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	<title>アラエス &#187; 徴兵制</title>
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		<title>明治維新の時の動きをまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2426</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2426#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 25 Jan 2014 09:02:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代前期]]></category>
		<category><![CDATA[五箇条の御誓文]]></category>
		<category><![CDATA[四民平等]]></category>
		<category><![CDATA[地租改正]]></category>
		<category><![CDATA[学制]]></category>
		<category><![CDATA[富国強兵]]></category>
		<category><![CDATA[廃藩置県]]></category>
		<category><![CDATA[徴兵制]]></category>
		<category><![CDATA[明治維新]]></category>
		<category><![CDATA[殖産興業]]></category>
		<category><![CDATA[版籍奉還]]></category>

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		<description><![CDATA[明治維新の時の動き &#160; &#160; 1868年3月・・京都で五箇条の御誓文（政府の新しい政治方針）を出す ※同時に、五榜の掲示（庶民の守る道）を示した &#160; 1868年に、年号を明治にした 同時に、江 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2426">明治維新の時の動きをまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>明治維新の時の動き</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1868年3月・・京都で<strong>五箇条の御誓文</strong>（政府の新しい政治方針）を出す</p>
<p>※同時に、<strong>五榜の掲示</strong>（庶民の守る道）を示した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1868年に、年号を明治にした</p>
<p>同時に、江戸を<strong>東京</strong>にした</p>
<p>※一緒に、天皇が東京に移動し、政府の役所を東京に集めた</p>
<p>※江戸城を皇居にした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→上のように、いろいろな権力を全て東京に集中させた</p>
<p>※この時に、同時に「藩」という制度を解体しようとした</p>
<p>→そのため1869年に、全国の藩主に領地と領民を天皇に返させた（＝<strong>版籍奉還</strong>）</p>
<p>※ただし、版籍奉還の後も旧藩主がそのまま藩の政治を行ったため、効果はあまりなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→そこで、1871年に政府はすべての藩を廃止して県を置き、代わりに新しく県令（知事）を任命した（＝<strong>廃藩置県</strong>）</p>
<p>※藩は財政難で苦しんでいたところも多かったため、廃藩置県はスムーズに受け入れられた</p>
<p>＝廃藩置県によって、封建制が終了し、全国が政府の直接支配となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>同時に政府は、<strong>四民平等</strong>を提唱し、身分制度を改めた</p>
<p>→この時に、以下のようなことが起きた</p>
<p>・公家や大名を華族、武士を士族、農工商を平民とした</p>
<p>・異なる身分での結婚、居住や職業選択の自由を認めた</p>
<p>・平民が苗字をつけることを認めた</p>
<p>・人身売買を禁止した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※加えて、1871年に解放令によって、えた・ひにんも法律上は平民となったが、古い社会的差別は残っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>＝上記のような、幕末から明治初めにかけて行われた変革が、明治維新だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>明治維新の裏で、政府は欧米の国々が東アジアに勢いをのばしてくることに危機感を抱いた</p>
<p>→そこで、明治政府は日本の近代化を考えて、以下のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・「<strong>富国強兵</strong>」をスローガンに、国力の充実を目指した</p>
<p>・幕府や諸藩が持っていた造船所や鉱山を引き継いだり、新しく官営の製糸場などを作って機械の力で生産を行ったりした（＝<strong>殖産興業</strong>）</p>
<p>・武士中心の軍隊から、西洋的な軍隊にするために<strong>徴兵制</strong>を採用</p>
<p>　→20以上の男子は身分に関係なく兵役（<strong>国民皆兵</strong>）</p>
<p>※徴兵制は、士族の特権否定、庶民への新しい負担、という理由から反発</p>
<p>・<strong>地租改正</strong>の実施（田畑の売買の禁止の撤廃、地券の発行、地価の3％、土地所有権が認められる）</p>
<p>・<strong>学制</strong>の公布（寺子屋がベース）</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2426">明治維新の時の動きをまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>第二次世界大戦の時の人々の生活と社会の様子について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1314</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1314#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 09:24:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[勤労動員]]></category>
		<category><![CDATA[学徒出陣]]></category>
		<category><![CDATA[従軍慰安婦]]></category>
		<category><![CDATA[徴兵制]]></category>
		<category><![CDATA[本土空襲]]></category>
		<category><![CDATA[東京大空襲]]></category>
		<category><![CDATA[第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[総合切符制]]></category>
		<category><![CDATA[集団疎開]]></category>

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		<description><![CDATA[第二次世界大戦の時の人々の生活と社会の様子について考えてみます &#160; &#160; ・第二次世界大戦の時の人々の生活と社会の様子について &#160; &#160; 　・太平洋戦争が始まってすぐに、日本政府は、以 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1314">第二次世界大戦の時の人々の生活と社会の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>第二次世界大戦の時の人々の生活と社会の様子について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・第二次世界大戦の時の人々の生活と社会の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・太平洋戦争が始まってすぐに、日本政府は、以下のような政策を取った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・国民のために製品を作っていた工場を、軍事のための工場に切り替えさせた</p>
<p>　　　　＝このようにして、軍事の生産を最優先とする政策を取った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・一方で、国民に対しては生活をギリギリまで切り詰めさせた</p>
<p>　　　　＝このようにして、国民を兵力や労働力として強引に利用していく政策を取った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４３年に、学徒出陣と勤労動員という２つの政策を取った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※・学徒出陣</p>
<p>　　　　→文系の大学生や専門学校などの学生を中心に、徴兵までの猶予が無くなり、</p>
<p>　　　　　軍に集められる政策のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・勤労動員</p>
<p>　　　　→学校に残る学生や、女子挺身隊（物事を達成するために全力で取り組む組織）に</p>
<p>　　　　　組み込んだ女子などを強制的に軍需工場などで働かせる政策のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・朝鮮や中国に対して、以下のような政策を取った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→・数十万人の朝鮮人や占領した地域の中国人を日本に強制的に連れてきて、</p>
<p>　　　　鉱山や土木などで働かせるという政策を取った</p>
<p>　　　　→朝鮮では１９４３年に、中国では１９４４年に</p>
<p>　　　　　徴兵制（国民に兵役の義務を命じる制度のこと）が出された</p>
<p>　　　　　※しかし、すでに１９３８年から志願兵制度という制度で、</p>
<p>　　　　　　植民地からも兵隊を募集していた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・戦地に「慰安施設」というものを作り、そこに朝鮮、中国、フィリピンなどの</p>
<p>　　　　女性を集めて施設に入れた</p>
<p>　　　　＝このようにして連れてこられた女性を、従軍慰安婦という</p>
<p>　　　　　※従軍慰安婦・・軍人や軍に所属する人に、性的な奉仕をした人達のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の戦争では、軍隊にされた男子は４００万～５００万人ほどいた</p>
<p>　　→そのため、日本国内で生産のために必要な労働力が圧倒的に足りなくなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※さらに、日本は制海権と制空権（海上や空中を軍事的に支配する権利）を</p>
<p>　　　失ってしまっていた</p>
<p>　　　＝そのため、軍需に必要な石炭、石油、鉄鉱石などの物資も足りなくなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・衣料に関して、総合切符制という制度が用意された</p>
<p>　　→この制度によって、切符が無いと衣服を買う事が出来ないようになった</p>
<p>　　　※しかし、日本国内の生産の不足が影響して、切符があっても衣料自体がない</p>
<p>　　　　という状況だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・成人１日２．３合（３３０ｇ）のお米の配給は、いもや小麦粉などの代用品で</p>
<p>　　配給される割合が増えて行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※戦争が始まって１年後の世帯調査の時に、購入した回数の中で闇取引だったものが</p>
<p>　　　穀物は３分の１以上、乾物、生の魚介、野菜や青物は約半分だった</p>
<p>　　</p>
<p>　　※日本の占領地でもモノがなく、欲しい人は増え続けたので物価が急激に上昇し続けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４４年後半から、サイパン島の基地からアメリカの飛行機が飛んできて、</p>
<p>　　日本の本土を襲うことが増えた</p>
<p>　　＝このような行動を、本土空襲という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→空襲は、最初は軍需工場を壊すことが目的だったが、国民の戦う意欲を失わせる</p>
<p>　　　という目的で、都市を無差別に爆撃するようになっていった</p>
<p>　　　　　</p>
<p>　　→都市では、空襲への対策として、以下のようなことが行われた</p>
<p>　　　・建築物を強制的に取り壊したり、防空壕を作ったりする</p>
<p>　　　・軍需工場を地方に移転させる</p>
<p>　　　・住民が親戚の家などに疎開する</p>
<p>　　　・国民学校の生徒を集団で疎開させる（集団疎開）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４５年３月１０日に、東京大空襲という出来事が起きた</p>
<p>　　→その時に、約３００機のＢ２９爆撃機が下町の人口の多いところを中心に、</p>
<p>　　　約１７００トンの焼夷弾という爆弾を落としたため、</p>
<p>　　　一日で約１０万人が亡くなったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※空襲は、全国の小さな都市に対しても行われ、重要な生産施設が壊された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・当時の社会と人々の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1314">第二次世界大戦の時の人々の生活と社会の様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>新政府の様々な政策について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1246</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1246#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 26 Oct 2013 12:09:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[トクホンクリーム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代前期]]></category>
		<category><![CDATA[内務省]]></category>
		<category><![CDATA[太政官]]></category>
		<category><![CDATA[学制]]></category>
		<category><![CDATA[家禄]]></category>
		<category><![CDATA[岩倉使節団]]></category>
		<category><![CDATA[廃藩置県]]></category>
		<category><![CDATA[徴兵制]]></category>
		<category><![CDATA[版籍奉還]]></category>
		<category><![CDATA[藩閥政府]]></category>
		<category><![CDATA[近衛兵]]></category>

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		<description><![CDATA[新政府の様々な政策について考えてみます &#160; &#160; ・新政府の様々な政策について &#160; &#160; 　・戊辰戦争の時に、新政府は没収した旧幕府の土地の中で、重要な土地を府、 　　それ以外の土地を [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1246">新政府の様々な政策について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>新政府の様々な政策について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・新政府の様々な政策について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・戊辰戦争の時に、新政府は没収した旧幕府の土地の中で、重要な土地を府、</p>
<p>　　それ以外の土地を県とした</p>
<p>　　※しかし、藩についてはそれぞれの大名が治める状況がそのまま続いていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・政治的な統一を新政府が目指していたため、残された藩を新政府が</p>
<p>　　直接治めていく方針を立てた</p>
<p>　　→その結果、１８６９年１月に木戸孝允や大久保利通などが立てた計画によって、</p>
<p>　　　薩長土肥の４つの藩主が領地と領民を天皇に返すという事が起きた</p>
<p>　　　＝このように、藩主が領地と領民を天皇に返すことを版籍奉還という</p>
<p>　　　　※版・・版図（各藩の領地）のこと　　籍・・戸籍（各藩の領民）のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　　→薩長土肥の４つの藩が版籍奉還を行うと、多くの藩も版籍奉還を行うようになった</p>
<p>　　→新政府は、６月に薩長土肥以外の全ての藩主にも版籍奉還を命令した</p>
<p>　　→版籍奉還によって新政府が全国を支配する権利を得た状態になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※一方で新政府は以前の大名に、石高に代わるものとして家禄を与えること、</p>
<p>　　　以前の領地の知藩事（地方長官）に任命して藩の政治を担当させること、</p>
<p>　　　などを行った</p>
<p>　　　・家禄・・主君が自分の家臣に与えた褒美のこと　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝以上のようにして、藩主の家禄と藩の財政をはっきりと分けた</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※しかし、旧大名は実質的に温存されることになり、徴税と軍事の２つの権利は</p>
<p>　　　　今まで通りそれぞれの藩にあった</p>
<p>　　　　→そのため、新政府は限られた直轄地（府県）から年貢を取ることを厳しく行った</p>
<p>　　　　　＝結果的に、新政府に対する一揆が増えた</p>
<p>　　　　　＝さらに、藩でも江戸時代と変わらない税のスタイルに</p>
<p>　　　　　　人々が不満を持つようになった　</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・奇兵隊を中心とした長州藩にある多くの軍隊は、藩の軍事力の再編成に反対した</p>
<p>　　→そのため、奇兵隊は武力で鎮圧された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況で、新政府は藩制度を全て撤廃することを決めた</p>
<p>　　→・そこで、まず１８７１年に、薩摩、長州、土佐の３つの藩から御親兵という</p>
<p>　　　　軍隊を集めて軍事力を固めた</p>
<p>　　　・そして、７月に廃藩置県（藩をやめて県にすること）を一気に行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※廃藩置県によってどう変わっていったのか</p>
<p>　　　　・全ての藩が無くなり、府県になった</p>
<p>　　　　　→最初は１使（開拓使）、３府（東京、大阪、京都）、３０２県だった</p>
<p>　　　　　→その後１使３府７２県になり、さらにその後は１道３府４３県になった</p>
<p>　　　　・旧大名だった知藩事はクビにされて、旧大名は東京に居住することを命令された</p>
<p>　　　　・中央政府が派遣する府知事や県令が地方の行政が担当した</p>
<p>　　　　　＝このようにしたことで、国内の政治的な統一が完成した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・廃藩置県と同時に、中央政府の組織を整備した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→どのように整備したのか</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・版籍奉還の時に、政体書を中心とした太政官制が変更となった</p>
<p>　　　　＝祭政一致や天皇親政の方針から大宝令のスタイルを復活させた</p>
<p>　　　　　→神祇官を太政官の上に置いて、太政官の下に各省を置くスタイルになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・廃藩置県の後に、太政官を正院、左院、右院の三院制にした</p>
<p>　　　　※正院・・政治の最高機関で、太政大臣、左大臣、右大臣の３大臣と参議で構成された</p>
<p>　　　　　左院・・立法機関で、正院の考えに意見を述べていた</p>
<p>　　　　　右院・・各省の長官と次官を集めて、省の事務について議論した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・正院の下に各省を置くスタイルに変えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・新政府の中では、三条実美や岩倉具視などの公家と、薩長土肥の４つの藩にいる若い実力者を</p>
<p>　　参議や各省の長官や次官に使うことで、権力を握るようになった</p>
<p>　　＝このように、公家と薩長土肥を中心とした政治のスタイルを、藩閥政府という</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※藩閥政府には、どのような人が起用されたのか</p>
<p>　　　　・薩摩藩から・・西郷隆盛、大久保利通、黒田清隆</p>
<p>　　　　・長州藩から・・木戸孝允、伊藤博文、山県有朋、井上馨</p>
<p>　　　　・土佐藩から・・板垣退助、後藤象二郎、佐々木高行</p>
<p>　　　　・肥前藩から・・大隈重信、江藤新平、副島種臣、大木喬任</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７１年に、岩倉具視などの多くの政府のトップを含めた大きな使節団を</p>
<p>　　欧米の国々に派遣した</p>
<p>　　＝この時に派遣した使節団を岩倉使節団という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西郷隆盛を中心とした留守政府は、１８７３年までに学制、徴兵制、地租改正などを行った</p>
<p>　　※留守政府・・岩倉使節団がいない時の明治政府のこと</p>
<p>　　　学制・・文部省が出した教育に関する法律のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７１年に、政府の直轄軍として作られた御親兵が近衛兵になった</p>
<p>　　→近衛兵が、天皇の警護などを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・廃藩置県の時に藩の兵が解散させられた</p>
<p>　　→しかし、一部は兵部省という省の下でそれぞれの場所に作られた鎮台に配置されて、</p>
<p>　　　反乱や一揆に備えた</p>
<p>　　　※１８７２年に兵部省は陸軍省と海軍省に分けられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７２年に徴兵告諭（徴兵の呼びかけ）に基づいて１８７３年１月に徴兵令を出した</p>
<p>　　</p>
<p>　　※徴兵制について</p>
<p>　　　・徴兵令は国民皆兵（国民全員が兵になる義務を負うこと）が原則だった</p>
<p>　　　・徴兵令によって、士族や平民などの区別なく、満２０歳になった男子から選ばれて、</p>
<p>　　　　３年間の兵役を行うことになった</p>
<p>　　　・徴兵制を使った軍隊を作るという考え方は、長州藩の大村益次郎という人が考えた</p>
<p>　　　　→大村益次郎が暗殺された後は、奇兵隊の指揮官だった山県有朋という人が引き継いで実現した</p>
<p>　　　・徴兵制では、官吏、学生、２７０円を納めた人は兵役が免除された</p>
<p>　　　　＝そのため、兵役を行ったのはほとんどが農村の人達だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７１年に邏卒が置かれた</p>
<p>　　※邏卒・・明治時代の警察官の呼び方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７３年に内務省という省が置かれた</p>
<p>　　→内務省は、殖産興業（当時の産業を保護して育てる政策）、地方行政、警察の</p>
<p>　　　まとめ役のようなことを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７４年に警視庁が置かれた</p>
<p>　　→この時に、邏卒は巡査と名前が変えられた</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・新政府が行った様々な政策を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1246">新政府の様々な政策について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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