<category><![CDATA[原子化]]></category>
		<category><![CDATA[市民社会]]></category>
		<category><![CDATA[民主化]]></category>
		<category><![CDATA[私化]]></category>
		<category><![CDATA[自立化]]></category>
		<category><![CDATA[規範的正義]]></category>
		<category><![CDATA[近代化]]></category>
		<category><![CDATA[近代国家]]></category>
		<category><![CDATA[遅塚忠躬]]></category>
		<category><![CDATA[革命]]></category>

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		<description><![CDATA[近代化には２つのパターン、すなわち「上からの道」と「下からの道」があります。「下からの道」とは、共通の項目である自由と平等を確立するために第三身分と農民、民衆とが広範に連携して行動し、自らの手で自由・平等・友愛からなる人 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/556">近代化の２つのパターン　－「上からの道」と「下からの道」という視点－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>近代化には２つのパターン、すなわち「上からの道」と「下からの道」があります。「下からの道」とは、共通の項目である自由と平等を確立するために第三身分と農民、民衆とが広範に連携して行動し、自らの手で自由・平等・友愛からなる人間関係を前提とする市民社会を獲得した革命です。具体的にはフランス革命やイギリス市民革命が挙げられます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　一方の「上からの道」とは、近代体制をもちながらも、自由・平等・友愛からなる人間関係をベースとする理念型としての市民社会をもたない、ブルジョア社会を維持・支えるものとしての「近代国家」体制のことです。具体的な国としてはドイツや日本が挙げられます。ドイツや日本においては、遅塚が指摘するように、「上からの改革」であったので、市民社会成立の諸条件、すなわち①社団の保護を失った裸の個人に基本的人権を保障すること、②主権を君主から国民に移転させること、が与えられず、市民社会が成立したとは言い難かったのです。とはいえ、20世紀末までには、日本の戦後改革やEUの成立・拡大にみられるように、前述の①、②を満たす市民社会が成立していった点も見逃すべきではないと言えます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　近代化をめぐるなかで、市民社会理念を外から導入した「上からの道」と、内側から自生的に市民社会を獲得した「下からの道」のいずれにしても、国家を民主化するという規範的な目標を達成したという意味では、近代市民社会成立に大きな意義があったと言えます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　「上からの道」「下からの道」いずれにしても、迫りくる近代にどう対応するかに応じていくつかの個人と社会のあり方についてのパターンを認めることができます。「下からの道」で言えば、まず自分の中に規範をもち、それをアウトプットしていくことで多様性の中で合意形成が得られる「自立化」が立ち現れます。この過程で「民主化」に向かいます。「民主化」はみんなで力を合わせて社会を変えていこうということで討議、討論が深まります。すなわち討議民主主義へとつながりやすいので、市民社会の国家を越えたユニバーサルな彫琢の可能性が高まります。他方の「上からの道」は、自分の心の中に生きるモットーをつくることにとどまり、それをアウトプットするという過程がない「私化」です。また、「原子化」はそもそも自分の心の中に生きるモットーをつくれないので、何かに扇動されやすいのです。すなわち、シュミットの主張する喝采の民主主義へと向かいやすいので、市民社会の国家を越えたユニバーサルな彫琢の可能性は高くはありません。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>「上からの道」「下からの道」いずれにしても、社会の近代化から現代化は、伝統的な社会の紐帯を断ち切るだけでなく、階層的、階級的構成さえも絶えず変化させるために様々な点で多元化し、場合によっては「集団の噴出状況」を招きます。こうした噴出状況をどのようにまとめ、連帯の絆としての市民社会の国家を越えたユニバーサルなつながりを作る可能性が高いものとしては、自立化を前提として討議、討論を重ねることで規範的正義を獲得していくことであると考えられます。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>参考資料</p>
<p>・遅塚忠躬『市民社会の歴史的形成』</p>
<p>・ジョン・ロールズ『正義論』</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/556">近代化の２つのパターン　－「上からの道」と「下からの道」という視点－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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