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	<title>アラエス &#187; 教育令</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>明治時代の教育と科学について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1278</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1278#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 03:23:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[副店長]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代後期]]></category>
		<category><![CDATA[不敬事件]]></category>
		<category><![CDATA[九帝大]]></category>
		<category><![CDATA[国定教科書]]></category>
		<category><![CDATA[大隈重信]]></category>
		<category><![CDATA[学制]]></category>
		<category><![CDATA[学校令]]></category>
		<category><![CDATA[忠君愛国]]></category>
		<category><![CDATA[教育令]]></category>
		<category><![CDATA[教育勅語]]></category>
		<category><![CDATA[東京大学]]></category>

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		<description><![CDATA[明治時代の教育と科学について考えてみます &#160; &#160; ・明治時代の教育について &#160; &#160; 　・１８７２年に、学制という法律が作られ、小学校教育が普及する努力が 　　行われるようになった  [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1278">明治時代の教育と科学について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>明治時代の教育と科学について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・明治時代の教育について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７２年に、学制という法律が作られ、小学校教育が普及する努力が</p>
<p>　　行われるようになった</p>
<p>　　→その結果、義務教育によって学校に行くようになる率が高まっていった</p>
<p>　　　※しかし、学制は地方の状況を無視して全員に強制かつ同じように扱われたため、</p>
<p>　　　　政府の中からも外からも批判された</p>
<p>　　　　＝そのため、１８７９年に学制が無くなり、教育令という法律が</p>
<p>　　　　　出されるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・教育令では、全国画一だった学区制という制度を無くした</p>
<p>　　→その時に、町村を小学校の設置の単位にした</p>
<p>　　　※小学校の管理は地方に任せ、学校に行く義務は大幅に緩くなった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　※しかし、今まで強制されていたのに突然放任に変えたため、</p>
<p>　　　　大きな混乱の状態になってしまった</p>
<p>　　　　→そのため、教育令が出た次の年に内容が変えられ、</p>
<p>　　　　　小学校教育で政府が監督することが強調された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→上のような流れを受けて、１８８６年に、森有礼文部大臣によって、</p>
<p>　　学校令というものが出された</p>
<p>　　＝学校を、小学校、中学校、師範学校、帝国大学などの学校に通う</p>
<p>　　　というような仕組みを作った</p>
<p>　　＝さらに、尋常小学校と高等小学校のそれぞれの４年のうち、</p>
<p>　　　尋常小学校の３～４年を義務教育にした</p>
<p>　　　※その後、１９０７年に義務教育が６年間に延ばされた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※学校令について</p>
<p>　　　　・小学校令、中学校令、師範学校令、帝国大学令などをまとめて学校令という</p>
<p>　　　　・小学校、中学校、師範学校は、それぞれ尋問・高等の２種類に分けられた</p>
<p>　　　　　→その中で、尋問中学校が中学校、高等中学校が高等学校に名前を変えた</p>
<p>　　　　・唯一の官立大学であった東京大学は、帝国大学に組み替えられた</p>
<p>　　　　　→帝国大学は、１８９７年に東京帝国大学に名前が変わった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　※１８９２年の時は、学校に行く率が男子は７０％、女子は３６％だった</p>
<p>　　　　→その後、１９００年に義務教育の期間の授業料が無料になったため、</p>
<p>　　　　　学校に行く率が１９０２年に９０％を超えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・明治時代の教育では、様々な制度が作られている裏で、</p>
<p>　　国家主義を重視する教育政策を採用する方向に向かっていった</p>
<p>　　→そこで、１８９０年に出された教育に関する勅語（教育勅語）というものを出して、</p>
<p>　　　忠君愛国の考え方が学校教育の根本であることが強調された</p>
<p>　　　※忠君愛国・・天皇に仕えて、国を愛する、という考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※忠君愛国について、１８９１年に、キリスト教徒の内村鑑三という人が、</p>
<p>　　　　自分が講師だった第一高等中学校での教育勅語奉読式という式の時に、</p>
<p>　　　　教育勅語への拝礼を拒否したため、内村鑑三が責められるという事件が起きた</p>
<p>　　　　＝この出来事を不敬事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９０３年に小学校の教科書で国定教科書を使うことが決められ、</p>
<p>　　教育を国家がコントロールする動きが強まった</p>
<p>　　※国定教科書・・文部省が作った教科書のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・官立の高等教育機関が作られるようになっていった</p>
<p>　　→東京大学に加えて、１８９７年に京都帝国大学、</p>
<p>　　　その後に東北や九州などのそれぞれの帝国大学が作られていった</p>
<p>　　　※結果的に、大正から昭和初期の間に、北海道、京城（朝鮮）、台北（台湾）</p>
<p>　　　　名古屋、大坂にそれぞれの帝国大学が作られていった</p>
<p>　　　　＝これらの帝国大学を、「９帝大」という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・民間では、大隈重信が作った東京専門学校（現在の早稲田大学）などの</p>
<p>　　私立学校が作られていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・明治時代の科学について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・明治の初めに、欧米から多くの専門的な学者を呼んできたことで、</p>
<p>　　近代的な学問の研究が本格的に始まった</p>
<p>　　→その後、日本人の学者が自分達でそれぞれの分野の専門的な研究や教育が</p>
<p>　　　行われるようになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・経済学の分野では、最初にイギリスの経済学が入ってきて、</p>
<p>　　その後にドイツの考え方が中心になった</p>
<p>　　※イギリス経済学・・自由放任にする経済政策や自由貿易などを主張する経済学</p>
<p>　　　ドイツ経済学・・保護貿易や社会政策の推進などを主張する経済学</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・法律学の分野では、最初にフランスから来たボアソナードという人が</p>
<p>　　法典の編纂をしたことで始まった</p>
<p>　　→しかし、その後に起きた民法典論争がきっかけで、ドイツの法律学が中心になった</p>
<p>　　　※そのため、哲学の分野でもドイツ観念論という考え方を中心とした</p>
<p>　　　　ドイツの哲学が中心になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・自然科学の分野では、富国強兵や殖産興業などのための政策を行うために、</p>
<p>　　欧米の近代的な科学技術を日本に取り入れるようになった</p>
<p>　　→さらに、外国人の指導者の指導もあって、日本は世界レベルの研究結果も</p>
<p>　　　発表されるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・日本史と日本文学の分野では、西洋の研究の方法が取り入れられた</p>
<p>　　→そのため、日本史や日本文学などで科学的な研究が始まり、</p>
<p>　　　今までの国学者の研究が新しくなった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　※日本史の分野では、田口卯吉という人の「日本開化小史」というものを</p>
<p>　　　代表とした文明史論が出てきた</p>
<p>　　　→この考え方によって、当時の歴史の見方が変わったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※東京帝国大学では、史料編纂掛というところが「大日本史料」や</p>
<p>　　　「大日本古文書」など、基本的な資料を編纂する事業が行われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時の科学的な研究は、日本に昔からある伝統的な考え方とぶつかることがあった</p>
<p>　　　→１８９１年には、帝国大学の教授だった久米邦武という人が、</p>
<p>　　　　神道は宗教ではないという考えによって「神道は祭天の古俗」と論じたため、</p>
<p>　　　　国粋主義者などに責められるという事件が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・明治時代の教育について押さえる</p>
<p>・明治時代の科学について様々な分野を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1278">明治時代の教育と科学について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>文明開化について①　－思想・教育・文学－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1250</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1250#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 27 Oct 2013 21:11:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[トクホンクリーム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代前期]]></category>
		<category><![CDATA[中江兆民]]></category>
		<category><![CDATA[天賦人権の思想]]></category>
		<category><![CDATA[学制]]></category>
		<category><![CDATA[教育令]]></category>
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		<category><![CDATA[明六雑誌]]></category>
		<category><![CDATA[東京大学]]></category>
		<category><![CDATA[活字印刷]]></category>
		<category><![CDATA[福沢諭吉]]></category>

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		<description><![CDATA[文明開化について考えてみます &#160; &#160; ・文明開化について &#160; 　※日本は近代化を目指して、西洋の様々なスタイルを取り入れていた 　　→この動きと一緒に、明治時代の初期の人々の生活で、 　　　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1250">文明開化について①　－思想・教育・文学－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>文明開化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・文明開化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※日本は近代化を目指して、西洋の様々なスタイルを取り入れていた</p>
<p>　　→この動きと一緒に、明治時代の初期の人々の生活で、</p>
<p>　　　文明開化と呼ばれる新しい風潮が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・文明開化の時の思想について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・儒教や神道の考え方は古くて時代遅れということで、排除されるようになった</p>
<p>　　→その代わりに、自由主義や個人主義などと呼ばれる西洋の近代思想が流行した</p>
<p>　　　※当時はミルやスペンサー、ダーウィンなどの人達の本が読まれるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・福沢諭吉という人などが提唱した天賦人権の思想が広まった</p>
<p>　　※天賦人権の思想・・人々は生まれながらに平等で、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　人間としての権利を持っているという考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この当時に、中江兆民という人がフランスに留学して、</p>
<p>　　ルソーの社会契約説などを日本に紹介した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・当時は、福沢諭吉の「西洋事情」「学問のすゝめ」「文明論之概略」、</p>
<p>　　中村正直という人が訳したスマイルズという人の「西国立志論」、</p>
<p>　　ミルの「自由之理」などが読まれた</p>
<p>　　→これらの本は、人々の考えを変える上で重要な役割を果たした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・文明開化の時の教育について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７１年に文部省を作って、１８７２年に学制という法律を出した</p>
<p>　　→その時に政府は、小学校教育に力を入れて、男女関係なく等しく勉強させるという</p>
<p>　　　国民皆学教育を目指した</p>
<p>　　　※この時の教育は、功利主義という考え方のような教育観を狙っていた</p>
<p>　　　※学制は、現実にあまりにも合わなかったために、</p>
<p>　　　　１８７９年の教育令という法律で改められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８７７年に、旧幕府の開成所と医学所をスタートとするいくつかの学校を統合して、</p>
<p>　　東京大学という大学を作り、多くの外国人教師を連れてきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・教員を養成するために師範学校、産業教育や女子教育を行うための専門的な学校を作った</p>
<p>　　※１８７２年、東京に日本で初めての女学校が出来て、その後に女子師範学校も作られた</p>
<p>　</p>
<p>　　</p>
<p>　・教育制度は基本的に政府が積極的に行っていったが、</p>
<p>　　個人で学校を作って教育に関わっていった人もいた</p>
<p>　　→例：福沢諭吉の慶応義塾、新島襄の同志社　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>・文明開化の時の文学について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕末以降から、幕府が外国新聞の翻訳を行っていた</p>
<p>　　→この翻訳は明治になっても旧幕臣を続けていた</p>
<p>　　→さらに、本木昌造という人が鉛製活字の量産技術に成功して、</p>
<p>　　　活字印刷の技術が発達していった</p>
<p>　　　＝そのため、東京を中心に日刊新聞や雑誌がいくつも作られていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・新聞や雑誌では、報道や政治問題の評論などを行うようになり、</p>
<p>　　新しい言論の活動が始まったと言われている</p>
<p>　　→そのため、学術書や啓蒙書の出版もさかんになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西周、森有礼、福沢諭吉、加藤弘之、西村茂樹などの洋学者が</p>
<p>　　１８７３年に明六社という団体を作ってその次の年に「明六雑誌」を発行したり、</p>
<p>　　演説会を開いて近代思想を普及したりした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・文明開化の時の思想を押さえる</p>
<p>・文明開化の時の教育を押さえる</p>
<p>・文明開化の時の文学を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1250">文明開化について①　－思想・教育・文学－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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