大正時代の学問と芸術について
大正時代の学問と芸術について考えてみます
・大正時代の学問について
※当時は、様々な学問や文学が欧米から入ってきたが、
その中でも知識人に大きな影響力を持っていたのがマルクス主義という考え方だった
→マルクス主義は、学問の研究の方法にも、影響を与えたと言われている
※マルクス主義・・マルクスとエンゲルスという人が考えた理論や活動のこと
→マルクス主義については、以下のようなことがあった
・河上肇という人が「貧乏物語」という本以降、マルクス経済学を紹介した
・野呂栄太郎、羽仁五郎、山田盛太郎などによって、
「日本資本主義発達史講座」というのが編集や出版がされた
・大正時代の自然科学と人文・社会科学の分野について
・自然科学では、第一次世界大戦の時に染料や薬品などの輸入が途絶えた
→日本は、これをきっかけに自然科学で独自の研究が始まるようになった
※この時に、以下のようなことが起きている
・理科学研究所などの施設が作られた
・野口英世という人が黄熱病を研究した
・本田光太郎という人がKS磁石鋼を研究した
・人文・社会科学では、日本独自の学問的な結果を残すようになっていった
※代表的な功績について
・西田幾多郎という人が「善の研究」という本を書いて、
自分なりの哲学のスタイルを作った
・津田左右吉という人が「古事記」や「日本書紀」を科学的に分析した
・柳田国男という人が民族学という無名の民衆(常民)の生活の歴史を
研究する学問を作った
・大正時代の文学について
・文学では、自然主義が衰退していく中で、森鴎外や夏目漱石などを中心に
新しい作家が出てきた
※当時、どのような文学が出てきたのか
・人道主義や理想主義という考え方を提唱する「白樺」という雑誌を中心に、
都会的な感覚とヨーロッパ的な教養を得た、有島武郎、志賀直哉、武者小路実篤
などの人達が出てきた
=この人達を白樺派という
・永井荷風、谷崎潤一郎、芥川龍之介、菊池寛などの人達が出てきた
=この人達を新思潮派という
・横光利一、川端康成などの人達が出てきた
=この人達を新感覚派という
・新聞や大衆雑誌などによって、大衆小説が読まれるようになった
→当時は、中里介山という人の「大菩薩峠」という小説をきっかけに、
吉川英治や大佛次郎などの時代小説、江戸川乱歩などの探偵小説などが人気だった
・大正時代の終わりから昭和の初めまで、社会主義運動や労働運動が
活発になったことが後押しをして、プロレタリア文学運動が出てきた
→その時に、以下のような文学が出てきた
・「種蒔く人」や「戦旗」などの機関誌が出てきた
→これらの機関誌は、労働者(プロレタリア)の生活に注目して
階級闘争について触れた作品を載せていた
・小林多喜二という人が「蟹工船」という作品を作った
・徳永直という人が「太陽のない街」という作品を作った
・大正時代の演劇、音楽と美術について
・演劇の分野では、1924年に小山内薫や土方与志などが
築地小劇場という劇場を作った
→この劇場が新劇運動という運動の中心になったと言われている
※新劇運動は、知識人層の人達に大きな影響を与えた
・音楽の分野では、洋楽が著しく発展していった
→そのため、小学校の唱歌と一緒に、童謡が成長していった
※この時に、山田耕作という人が交響曲の作曲や演奏を行った
・美術の分野では、文展に対抗する形で二科会や春陽会などの団体が作られた
→これらの団体は洋画を推進する形で作られた
※岸田劉生、安井曽太郎、梅原竜三郎などが当時活躍した
・日本画の分野では、横山大観という人などが日本美術院を復活させて、院展を行った
ポイント
・当時の学問を押さえる
・大正時代のの自然科学と人文・社会科学の分野について
・大正時代の文学について押さえる
・大正時代の演劇、音楽と美術について
このあたりが今回のポイントです