大正時代の都市化と人々の生活の変化について
大正時代の都市化と人々の生活の変化について考えてみます
・当時の都市化について
※大正から昭和初期の文化の特徴は、大衆文化が出来て発達したことだと言われている
・第一次世界大戦の後に、工業化が進んだことを背景に、
都市化や社会の大衆化などがはっきりと表れるようになった
・日露戦争後の1907年に、学校に行く率が97%を超えた
・中学校の生徒の数がものすごく増えた
・高等教育機関が増えた
※原敬内閣の時に、1918年に高等学校令という法律が作られて、
高等学校が増やされた
→さらに、1918年に大学令という法律が作られて、帝国大学だけでなく、
公立・私立・単科大学なども認められるようになった
・都市を中心に高学歴の人(インテリ)が増えてきた
→そのため、事務の系統で働く給与生活者(サラリーマン)が大量に出てきた
・女性は、タイピストや電話交換手などの仕事で活躍するようになった
→このような女性は、職業婦人と呼ばれるようになった
・サラリーマンや職業婦人などが楽しむ文化として、新聞、雑誌、映画、ラジオの
マスメディアが出てきた
→このようにして、一部の上流階級の人達だけでなく、
労働者やサラリーマンなどの一般労働者(大衆)が楽しむ文化が出てきた
=この文化を大衆文化という
・当時の大衆文化の様子について
・新聞や雑誌の発行部数が爆発的に伸びた
※当時の新聞や雑誌の動向について
・大正時代の終わりに、「大阪毎日新聞」や「大阪朝日新聞」などの新聞が
発行部数100万部を超えるようになった
・「中央公論」や「改造」などの総合雑誌(様々な分野のことが書いてある雑誌)が
発展した
・昭和初期に、円本(シリーズになっている本が1冊1円で売られている本)や
岩波文庫が出てきた
→これらの本は大量出版や低価格の先駆けだと言われている
・大衆娯楽雑誌の「キング」という雑誌が、発行部数で100万部を超えるようになった
・1918年に「赤い鳥」という雑誌を出したことで、児童文学のブームが起きた
・上のような活字の文化に加えて、1925年に東京、大坂、名古屋でラジオ放送が始まった
→次の年の1926年に、東京、大坂、名古屋のそれぞれの放送局が組み合わさって、
日本放送協会(NHK)が作られた
・ラジオ劇やスポーツ実況などが人気になり、ラジオの放送網が全国にまで拡大した
※当時人気だったスポーツ実況に、以下のようなものがある
・1915年に始まった全国中等学校優勝野球大会
・1925年に始まった東京六大学野球 など
・当時、映画が出てきたが、映画は最初は活動写真と呼ばれていた
※最初の方は、無声映画を弁士という人が解説していたものを上映していた
・大正時代に、大衆娯楽の一つとして観客数が増えた
※この時に、日活や松竹などと呼ばれる映画会社が国産映画を作るようになっていった
・1930年代に、トーキー(有声映画)が作られて、上映されるようになった
・当時の人々の生活の変化にについて
・都市を中心にして、人々の生活スタイルが変わり、洋風化や近代化を遂げたと言われている
・洋服が普及した
・トンカツやカレーライスなどが入ってきて、食生活が洋風に変わっていった
・都心で鉄筋コンクリートを使った建物が作られるようになった
※一方で、都心以外の地域では、中流階級の人達の間で和洋折衷の
文化住宅という住宅が流行った
・農村部も含めて一般家庭で電灯が普及した
・都市では、ガスや水道を供給する事業が本格的に始まった
※ただし、大衆文化の普及や生活様式の洋風化・近代化は農村には十分に普及しなかった
→そのため、都市と農村との文化的な格差は残ったままの状態だった
ポイント
・当時の都市化について押さえる
・当時の大衆文化の様子について押さえる
・当時の人々の生活の変化にについて押さえる
このあたりが今回のポイントです
コメント
素晴らしい人間
まえばまだ抜けない