大正時代の様々な社会運動について

閲覧数:5,006
投稿者:       投稿日時:2013/10/28 13:35      
(まだ評価されていません。)
コメント数: 0       お気に入り登録数:5

LINEで送る
Pocket

様々な社会運動について考えてみます

 

 

・なぜ、社会運動が起きるようになったのか

 

 

 ・第一次世界大戦は、総力戦の戦争だと言われるようになった

  ※総力戦・・国民全員を動かし、資源や生産力など全てを使う戦争のこと

 

  →そのため、総力戦だったらと、戦時中から戦後にかけて戦争に参加した国では

   民主主義を求める声が増えた

 

  ※日本でも、ロシア革命や米騒動などをきっかけにして社会運動が起きるようになった

 

 

 

 

 

・日本の社会運動の様子について

 

 

 ・第一次世界大戦の時に産業が急激に発展していったため、

  労働者が大量に増えると同時に、物価も大きく上昇していった

  →そのため、賃金を上げてもらうことを要求するしかなかく、

   労働争議がものすごく増えた

 

 

 ・1912年に、労働者の地位の向上と労働組合の育成を目的に、

  鈴木文治という人が友愛会という団体を作った

  →友愛会は、1919年に大日本労働総同盟友愛会という名前に変えた

  →友愛会は、1920年に第1回メーデーを開催した

  →友愛会は、1921年に日本労働総同盟という名前に変えた

   ※この時に、労働者が資本家と仲良くなろうとする考え方から、

    資本家と戦う考え方に変えた

 

  →友愛会は、第一次世界大戦の後の不況の状況での労働運動を

   引っ張っていったと言われている

 

 

 ・この時期から農村で、小作料の減免を求めて、小作人が小作争議

  という争いをたくさん起こした

  →その後、1922年に杉山元治郎や賀川豊彦などによって、

   日本農民組合という組合が作られた

   ※日本農民組合・・各地にある小作人の組合の全国的な組織のこと

 

 

 

 ・一方で、民本主義を提唱する吉野作造は、1918年に黎明会という団体を作った

  →この時に吉野作造は、時代の流れは平和や協調にあると考えて、

   多くの知識人などに影響を与えた

 

 ・吉野作造の影響を受けた学生は、東大新人会などの団体を作って、

  労働や農民の運動などとの関係を深めていった

 

 

 

 ・この時期に、「冬の時代」と言われていた社会主義者たちが活動を再開した

  →1920年に、労働運動家や学生運動家、様々な社会主義者たちを集めて、

   日本社会主義同盟を作った

   ※しかし、この同盟は次の年の1921年に禁止された

 

 ・社会主義の研究にも制限がかかるようになった

  ※代表的なものに、1920年に東京帝国大学の助教授だった森戸辰男という人が

   クロポトキンという人の研究をしていたことを指摘されて

   休職処分を受けた、ということがあった

 

 

 ・社会主義の内部では、大杉栄という人などの無政府主義と、

  堺利彦という人などの共産主義が対立していた

  →その状況の時にロシア革命が起きたため、ロシア革命の影響によって

   社会運動の中で共産主義の影響力が急激に高まった

 

   ※1922年7月には、堺利彦や山川均という人たちなどによって、

    日本共産党という組織が作られた

    →日本共産党は、コミンテルンという国際組織の支部として作られ、

     違法にも関わらず作られた

 

 

 

 

 

 ・女性解放について

 

  ・女性開放運動は、1911年に平塚らいてうという人などによって

   作られた青鞜社という女性の文学者の団体を作ったことによって始まった

   ※平塚らいてうなどは、この時に「青鞜」という雑誌を作っていた

    →最初は女性の文芸誌だったが、段々と女性問題を専門的に扱う雑誌に

     変わっていった

 

  ・平塚らいてうと市川房江という人などが、1920年に

   新婦人協会(1924年に婦人参政権獲得期成同盟会に変化)という

   団体を作って、女性の地位を高めるための運動を行った

   ※新婦人協会の影響によって、1922年に治安警察法が改正され、

    女性も政治演説会に参加できるようになった

    

  ・山川菊枝や伊藤野枝などの人達によって、赤瀾会という団体が作られた

   →赤瀾会は、社会主義の立場から女性運動を行った

 

 

 

 

 ・被差別部落について

 

  ・被差別部落の住民にある社会的な差別を、政府の政策ではなく、

   自主的に無くしていこうとする運動が起きた

   →この運動は、西光万吉という人などを中心に本格的になり、

    1922年に全国水平社という団体が作られた

 

 

 

 

 ・男性普通選挙権について

 

  ・普選運動(男子普通選挙権を得るための運動)は、

   1919~1920年の時に、世界的にデモクラシーが叫ばれたこともあり、

   友愛会の労働者や学生などを中心にして盛り上がった

 

  ・普通選挙制については、加藤友三郎内閣の時に、

   本格的に取り入れることを検討するようになった

 

  ・1923年に誕生した第2次山本権兵衛内閣は普通選挙制を取り入れることに賛成だった

   →しかし、内閣が出来た直後に起きた関東大震災と虎ノ門事件が原因で、

    第2次山本権兵衛内閣が総辞職をしてしまったため、

    普通選挙を取り入れることが出来なかった

 

    ※虎の門事件とは・・

     ・1923年に、無政府主義者の一人だった難波大助という人が、

      摂政宮裕仁親王(後の昭和天皇)を

      虎ノ門というところの近くで狙撃するという出来事が起きた

     ・摂政宮は難を逃れたものの、難波大助は大逆罪で死刑にさせられる

      という事件が起きた

      =この出来事を虎の門事件という

    

      →内閣は、この責任を取るために総辞職をした

 

 

 

ポイント

・当時の様々な社会主義を押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

閲覧数:5,006
LINEで送る
Pocket


(この記事はまだ評価されていません)
Loading ... Loading ...
投稿者:
投稿日時2013/10/28 13:35

コメント数: 0
お気に入り登録数:5



コメントを残す