近代化の2つのパターン -「上からの道」と「下からの道」という視点-
近代化には2つのパターン、すなわち「上からの道」と「下からの道」があります。「下からの道」とは、共通の項目である自由と平等を確立するために第三身分と農民、民衆とが広範に連携して行動し、自らの手で自由・平等・友愛からなる人間関係を前提とする市民社会を獲得した革命です。具体的にはフランス革命やイギリス市民革命が挙げられます。
一方の「上からの道」とは、近代体制をもちながらも、自由・平等・友愛からなる人間関係をベースとする理念型としての市民社会をもたない、ブルジョア社会を維持・支えるものとしての「近代国家」体制のことです。具体的な国としてはドイツや日本が挙げられます。ドイツや日本においては、遅塚が指摘するように、「上からの改革」であったので、市民社会成立の諸条件、すなわち①社団の保護を失った裸の個人に基本的人権を保障すること、②主権を君主から国民に移転させること、が与えられず、市民社会が成立したとは言い難かったのです。とはいえ、20世紀末までには、日本の戦後改革やEUの成立・拡大にみられるように、前述の①、②を満たす市民社会が成立していった点も見逃すべきではないと言えます。
近代化をめぐるなかで、市民社会理念を外から導入した「上からの道」と、内側から自生的に市民社会を獲得した「下からの道」のいずれにしても、国家を民主化するという規範的な目標を達成したという意味では、近代市民社会成立に大きな意義があったと言えます。
「上からの道」「下からの道」いずれにしても、迫りくる近代にどう対応するかに応じていくつかの個人と社会のあり方についてのパターンを認めることができます。「下からの道」で言えば、まず自分の中に規範をもち、それをアウトプットしていくことで多様性の中で合意形成が得られる「自立化」が立ち現れます。この過程で「民主化」に向かいます。「民主化」はみんなで力を合わせて社会を変えていこうということで討議、討論が深まります。すなわち討議民主主義へとつながりやすいので、市民社会の国家を越えたユニバーサルな彫琢の可能性が高まります。他方の「上からの道」は、自分の心の中に生きるモットーをつくることにとどまり、それをアウトプットするという過程がない「私化」です。また、「原子化」はそもそも自分の心の中に生きるモットーをつくれないので、何かに扇動されやすいのです。すなわち、シュミットの主張する喝采の民主主義へと向かいやすいので、市民社会の国家を越えたユニバーサルな彫琢の可能性は高くはありません。
「上からの道」「下からの道」いずれにしても、社会の近代化から現代化は、伝統的な社会の紐帯を断ち切るだけでなく、階層的、階級的構成さえも絶えず変化させるために様々な点で多元化し、場合によっては「集団の噴出状況」を招きます。こうした噴出状況をどのようにまとめ、連帯の絆としての市民社会の国家を越えたユニバーサルなつながりを作る可能性が高いものとしては、自立化を前提として討議、討論を重ねることで規範的正義を獲得していくことであると考えられます。
参考資料
・遅塚忠躬『市民社会の歴史的形成』
・ジョン・ロールズ『正義論』