<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; 最澄</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e6%9c%80%e6%be%84/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e6%9c%80%e6%be%84/feed" />
	<item>
		<title>仏教の受容と展開について　－仏教の伝来 聖徳太子 奈良仏教 平安仏教 浄土信仰 末法思想 神仏習合－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1626</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1626#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:09:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[和辻哲郎]]></category>
		<category><![CDATA[奈良仏教]]></category>
		<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[最澄]]></category>
		<category><![CDATA[末法思想]]></category>
		<category><![CDATA[神仏習合]]></category>
		<category><![CDATA[空海]]></category>
		<category><![CDATA[聖徳太子]]></category>
		<category><![CDATA[聖武天皇]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1626</guid>
		<description><![CDATA[仏教が日本に入ってきてから、神仏習合に至るまでについて解説します。 &#160; &#160; ・仏教の伝来について &#160; 　・仏教が伝来されるまでの流れ 　　→・漢字の伝来と一緒に、百済の王仁という人（＝百済か [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1626">仏教の受容と展開について　－仏教の伝来 聖徳太子 奈良仏教 平安仏教 浄土信仰 末法思想 神仏習合－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>仏教が日本に入ってきてから、神仏習合に至るまでについて解説します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・仏教の伝来について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・仏教が伝来されるまでの流れ</p>
<p>　　→・漢字の伝来と一緒に、百済の王仁という人（＝百済からの渡来人）によって</p>
<p>　　　　儒学が取り入れられた</p>
<p>　　　・その後、６世紀中ごろに仏教が朝鮮半島を通って日本に入ってきた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※この時、祭祀などを排除しないで、むしろ、元々存在している儀礼を</p>
<p>　　　　より豊かにする形で儒教や仏教が取り入れられていった</p>
<p>　　　　→和辻哲郎は、このような仏教の受け入れ方の特徴を、文化の重層性と呼んだ</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※当時、仏は蕃神（あだしくにのかみ）＝外国から新しく入ってきた神　</p>
<p>　　　　と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・仏教と聖徳太子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・聖徳太子とは・・</p>
<p>　　→・この人は、仏教を初めて思想として表現した</p>
<p>　　　・法華経（ほけきょう）、勝鬘経（しょうまんぎょう）、維摩経（ゆいまきょう）を</p>
<p>　　　　まとめて三経と言い、聖徳太子は、三経のそれぞれの注釈書である、</p>
<p>　　　　「三経義疏」を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・聖徳太子は、憲法十七条を制定した</p>
<p>　　→憲法十七条の冒頭で、「和をもって貴しとなす。逆らうことなきを宗となせ。」</p>
<p>　　　と述べた</p>
<p>　　　※どういうことか・・政治を行う人で、上に立つ人は下の人に和やかに、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　下の人は上の人に逆らってはいけないと考えた</p>
<p>　　</p>
<p>　　※憲法十七条の内容の他の条では・・</p>
<p>　　　・仏と法と僧の三宝を敬うべきである</p>
<p>　　　・怒りやねたみを捨てて、是非や善悪を自分で勝手に判断するな</p>
<p>　　　・自分の間違いを恐れ、重要な事柄を決定するときは多くの人の意見に従え</p>
<p>　　　　などということが述べられていた</p>
<p>　</p>
<p>　　　→このようなことから、聖徳太子はどのように考えていたのか・・</p>
<p>　　　　＝聖徳太子は、仏から見れば、</p>
<p>　　　　　全員が「凡夫」（欲望や執着に捉われている愚かな存在）だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・聖徳太子の遺言</p>
<p>　　・聖徳太子は、「世間は虚仮なり、唯仏のみ是れ真なり」という遺言を残した</p>
<p>　　　→これは、どういう意味なのか</p>
<p>　　　　＝貧富や身分の上下、賢いか愚かかは、見かけの姿でしかないから、</p>
<p>　　　　　貧しい人や身分の低い人と対応する時は、その人の心を意識しなければいけない</p>
<p>　　　　　と考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・奈良仏教の流れ</p>
<p>　</p>
<p>　・奈良仏教の根本</p>
<p>　　→奈良時代の仏教は、鎮護国家（災厄を鎮め、人々の苦しみをやわらげ、</p>
<p>　　　国家を無事でやすらかにすること）として、盛んになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・奈良時代に活躍した人々</p>
<p>　　</p>
<p>　　・行基－・法相宗を学び、私度僧（朝廷の承認なしに出家する人々のこと）の</p>
<p>　　　　　　　指導者として活躍した</p>
<p>　　　　　　・吉凶禍福（幸福や不幸）や善悪について考え、</p>
<p>　　　　　　　無料宿泊施設や毘盧遮那仏（びるしゃなぶつ）などの造立に参加した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・鑑真－・東大寺という所に</p>
<p>　　　　　　　戒壇（出家を目指す人に戒律（修行する人の生活上のルール）を与える場所のこと）</p>
<p>　　　　　　　を作り、受戒制度（戒律を受け取る制度のこと）を確立した</p>
<p>　　　　　　・南都六宗（三論、成実、法相、倶舎、華厳、律の総称）が生まれ、</p>
<p>　　　　　　　教説（学問上の説）を学んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・聖武天皇－・国分寺と国分尼寺を建て、</p>
<p>　　　　　　　　　金光明経（国王が祈れば国が救われるという考え方の経典）を読んで、</p>
<p>　　　　　　　　　五穀豊穣（穀物が豊かに実ること）と災厄を鎮めることを祈った</p>
<p>　　　　　　　　・東大寺に毘盧遮那仏（華厳経の仏）を建て、</p>
<p>　　　　　　　　　国家の安泰（無事でやすらかにすること）を祈った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時、私度僧に対し、朝廷の承認があってから出家した人を官僧と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・平安時代の流れ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平安時代の根本</p>
<p>　　→厄病除けなどの現世利益（神や仏からもらえるこの世での幸せのこと）のために、</p>
<p>　　　加持祈祷（仏や神が人々を助けるよう祈ること）が盛んに行われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平安時代に活躍した人達</p>
<p>　　</p>
<p>　　・最澄－・「顕戒論」や「三家学生式」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　・天台宗を学んで、比叡山に延暦寺を建てた</p>
<p>　　　　　　・大乗菩薩戒（大乗仏教の戒）だけ受戒できることを目指した</p>
<p>　　　　　　・一切衆生悉有仏性（命あるものは全て仏になる可能性を</p>
<p>　　　　　　　持っているという考え方）を強調した</p>
<p>　</p>
<p>　　・空海－・「三教指帰」や「十住心論」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　・密教を学び、真言宗を伝え、高野山に金剛峯寺を開いた</p>
<p>　　　　　　　※密教－釈迦が悟った真理のことで、大日如来という仏が</p>
<p>　　　　　　　　　　　受け入れていると考えられていた</p>
<p>　　　　　　・即身成仏（決心さえすれば誰でも仏になれるという考え方）を強調した</p>
<p>　　　　　　・曼荼羅（仏の知の世界を図にしたもの）を伝えた</p>
<p>　　　　　　　※曼荼羅は、慈悲の表れだと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・末法思想と浄土信仰について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・浄土信仰に関連して活躍した人達について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・空也－市聖と呼ばれ、南無阿弥陀仏を称えながら、浄土信仰を広めた</p>
<p>　　　※浄土信仰・・仏や菩薩が支配する浄土という世界に憧れる信仰のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・源信－・「往生要集」という本を書き、次に生まれてくる時に</p>
<p>　　　　　　　どうすれば極楽浄土という場所に行けるかを考えた</p>
<p>　　　　　　・阿弥陀仏が人々を極楽浄土に迎えにくる様子を書いた</p>
<p>　　　　　　　→これを来迎図と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・慶滋保胤（よししげのやすたね）</p>
<p>　　　→「日本往生極楽記」というのを書き、極楽浄土に到着した人達の話を集めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・末法思想について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・末法思想とは・・仏教が正法、像法、末法と衰退していくという考え方のこと</p>
<p>　</p>
<p>　　※正法・・教（教説）と行と証がある</p>
<p>　　　像法・・教と行がある</p>
<p>　　　末法・・教がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→人々は末法に進むにつれ、不安に駆られた。</p>
<p>　　　そのため、厭離穢土や欣求浄土に魅かれていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・神仏習合について</p>
<p>　</p>
<p>　・日本では、仏が神や死者に関わる儀礼と結びついて仏教が浸透していった</p>
<p>　　→このように、仏と神を合わせてそれぞれの良いところを</p>
<p>　　　選び取る考え方を神仏習合と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・神仏習合に関連する事柄について</p>
<p>　　</p>
<p>　　・修験道－・奥山に入って、神に関わる儀礼と仏教の教説を学ぶこと</p>
<p>　　　　　　　・開祖は役小角で、修験道を行った人は山伏と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・本地垂迹説－仏が神という姿を借りて現れるという考え方</p>
<p>　　　※仏＝本地、神＝垂迹・・権現　というように考えられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・仏教が入ってくる流れを抑える</p>
<p>・聖徳太子の思想、十七条の憲法、遺言を抑える</p>
<p>・奈良仏教の根本（鎮護国家）と行基、鑑真、聖武天皇の思想を抑える</p>
<p>・平安仏教の根本（現世利益・加持祈祷）と最澄、空海の思想を抑える</p>
<p>・浄土信仰に関連した人として、空也、源信、慶滋保胤を抑える</p>
<p>・末法思想＝仏教が最終的に末法に衰退していくという考え方</p>
<p>・神仏習合、修験道、本地垂迹説を抑える</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1626">仏教の受容と展開について　－仏教の伝来 聖徳太子 奈良仏教 平安仏教 浄土信仰 末法思想 神仏習合－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1626/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1626" />
	</item>
		<item>
		<title>唐風文化と平安時代の仏教について　－弘仁・貞観文化と密教の芸術－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1126</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1126#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 15:48:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[一木造]]></category>
		<category><![CDATA[三筆]]></category>
		<category><![CDATA[修験道]]></category>
		<category><![CDATA[加持祈祷]]></category>
		<category><![CDATA[勅撰漢詩集]]></category>
		<category><![CDATA[密教]]></category>
		<category><![CDATA[弘仁・貞観文化]]></category>
		<category><![CDATA[曼荼羅]]></category>
		<category><![CDATA[最澄]]></category>
		<category><![CDATA[神仏習合]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1126</guid>
		<description><![CDATA[唐風文化と密教の芸術について考えてみます &#160; &#160; ・弘仁・貞観文化について &#160; 　・弘仁・貞観文化とは・・平安京に移ってから、９世紀末くらいまでの文化のこと 　　　　　　　　　　　　　　 　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1126">唐風文化と平安時代の仏教について　－弘仁・貞観文化と密教の芸術－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>唐風文化と密教の芸術について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・弘仁・貞観文化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・弘仁・貞観文化とは・・平安京に移ってから、９世紀末くらいまでの文化のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　</p>
<p>　・弘仁・貞観文化の特徴</p>
<p>　　→・平安京で貴族の文化が盛んになった</p>
<p>　　　・文章経国という考え方が広がった</p>
<p>　　　　　※文章経国・・文芸を中心にして国家の勢いを盛んにさせることを</p>
<p>　　　　　　　　　　　　目指す考え方のこと</p>
<p>　　　・宮廷で漢文学が発展した</p>
<p>　　　　　→そのため、８１４年に「凌雲集」、８１８年に「文華秀麗集」、</p>
<p>　　　　　　８２７年に「経国集」という、３つの勅撰漢詩集というものが作られた</p>
<p>　　　・天台宗と真言宗が広まって、密教がさかんになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・弘仁・貞観文化の時に起きた出来事について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・嵯峨天皇が中国のスタイルを重視したため、唐風のスタイルを受け入れて</p>
<p>　　　宮廷の儀式を整備した</p>
<p>　　・嵯峨天皇は、文学に優れている貴族を政治で使うなどのように、</p>
<p>　　　文化の人を国家に参加させた</p>
<p>　　・貴族の教養として、漢詩文を作ることを重視したため、漢詩文が盛んになった</p>
<p>　　　→そのため、貴族が漢字の文化に慣れて、上手になっていき、</p>
<p>　　　　漢字を自分達のものとして使えるようになった</p>
<p>　　　　※この動きは、今後出てくる国風文化という文化の土台になったと言われている</p>
<p>　　　→漢詩文で有名な人は、嵯峨天皇、空海、菅原道真、小野篁という</p>
<p>　　　　人達などが知られている</p>
<p>　　　　※空海という人は、「文鏡秘府論」（漢詩文の作成の評論）や</p>
<p>　　　　　「性霊集」（詩文集）などを作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・大学での学問が重視されるようになった</p>
<p>　　　→・儒教を学ぶ明経道や、中国の歴史や文学を学ぶ紀伝道（文章道）が特に盛んになった</p>
<p>　　　　・貴族は、自分達の子弟を育成するために、大学別曹という施設を用意した</p>
<p>　　　　　　※大学別曹で有名なものとして、和気氏の弘文院、藤原氏の勧学院、</p>
<p>　　　　　　　在原氏の奨学院、橘氏の学館院などがある　　</p>
<p>　　　　・空海が綜芸種智院という施設を作り、庶民も勉強できる場所を提供した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・桓武天皇は仏教が政治に絡むことを嫌ったので、南都の大寺院というものを</p>
<p>　　　平安京に移すことを嫌った</p>
<p>　　　→代わりに、最澄や空海などの新しい仏教を採用した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※最澄と空海について</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　・最澄　　　　　</p>
<p>　　　　　→・天台宗を開いた</p>
<p>　　　　　　・新しい、独自の大乗戒壇という戒壇を作ることを目指した</p>
<p>　　　　　　　→この目標は、南都の宗派から反対されたので、最澄は「顕戒論」</p>
<p>　　　　　　　　という本を書いて反論した</p>
<p>　　　　　　・比叡山で修学したため、比叡山延暦寺という寺が仏教教学の中心になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　・空海</p>
<p>　　　　　→・「三教指帰」という本を書いて、仏教に集中した</p>
<p>　　　　　　　　※三教指帰・・儒教、道教、仏教の中で仏教が優位であることを</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　論じた本のこと</p>
<p>　　　　　　・長安で密教を学んだ</p>
<p>　　　　　　　→その後、高野山に金剛峯寺という寺を建てて、真言宗を開いた</p>
<p>　　　　　　・空海が嵯峨天皇から教王護国寺という寺をもらい、その寺を</p>
<p>　　　　　　　密教の根本の場所とした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→天台宗には、最澄の弟子の円仁・円珍によって、密教が取り入れられた</p>
<p>　　　　　※円仁は延暦寺によって山門派と呼ばれ、円珍は園城寺によって寺門派と呼ばれた</p>
<p>　　　→天台宗と真言宗は、両方とも国家や社会の安泰を祈った</p>
<p>　　　　　※天台宗と真言宗は、加持祈祷によって災いをよけて、</p>
<p>　　　　　　幸せを追求するというスタンスだったので皇室や貴族などの支持を集めた</p>
<p>　　　　　　・加持祈祷・・病気や災難などを払うために行われる儀式のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・８世紀ころから、神仏習合の風潮が出てきて、平安時代以降にさらに広まっていった</p>
<p>　　　　※神仏習合・・日本に元々あった神の思想と、外から入ってきた仏の思想を</p>
<p>　　　　　　　　　　　組み合わせる考え方のこと</p>
<p>　　・天台宗と真言宗が修験道の基本になった</p>
<p>　　　　※修験道・・日本に元々あった山岳信仰と密教が組み合わさって</p>
<p>　　　　　　　　　　出来た実践的な宗教のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・密教の芸術について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・天台宗と真言宗が盛んになってくると、密教芸術が新しく発展した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・密教芸術の建築について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・今までの形式にとらわれないような伽藍配置で建築が行われた</p>
<p>　　　→代表的なものに、室生寺の金堂などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・密教芸術の彫刻について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・密教と関わりの深い、如意輪観音像や不動明王像などの仏像が作られた</p>
<p>　　　→これらの仏像は一木造だったといわれている</p>
<p>　　　　※一木造・・仏像の頭と体の部分を一本の木を彫って作る方法のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・神仏習合が反映された</p>
<p>　　　→代表的なものに、薬師寺僧形八幡神像や神宮皇后像などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・密教芸術の絵画について</p>
<p>　　</p>
<p>　　・曼荼羅が発達した</p>
<p>　　　※曼荼羅・・金剛界と胎蔵界を整然とした構図で図にしたもの</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・密教芸術の書道について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・唐様の書が広がった</p>
<p>　　　→当時の代表的な人に、嵯峨天皇、空海、橘逸勢という人達がいる</p>
<p>　　　　＝この３人をまとめて、三筆と言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・弘仁・貞観文化の特徴と、その当時の出来事を押さえる</p>
<p>・最澄と空海を押さえる</p>
<p>・密教の芸術を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1126">唐風文化と平安時代の仏教について　－弘仁・貞観文化と密教の芸術－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1126/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1126" />
	</item>
	</channel>
</rss>
