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	<title>アラエス &#187; 最恵国待遇</title>
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	<item>
		<title>金本位制とＩＭＦ－ＧＡＴＴ体制について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1879</link>
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		<pubDate>Sun, 17 Nov 2013 17:19:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[赤長のいちご]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[世界経済・世界の課題]]></category>
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		<description><![CDATA[金本位制とIMF－GATT体制について考えてみます &#160; &#160; ・金本位制の時の経済について &#160; 　・第一次世界大戦（１９１４～１９１８）よりも前の時の国際経済は、 　　金本位制という国際通貨制 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1879">金本位制とＩＭＦ－ＧＡＴＴ体制について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>金本位制とIMF－GATT体制について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・金本位制の時の経済について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次世界大戦（１９１４～１９１８）よりも前の時の国際経済は、</p>
<p>　　金本位制という国際通貨制度を使った、自由貿易の経済の体制だった</p>
<p>　　※金本位制の時の国際経済は、国が手を加えなくても、収入と支出が自然と一致したので、</p>
<p>　　　自由貿易が出来ていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→しかし、下の３つの理由が原因で、金本位制が危なくなってきて、</p>
<p>　　結果的に金本位制が完全にダメになってしまったと言われている</p>
<p>　　理由：・第一次世界大戦の後に、国際経済の中心がイギリスからアメリカに</p>
<p>　　　　　　変わっていったので金がアメリカにどんどん集まるようになっていった</p>
<p>　　　　　・貿易量が増えた時に、金は増えなかったので、金が貴重になっていった</p>
<p>　　　　　・１９３０年代に世界恐慌が響いていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→そこで、金本位制が終わった時の世界恐慌を乗り切るために、</p>
<p>　　それぞれの国は主に下の２つのような行動を取った</p>
<p>　　・輸出を増やすことで不況を乗り切ろうとして、</p>
<p>　　　為替の切り下げ（自分の国の通貨の価値を下げる）を行った</p>
<p>　　・輸入する商品に、高い関税をかけることで、</p>
<p>　　　自分の国に入ってくる輸入品を減らそうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝結果的に、世界での貿易が非常に少なくなり、特に大きな国は</p>
<p>　　　ブロック経済を行うところもあった</p>
<p>　　　※ブロック経済・・いくつかの国の経済をまとめて、一つの国の経済として</p>
<p>　　　　　　　　　　　　扱うようになること</p>
<p>　　　　　　　　　　　　（１９３０年代は、イギリス、フランスなどの帝国主義だった国を</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　中心に、世界全体がいくつかの経済に分けられることになった）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※上のような経済のスタイルは結果的に崩れたが、崩れたことが</p>
<p>　　　　第二次世界大戦を引き起こす原因の一つだと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ＩＭＦ－ＧＡＴＴ体制について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第二次世界大戦の前の国際経済のスタイルが失敗だということになったので、</p>
<p>　　戦後に新しい経済の制度を使って国際経済を安定させようとする動きが</p>
<p>　　見られるようになった</p>
<p>　　→戦後の国際経済を安定させるための重要な制度として使われたのが、</p>
<p>　　　ＧＡＴＴ（関税と貿易に関する一般協定）とＩＭＦ（国際通貨基金）というものだった</p>
<p>　　　※このように、ＧＡＴＴとＩＭＦが重視されたので、</p>
<p>　　　　ＩＭＦ－ＧＡＴＴ体制とも言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ＧＡＴＴについて</p>
<p>　　</p>
<p>　　・ＧＡＴＴは１９４８年に、自由貿易を促すために作られた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　・ＧＡＴＴは、自由貿易、無差別最恵国待遇、多角主義の３つを基本的な原則として、</p>
<p>　　　関税を引き下げる、輸入の制限を無くす、貿易に関する様々な壁を無くす、</p>
<p>　　　などのように、多くの行動を行っている</p>
<p>　　　※最恵国待遇・・２つの国が自分達の間だけで行う貿易に関する</p>
<p>　　　　　　　　　　　独自のルール（関税や航海など）は２つの国とは関係の無い国と</p>
<p>　　　　　　　　　　　行っている貿易に関する独自のルールよりも悪いルールで</p>
<p>　　　　　　　　　　　貿易をしてはいけないということ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ＩＭＦについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ＩＭＦは、１９４４年に出来たブレトン・ウッズ協定という協定を土台にして、</p>
<p>　　　１９４７年に作られた国際通貨制度のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ブレトン・ウッズ協定で決められたこと</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・ドルは、金１オンス＝３５ドルというレートで金とドルが交換できることが保障され、</p>
<p>　　　　さらに、他の国々の通貨とドルとの交換の比率も一定の率で固定化され、</p>
<p>　　　　交換できることが保障された</p>
<p>　　　　＝この制度を、固定相場制と言う</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・各国の通貨当局（通貨に関する事務を行う機関）が</p>
<p>　　　　平価維持（ドルとの交換比率を一定の数値で安定させること）を行うことを義務とした</p>
<p>　　　　※ただし、上下１％の変動までは認められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・経常収支が一時的に赤字になってしまった国は、ブレトン・ウッズ協定に</p>
<p>　　　　参加している国が出した出資金から一時的にお金を貸してもらえることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９４４年７月に開かれた連合国国際通貨会議という会議が開かれ、</p>
<p>　　　　下のようなことが決められた</p>
<p>　　　　→・ドルを基軸通貨とすることが決められた</p>
<p>　　　　　・国際復興開発銀行（ＩＢＲＤ）というものを作ることが決められた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1879">金本位制とＩＭＦ－ＧＡＴＴ体制について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>国際経済を歴史的な視点から見る　―金本位制・IMF－GATT体制―</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1759</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1759#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 17 Nov 2013 02:46:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[現代人]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[国際経済]]></category>
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		<description><![CDATA[国際経済の歴史について、金本位制とIMF－GATT体制を中心に考えてみます &#160; &#160; ・金本位制の時の経済について &#160; 　・第一次世界大戦（１９１４～１９１８）よりも前の時の国際経済は、 　　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1759">国際経済を歴史的な視点から見る　―金本位制・IMF－GATT体制―</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>国際経済の歴史について、金本位制とIMF－GATT体制を中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・金本位制の時の経済について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次世界大戦（１９１４～１９１８）よりも前の時の国際経済は、</p>
<p>　　金本位制という国際通貨制度を使った、自由貿易の経済の体制だった</p>
<p>　　※金本位制の時の国際経済は、国が手を加えなくても、収入と支出が自然と一致したので、</p>
<p>　　　自由貿易が出来ていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→しかし、下の３つの理由が原因で、金本位制が危なくなってきて、</p>
<p>　　結果的に金本位制が完全にダメになってしまったと言われている</p>
<p>　　理由：・第一次世界大戦の後に、国際経済の中心がイギリスからアメリカに</p>
<p>　　　　　　変わっていったので金がアメリカにどんどん集まるようになっていった</p>
<p>　　　　　・貿易量が増えた時に、金は増えなかったので、金が貴重になっていった</p>
<p>　　　　　・１９３０年代に世界恐慌が響いていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→そこで、金本位制が終わった時の世界恐慌を乗り切るために、</p>
<p>　　それぞれの国は主に下の２つのような行動を取った</p>
<p>　　・輸出を増やすことで不況を乗り切ろうとして、</p>
<p>　　　為替の切り下げ（自分の国の通貨の価値を下げる）を行った</p>
<p>　　・輸入する商品に、高い関税をかけることで、</p>
<p>　　　自分の国に入ってくる輸入品を減らそうとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝結果的に、世界での貿易が非常に少なくなり、特に大きな国は</p>
<p>　　　ブロック経済を行うところもあった</p>
<p>　　　※ブロック経済・・いくつかの国の経済をまとめて、一つの国の経済として</p>
<p>　　　　　　　　　　　　扱うようになること</p>
<p>　　　　　　　　　　　　（１９３０年代は、イギリス、フランスなどの帝国主義だった国を</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　中心に、世界全体がいくつかの経済に分けられることになった）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※上のような経済のスタイルは結果的に崩れたが、崩れたことが</p>
<p>　　　　第二次世界大戦を引き起こす原因の一つだと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ＩＭＦ－ＧＡＴＴ体制について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第二次世界大戦の前の国際経済のスタイルが失敗だということになったので、</p>
<p>　　戦後に新しい経済の制度を使って国際経済を安定させようとする動きが</p>
<p>　　見られるようになった</p>
<p>　　→戦後の国際経済を安定させるための重要な制度として使われたのが、</p>
<p>　　　ＧＡＴＴ（関税と貿易に関する一般協定）とＩＭＦ（国際通貨基金）というものだった</p>
<p>　　　※このように、ＧＡＴＴとＩＭＦが重視されたので、</p>
<p>　　　　ＩＭＦ－ＧＡＴＴ体制とも言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ＧＡＴＴについて</p>
<p>　　</p>
<p>　　・ＧＡＴＴは１９４８年に、自由貿易を促すために作られた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　・ＧＡＴＴは、自由貿易、無差別最恵国待遇、多角主義の３つを基本的な原則として、</p>
<p>　　　関税を引き下げる、輸入の制限を無くす、貿易に関する様々な壁を無くす、</p>
<p>　　　などのように、多くの行動を行っている</p>
<p>　　　※最恵国待遇・・２つの国が自分達の間だけで行う貿易に関する</p>
<p>　　　　　　　　　　　独自のルール（関税や航海など）は２つの国とは関係の無い国と</p>
<p>　　　　　　　　　　　行っている貿易に関する独自のルールよりも悪いルールで</p>
<p>　　　　　　　　　　　貿易をしてはいけないということ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ＩＭＦについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ＩＭＦは、１９４４年に出来たブレトン・ウッズ協定という協定を土台にして、</p>
<p>　　　１９４７年に作られた国際通貨制度のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・ブレトン・ウッズ協定で決められたこと</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・ドルは、金１オンス＝３５ドルというレートで金とドルが交換できることが保障され、</p>
<p>　　　　さらに、他の国々の通貨とドルとの交換の比率も一定の率で固定化され、</p>
<p>　　　　交換できることが保障された</p>
<p>　　　　＝この制度を、固定相場制と言う</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・各国の通貨当局（通貨に関する事務を行う機関）が</p>
<p>　　　　平価維持（ドルとの交換比率を一定の数値で安定させること）を行うことを義務とした</p>
<p>　　　　※ただし、上下１％の変動までは認められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・経常収支が一時的に赤字になってしまった国は、ブレトン・ウッズ協定に</p>
<p>　　　　参加している国が出した出資金から一時的にお金を貸してもらえることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・１９４４年７月に開かれた連合国国際通貨会議という会議が開かれ、</p>
<p>　　　　下のようなことが決められた</p>
<p>　　　　→・ドルを基軸通貨とすることが決められた</p>
<p>　　　　　・国際復興開発銀行（ＩＢＲＤ）というものを作ることが決められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・金本位制の概要、崩壊まで、崩壊の理由などを押さえる</p>
<p>・ＧＡＴＴの内容を押さえる</p>
<p>・ＩＭＦの内容を押さえる</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1759">国際経済を歴史的な視点から見る　―金本位制・IMF－GATT体制―</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>開国の動きについて　－海外の動きと開国までの流れ－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1239</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1239#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 24 Oct 2013 20:26:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[赤長のいちご]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[幕末]]></category>
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		<description><![CDATA[開国の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・開国の時の世界の動きについて &#160; &#160; 　・１８世紀の後半のイギリスで、産業革命という変革が起きた 　　※この革命によって、工業化がヨーロッ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1239">開国の動きについて　－海外の動きと開国までの流れ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>開国の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・開国の時の世界の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８世紀の後半のイギリスで、産業革命という変革が起きた</p>
<p>　　※この革命によって、工業化がヨーロッパ各地やアメリカなどに広がっていった</p>
<p>　　　＝そのため、欧米の国々が工業の生産力と軍事力を持つようになった</p>
<p>　　　　→そこで欧米の国々は、他国の市場や原料の供給のために、植民地を求めに動き始めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・清がアヘン戦争という戦争でイギリスに負けたため、南京条約という条約を結んだ</p>
<p>　　→そのため、清が香港の一部をイギリスにゆずり、開国をすることになった</p>
<p>　　　＝そこで日本は、１８４２年に異国船打払令を緩めて、薪水給与令という法律を作った</p>
<p>　　　　※薪水給与令・・日本にたどりついた外国船に燃料や食糧を与えた法律のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→上のような状況で、１８４４年にオランダの国王が幕府に直筆の手紙を送って</p>
<p>　　開国を求めてきた</p>
<p>　　＝しかし、日本は開国を拒否して、鎖国の体制を守り抜こうとした</p>
<p>　　　※日本は、以前から鎖国の状況で、世界情勢が理解しきれてなかったので、</p>
<p>　　　　開国を拒否したと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※アメリカは、清との貿易のための船や捕鯨船が寄るための港として、</p>
<p>　　日本が開国することを期待していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・開国の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８４６年に、アメリカ東インド艦隊司令長官のビッドルという人が</p>
<p>　　浦賀に来て貿易を求めた</p>
<p>　　→この要求に対して、日本は拒否した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※しかし、アメリカは１８４８年にメキシコからカリフォルニアを奪ったため、</p>
<p>　　　　アメリカと清の貿易がより一層活発になった</p>
<p>　　　　→結果的に日本の開国がさらに求められるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８５３年４月に、アメリカ東インド艦隊司令長官のペリーという人が</p>
<p>　　琉球王国の那覇に寄った</p>
<p>　　→ペリーは那覇を拠点にして、１８５３年６月に軍艦（黒船）４隻を連れて浦賀沖に来た</p>
<p>　　　＝この時に、アメリカのフィルモア大統領という人の手紙を渡して、</p>
<p>　　　　日本の開国を求めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→幕府は特に対策がない状況で、ペリーの態度に後押しされたため、手紙を受け取った</p>
<p>　　　※その時に、開国するかどうかの答えは来年にするということで、</p>
<p>　　　　ペリーにはいったん帰ってもらった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらに、１８５３年７月に、ロシアの使いだったプチャーチンという人が長崎に来た</p>
<p>　　　※その時に、開国と、日本とロシアの国境を決めることを求めてきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ペリーが１８５４年の１月に、７隻の艦隊を連れてもう一度日本に来た</p>
<p>　　→その時に、日本と条約を結ぶことを強要してきたため、</p>
<p>　　　幕府は３月に日米和親条約という条約を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※日米和親条約の内容</p>
<p>　　　　・アメリカ船が求める燃料や食糧などを供給すること</p>
<p>　　　　・ボロボロになった船や乗組員を助けること</p>
<p>　　　　・下田と箱館の２つの港を開いて、アメリカの領事という機関の駐在を認めること</p>
<p>　　　　・アメリカに一方的な最恵国待遇を与えること</p>
<p>　　　　　※最恵国待遇・・日本がアメリカに与えた条件よりも有利な条件を</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　他の国と契約した場合、アメリカにもその条件が認められること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→幕府は、イギリス、ロシア、オランダとも同じ内容の和親条約を結んだ　</p>
<p>　　　　＝このため、２００年以上続いた鎖国政策が終了したと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ロシアは、プチャーチンという人を再び日本に送って、</p>
<p>　　　　下田で日露和親条約という条約を結んだ</p>
<p>　　　　→日露和親条約の内容</p>
<p>　　　　　・下田と箱館に加えて、長崎を開港すること</p>
<p>　　　　　・国境について、択捉島よりも南側を日本の土地、</p>
<p>　　　　　　得撫島よりも北側をロシアの土地にすること</p>
<p>　　　　　・択捉島と得撫島の間にある樺太は、両国人雑居の地ということで</p>
<p>　　　　　　境界を決めないこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・開国の時の世界の動きについて押さえる</p>
<p>・開国までの流れとその時の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1239">開国の動きについて　－海外の動きと開国までの流れ－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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