<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; 教派神道</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e6%95%99%e6%b4%be%e7%a5%9e%e9%81%93/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e6%95%99%e6%b4%be%e7%a5%9e%e9%81%93/feed" />
	<item>
		<title>神道の流れから国学の誕生まで・神道や国学の考え方を研究した人達について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1631</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1631#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:34:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[古道]]></category>
		<category><![CDATA[国学]]></category>
		<category><![CDATA[垂加神道]]></category>
		<category><![CDATA[契沖]]></category>
		<category><![CDATA[尊王攘夷論]]></category>
		<category><![CDATA[平田篤胤]]></category>
		<category><![CDATA[教派神道]]></category>
		<category><![CDATA[本居宣長]]></category>
		<category><![CDATA[神道]]></category>
		<category><![CDATA[賀茂真淵]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1631</guid>
		<description><![CDATA[神道から国学の誕生に至るまでの部分と、国学や神道を考えた人達について考えてみます &#160; &#160; ・国学の誕生について 　→国学が誕生するまでを知るためには、神道についての流れを知っておく必要がある &#038;nbs [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1631">神道の流れから国学の誕生まで・神道や国学の考え方を研究した人達について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>神道から国学の誕生に至るまでの部分と、国学や神道を考えた人達について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国学の誕生について</p>
<p>　→国学が誕生するまでを知るためには、神道についての流れを知っておく必要がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・神道について</p>
<p>　　※神道：日本の昔からの神に対しての考え方に基づく宗教的な態度のこと　</p>
<p>　　</p>
<p>　・神道の流れ</p>
<p>　　・神道は、祭祀などの儀礼や神にまつわる物語の形で継承されていた</p>
<p>　　→しかし、密教の影響を受けて、平安時代の末期以降に、</p>
<p>　　　度会家行の伊勢神道や吉田兼倶の吉田神道が登場した</p>
<p>　　→そして、正直や清浄、慈悲などの道徳が意識され、</p>
<p>　　　そのような道徳を守る人は神に救われると考えられていた</p>
<p>　　　※正直：道理を受け入れる気持ちのこと</p>
<p>　　　　清浄：体をキレイにして、欲を持たない心の清らかさのこと</p>
<p>　　　　慈悲：いつくしんだり、あわれんだりすること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・その後、江戸時代には朱子学と結び付けて垂加神道が登場した</p>
<p>　　　※垂加神道－・儒家神道の一つで、山崎闇斎が作った</p>
<p>　　　　　　　　　・神人合一（神と人とを直接まとめて一つのものとして考えること）を</p>
<p>　　　　　　　　　　提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・そして、江戸時代中期に、契沖という人が「万葉集」を研究した</p>
<p>　　　→この流れを受けて、古道（昔の政治家の理想とされていた考え方）を</p>
<p>　　　　見出そうとする学問が誕生した</p>
<p>　　　　＝この学問を国学と言う</p>
<p>　</p>
<p>　　　　※代表的な国学者に、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国学者たちについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・賀茂真淵－・「万葉集」は男性的でおおらかな歌風の歌集（＝ますらをぶり）だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・賀茂真淵は、仏教や儒学の影響を受けていなかった</p>
<p>　　　　　　　　→そのため、「ますらをぶり」のような</p>
<p>　　　　　　　　　簡素で力強い日本の精神の尊重を提唱した</p>
<p>　　　　　　　・荷田春満から教わり、「国意考」や「歌意考」という本を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・本居宣長－・賀茂真淵と違い、女性的で優雅な歌風であるという「たをやめぶり」の精神が</p>
<p>　　　　　　　　日本には必要だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・人々は「古今集」や「源氏物語」などを学び、</p>
<p>　　　　　　　　「もののあはれ」を知るべきだと考えた</p>
<p>　　　　　　　　※もののあはれとは・・物事に触れた時に生まれる感嘆のこと</p>
<p>　　　　　　　　　→もののあはれをダメだと考える人は、他者の苦しみや悲しみが</p>
<p>　　　　　　　　　　理解できないからダメだと考えた</p>
<p>　　　　　　　　　　＝このような、他者を理解できない気持ちを、漢意（からごころ）と呼んだ</p>
<p>　　　　　　　　　　　※漢意・・儒学や仏教の考え方に影響を受けた気持ちのこと</p>
<p>　　　　　　　・本居宣長は、「道」（政治家の理想）は古道の段階で実現されているから、</p>
<p>　　　　　　　　「道」についての議論はする必要はないと考えた</p>
<p>　　　　　　　・仏教や儒学の教説は、自分の賢さを自慢するための道具だと考えた</p>
<p>　　　　　　　　→そこで、本居宣長は良くても悪くてもいいから、</p>
<p>　　　　　　　　　生まれた時に持っている心（＝真心）が大切だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・「古事記伝」や「玉勝間」を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平田篤胤－・古道を神道に結び付けて、復古神道という新しい神道を開いた</p>
<p>　　　　　　　　→以前からある神道の教説に含まれている仏教や儒学の教説を</p>
<p>　　　　　　　　　排除するべきだと考えた</p>
<p>　　　　　　　・復古神道は、民間の国学として、尊王攘夷論に影響を与えた</p>
<p>　　　　　　　・「霊能真柱」「古史徴」「古道大意」などを書いた</p>
<p>　</p>
<p>　※平田篤胤の復古神道の後、江戸時代後期に、修行の重要性やや現世利益を考え、</p>
<p>　　人々の救済を目指す黒住教、天理教、金光教などの民族宗教が生まれた</p>
<p>　　＝このような民族宗教をまとめて、教派神道と言われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・有名な神道として、度会家行の伊勢神道、吉田兼倶の吉田神道、山崎闇斎の垂加神道がある</p>
<p>・契沖の万葉集を始めとして、古道を見出そうとする学問として、国学が誕生した</p>
<p>・賀茂真淵は、「ますらをぶり」を提唱し、「国意考」や「歌意考」を書いた</p>
<p>・本居宣長は、「たをやめぶり」や「もののあはれ」、漢意を排除して真心を大切にすること</p>
<p>　などを提唱し、「古事記伝」や「玉勝間」を書いた</p>
<p>・平田篤胤は、復古神道を提唱し、尊王攘夷論や教派神道に影響を与え、</p>
<p>　「霊能真柱」「古史徴」「古道大志」などを書いた</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1631">神道の流れから国学の誕生まで・神道や国学の考え方を研究した人達について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1631/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1631" />
	</item>
		<item>
		<title>倒幕の動きと民衆の幕府への影響について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1243</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1243#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 24 Oct 2013 21:18:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[赤長のいちご]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[幕末]]></category>
		<category><![CDATA[ええじゃないか]]></category>
		<category><![CDATA[世直し一揆]]></category>
		<category><![CDATA[倒幕]]></category>
		<category><![CDATA[土佐藩]]></category>
		<category><![CDATA[坂本竜馬]]></category>
		<category><![CDATA[奇兵隊]]></category>
		<category><![CDATA[教派神道]]></category>
		<category><![CDATA[第二次長州征討]]></category>
		<category><![CDATA[薩長同盟]]></category>
		<category><![CDATA[高杉晋作]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1243</guid>
		<description><![CDATA[倒幕の動きと民衆の幕府への影響について考えてみます &#160; &#160; ・倒幕の動きについて &#160; &#160; 　・高杉晋作や桂小五郎（木戸孝允）などの長州藩尊攘派が下関で四国艦隊に負ける 　　という出 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1243">倒幕の動きと民衆の幕府への影響について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>倒幕の動きと民衆の幕府への影響について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・倒幕の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・高杉晋作や桂小五郎（木戸孝允）などの長州藩尊攘派が下関で四国艦隊に負ける</p>
<p>　　という出来事が起きた</p>
<p>　　※この時に、高杉晋作や桂小五郎は攘夷が不可能だということが分かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで、高杉晋作などは以前に組織しておいた奇兵隊という軍隊を連れて、</p>
<p>　　　１８６４年に長府という場所で戦いを行い、長州藩の主導権を尊攘派から奪った</p>
<p>　　　※奇兵隊は、藩の公式の軍隊ではなく、高杉晋作が中心になって</p>
<p>　　　　兵士になりたいという志願者を集めて作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらに、長州藩の中にいる豪農や村役人などと手を組んで、</p>
<p>　　　藩の考え方を恭順（命令に従うこと）から倒幕に変えた</p>
<p>　　　※そして、長州藩はイギリスに近づいて、大村益次郎などの指導によって</p>
<p>　　　　軍事力を高めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府は長州藩に対して、第一次長州征討の締めくくりという口実で</p>
<p>　　領地の削除などを命令した</p>
<p>　　→しかし、長州藩は藩の考え方を恭順から倒幕に変えていたため、</p>
<p>　　　簡単に幕府の命令に従わなかった</p>
<p>　　　＝そこで幕府は第二次長州征討を行った</p>
<p>　　　　※しかし、結果的に第二次長州征討での戦いの状況は幕府が不利になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※なぜ、第二次長州征討で幕府が不利になったのか</p>
<p>　　　・第二次長州征討を宣言した時に、先に倒幕の考え方に変わっていた薩摩藩が、</p>
<p>　　　　裏で長州藩を支持することを考えていた</p>
<p>　　　　→そこで、１８６６年に土佐藩の坂本竜馬や中岡慎太郎の仲介によって、</p>
<p>　　　　　薩摩藩と長州藩が秘密の軍事同盟を結んだ</p>
<p>　　　　　＝この同盟のことを、薩長同盟（または薩長連合）という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　＝よって、薩長同盟によって薩摩藩と長州藩が倒幕の態度を固めたために、</p>
<p>　　　　　　第二次長州征討で幕府が不利になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※第二次長州征討はどうなったのか</p>
<p>　　　・第二次長州征討は、幕府の軍に不利になった</p>
<p>　　　　→結局幕府は、大坂城に向かう途中だった１４代将軍徳川家茂が急死したことを理由に</p>
<p>　　　　　征討を中止した</p>
<p>　　　</p>
<p>　　※さらに、この年の年末に孝明天皇が急死した</p>
<p>　　　→孝明天皇は攘夷派だったが、倒幕を嫌って公武合体の立場だったため</p>
<p>　　　　幕府にとって孝明天皇が亡くなることは大きなダメージだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・民衆の幕府への影響について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・開国によって起きた物価の上昇や政治の状況による争いは、社会の不安を増やし</p>
<p>　　世の中の雰囲気を悪くした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国学の尊王攘夷の考え方が農村にも広がった</p>
<p>　　→そのため、農民が起こす一揆の中でも、世直し（新しい世の中を迎えたいと願う考え方）</p>
<p>　　　のための一揆というものが増えてきた</p>
<p>　　　＝世直しのための一揆を世直し一揆という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※長州征討の時に大坂や江戸で起きた打ちおこしは、政治権力への不信が</p>
<p>　　　はっきりと現れていたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大和に天理教、備中に金光教、備前に黒住教などの民衆宗教が出てきた</p>
<p>　　＝これらの宗教をまとめて教派神道という　　</p>
<p>　</p>
<p>　　　※天理教は中山みき、金光教は川手文治郎、黒住教は黒住宗忠が作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・伊勢神宮への御蔭参りが流行していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→教派神道や御蔭参りは、時代が変わりそうで変わらない苦しい社会の状況から</p>
<p>　　　抜け出したいという民衆の願いに応えていたために流行したと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８６７年に東海や畿内の民衆の間では、「ええじゃないか」という</p>
<p>　　熱狂的な集団の踊りが起きた</p>
<p>　　※ええじゃないか・・東海や畿内を中心に起きた民衆の騒動のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→以上のように、「世直し」を期待した民衆が多かった</p>
<p>　　＝世直しを求めた民衆の運動は、幕府を一時的に混乱させることになったと言われている</p>
<p>　　　</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・倒幕の動きと流れを押さえる</p>
<p>・民衆の動きと幕府への影響を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1243">倒幕の動きと民衆の幕府への影響について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1243/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1243" />
	</item>
	</channel>
</rss>
