<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; 末法思想</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e6%9c%ab%e6%b3%95%e6%80%9d%e6%83%b3/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e6%9c%ab%e6%b3%95%e6%80%9d%e6%83%b3/feed" />
	<item>
		<title>仏教の受容と展開について　－仏教の伝来 聖徳太子 奈良仏教 平安仏教 浄土信仰 末法思想 神仏習合－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1626</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1626#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:09:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[仏教]]></category>
		<category><![CDATA[和辻哲郎]]></category>
		<category><![CDATA[奈良仏教]]></category>
		<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[最澄]]></category>
		<category><![CDATA[末法思想]]></category>
		<category><![CDATA[神仏習合]]></category>
		<category><![CDATA[空海]]></category>
		<category><![CDATA[聖徳太子]]></category>
		<category><![CDATA[聖武天皇]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1626</guid>
		<description><![CDATA[仏教が日本に入ってきてから、神仏習合に至るまでについて解説します。 &#160; &#160; ・仏教の伝来について &#160; 　・仏教が伝来されるまでの流れ 　　→・漢字の伝来と一緒に、百済の王仁という人（＝百済か [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1626">仏教の受容と展開について　－仏教の伝来 聖徳太子 奈良仏教 平安仏教 浄土信仰 末法思想 神仏習合－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>仏教が日本に入ってきてから、神仏習合に至るまでについて解説します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・仏教の伝来について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・仏教が伝来されるまでの流れ</p>
<p>　　→・漢字の伝来と一緒に、百済の王仁という人（＝百済からの渡来人）によって</p>
<p>　　　　儒学が取り入れられた</p>
<p>　　　・その後、６世紀中ごろに仏教が朝鮮半島を通って日本に入ってきた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※この時、祭祀などを排除しないで、むしろ、元々存在している儀礼を</p>
<p>　　　　より豊かにする形で儒教や仏教が取り入れられていった</p>
<p>　　　　→和辻哲郎は、このような仏教の受け入れ方の特徴を、文化の重層性と呼んだ</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※当時、仏は蕃神（あだしくにのかみ）＝外国から新しく入ってきた神　</p>
<p>　　　　と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・仏教と聖徳太子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・聖徳太子とは・・</p>
<p>　　→・この人は、仏教を初めて思想として表現した</p>
<p>　　　・法華経（ほけきょう）、勝鬘経（しょうまんぎょう）、維摩経（ゆいまきょう）を</p>
<p>　　　　まとめて三経と言い、聖徳太子は、三経のそれぞれの注釈書である、</p>
<p>　　　　「三経義疏」を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・聖徳太子は、憲法十七条を制定した</p>
<p>　　→憲法十七条の冒頭で、「和をもって貴しとなす。逆らうことなきを宗となせ。」</p>
<p>　　　と述べた</p>
<p>　　　※どういうことか・・政治を行う人で、上に立つ人は下の人に和やかに、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　下の人は上の人に逆らってはいけないと考えた</p>
<p>　　</p>
<p>　　※憲法十七条の内容の他の条では・・</p>
<p>　　　・仏と法と僧の三宝を敬うべきである</p>
<p>　　　・怒りやねたみを捨てて、是非や善悪を自分で勝手に判断するな</p>
<p>　　　・自分の間違いを恐れ、重要な事柄を決定するときは多くの人の意見に従え</p>
<p>　　　　などということが述べられていた</p>
<p>　</p>
<p>　　　→このようなことから、聖徳太子はどのように考えていたのか・・</p>
<p>　　　　＝聖徳太子は、仏から見れば、</p>
<p>　　　　　全員が「凡夫」（欲望や執着に捉われている愚かな存在）だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・聖徳太子の遺言</p>
<p>　　・聖徳太子は、「世間は虚仮なり、唯仏のみ是れ真なり」という遺言を残した</p>
<p>　　　→これは、どういう意味なのか</p>
<p>　　　　＝貧富や身分の上下、賢いか愚かかは、見かけの姿でしかないから、</p>
<p>　　　　　貧しい人や身分の低い人と対応する時は、その人の心を意識しなければいけない</p>
<p>　　　　　と考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・奈良仏教の流れ</p>
<p>　</p>
<p>　・奈良仏教の根本</p>
<p>　　→奈良時代の仏教は、鎮護国家（災厄を鎮め、人々の苦しみをやわらげ、</p>
<p>　　　国家を無事でやすらかにすること）として、盛んになっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・奈良時代に活躍した人々</p>
<p>　　</p>
<p>　　・行基－・法相宗を学び、私度僧（朝廷の承認なしに出家する人々のこと）の</p>
<p>　　　　　　　指導者として活躍した</p>
<p>　　　　　　・吉凶禍福（幸福や不幸）や善悪について考え、</p>
<p>　　　　　　　無料宿泊施設や毘盧遮那仏（びるしゃなぶつ）などの造立に参加した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・鑑真－・東大寺という所に</p>
<p>　　　　　　　戒壇（出家を目指す人に戒律（修行する人の生活上のルール）を与える場所のこと）</p>
<p>　　　　　　　を作り、受戒制度（戒律を受け取る制度のこと）を確立した</p>
<p>　　　　　　・南都六宗（三論、成実、法相、倶舎、華厳、律の総称）が生まれ、</p>
<p>　　　　　　　教説（学問上の説）を学んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・聖武天皇－・国分寺と国分尼寺を建て、</p>
<p>　　　　　　　　　金光明経（国王が祈れば国が救われるという考え方の経典）を読んで、</p>
<p>　　　　　　　　　五穀豊穣（穀物が豊かに実ること）と災厄を鎮めることを祈った</p>
<p>　　　　　　　　・東大寺に毘盧遮那仏（華厳経の仏）を建て、</p>
<p>　　　　　　　　　国家の安泰（無事でやすらかにすること）を祈った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時、私度僧に対し、朝廷の承認があってから出家した人を官僧と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・平安時代の流れ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平安時代の根本</p>
<p>　　→厄病除けなどの現世利益（神や仏からもらえるこの世での幸せのこと）のために、</p>
<p>　　　加持祈祷（仏や神が人々を助けるよう祈ること）が盛んに行われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・平安時代に活躍した人達</p>
<p>　　</p>
<p>　　・最澄－・「顕戒論」や「三家学生式」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　・天台宗を学んで、比叡山に延暦寺を建てた</p>
<p>　　　　　　・大乗菩薩戒（大乗仏教の戒）だけ受戒できることを目指した</p>
<p>　　　　　　・一切衆生悉有仏性（命あるものは全て仏になる可能性を</p>
<p>　　　　　　　持っているという考え方）を強調した</p>
<p>　</p>
<p>　　・空海－・「三教指帰」や「十住心論」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　・密教を学び、真言宗を伝え、高野山に金剛峯寺を開いた</p>
<p>　　　　　　　※密教－釈迦が悟った真理のことで、大日如来という仏が</p>
<p>　　　　　　　　　　　受け入れていると考えられていた</p>
<p>　　　　　　・即身成仏（決心さえすれば誰でも仏になれるという考え方）を強調した</p>
<p>　　　　　　・曼荼羅（仏の知の世界を図にしたもの）を伝えた</p>
<p>　　　　　　　※曼荼羅は、慈悲の表れだと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・末法思想と浄土信仰について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・浄土信仰に関連して活躍した人達について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・空也－市聖と呼ばれ、南無阿弥陀仏を称えながら、浄土信仰を広めた</p>
<p>　　　※浄土信仰・・仏や菩薩が支配する浄土という世界に憧れる信仰のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・源信－・「往生要集」という本を書き、次に生まれてくる時に</p>
<p>　　　　　　　どうすれば極楽浄土という場所に行けるかを考えた</p>
<p>　　　　　　・阿弥陀仏が人々を極楽浄土に迎えにくる様子を書いた</p>
<p>　　　　　　　→これを来迎図と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・慶滋保胤（よししげのやすたね）</p>
<p>　　　→「日本往生極楽記」というのを書き、極楽浄土に到着した人達の話を集めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・末法思想について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・末法思想とは・・仏教が正法、像法、末法と衰退していくという考え方のこと</p>
<p>　</p>
<p>　　※正法・・教（教説）と行と証がある</p>
<p>　　　像法・・教と行がある</p>
<p>　　　末法・・教がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→人々は末法に進むにつれ、不安に駆られた。</p>
<p>　　　そのため、厭離穢土や欣求浄土に魅かれていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・神仏習合について</p>
<p>　</p>
<p>　・日本では、仏が神や死者に関わる儀礼と結びついて仏教が浸透していった</p>
<p>　　→このように、仏と神を合わせてそれぞれの良いところを</p>
<p>　　　選び取る考え方を神仏習合と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・神仏習合に関連する事柄について</p>
<p>　　</p>
<p>　　・修験道－・奥山に入って、神に関わる儀礼と仏教の教説を学ぶこと</p>
<p>　　　　　　　・開祖は役小角で、修験道を行った人は山伏と呼ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・本地垂迹説－仏が神という姿を借りて現れるという考え方</p>
<p>　　　※仏＝本地、神＝垂迹・・権現　というように考えられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・仏教が入ってくる流れを抑える</p>
<p>・聖徳太子の思想、十七条の憲法、遺言を抑える</p>
<p>・奈良仏教の根本（鎮護国家）と行基、鑑真、聖武天皇の思想を抑える</p>
<p>・平安仏教の根本（現世利益・加持祈祷）と最澄、空海の思想を抑える</p>
<p>・浄土信仰に関連した人として、空也、源信、慶滋保胤を抑える</p>
<p>・末法思想＝仏教が最終的に末法に衰退していくという考え方</p>
<p>・神仏習合、修験道、本地垂迹説を抑える</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1626">仏教の受容と展開について　－仏教の伝来 聖徳太子 奈良仏教 平安仏教 浄土信仰 末法思想 神仏習合－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1626/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1626" />
	</item>
		<item>
		<title>国風文化について　－文学・宗教・貴族・美術－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1129</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1129#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 16:10:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[かな日記]]></category>
		<category><![CDATA[八代集]]></category>
		<category><![CDATA[国風文化]]></category>
		<category><![CDATA[寄木造]]></category>
		<category><![CDATA[寝殿造]]></category>
		<category><![CDATA[御霊会]]></category>
		<category><![CDATA[末法思想]]></category>
		<category><![CDATA[本地垂迹説]]></category>
		<category><![CDATA[浄土教]]></category>
		<category><![CDATA[神仏習合]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1129</guid>
		<description><![CDATA[国風文化について考えてみます &#160; &#160; ・国風文化の時の文学について &#160; 　※日本は７世紀以降から、他の大陸からの文化（大陸文化）を受け入れてきていた &#160; 　・日本は、９世紀後半から [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1129">国風文化について　－文学・宗教・貴族・美術－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>国風文化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国風文化の時の文学について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※日本は７世紀以降から、他の大陸からの文化（大陸文化）を受け入れてきていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、９世紀後半から１０世紀の間に、他の大陸との関係が変わってきたため、</p>
<p>　　大陸文化が弱くなっていった</p>
<p>　　→その代わり、貴族社会を中心として、日本の風習や風土などに合う形の文化が出てきた</p>
<p>　　　＝このような文化のことを国風文化と言い、１０～１１世紀の文化が</p>
<p>　　　　国風文化だったと言われている</p>
<p>　　　　※国風文化は、優雅で洗練された文化という特徴があったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国風文化にできたものの特徴として、かな文字（平がなと片かな）というものがある</p>
<p>　　　※・平がな・・万葉がなというかなの草書体という書体を簡単にしたもの</p>
<p>　　　　・片かな・・漢字の一部分を取ったもの</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→平がなや片かなは、１１世紀の初めに広く使われるようになった</p>
<p>　　　＝そのため、日本人特有の感情を文字で伝えることができるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※どのような国文学がさかんになったのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・最初に、和歌がさかんになった</p>
<p>　　　→９０５年に紀貫之などによって、「古今和歌集」という最初の勅撰和歌集が編集された</p>
<p>　　　　※古今和歌集の歌の作風は、古今調と言われている</p>
<p>　　　　※「古今和歌集」から、「新古今和歌集」という歌集まで、合計８回編集された</p>
<p>　　　　　＝そのため、その８回の歌集をまとめて八代集という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・貴族が、重要な場所では昔と変わらず漢字だけで文章を書いていたが、</p>
<p>　　　その文章が和風になっていたと言われている</p>
<p>　　　※貴族は、１０世紀以降に朝廷での儀式や行事が重視されるようになったため、</p>
<p>　　　　儀式や行事の様子を漢字を使って、日記に細かく書いていた　　　</p>
<p>　　　　＝その中でも、藤原道長の「御堂関白記」という日記は有名だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・かなは、和歌以外の重要な場所で使われなかったものの、日常で使われるようになった</p>
<p>　　　→そのため、以下のようなかな文学の作品が出てくるようになった</p>
<p>　　　　・かな日記・・紀貫之という人が書いた「土佐日記」という作品が</p>
<p>　　　　　　　　　　　最初のかな日記だと言われている</p>
<p>　　　　・かな物語・・歌物語の「伊勢物語」や、伝説を題材にした「竹取物語」など</p>
<p>　　　　・源氏物語・・中宮の彰子という人に仕えた、紫式部という人の作品</p>
<p>　　　　　　　　　　　→宮廷の貴族の生活を題材にして書かれていると言われている</p>
<p>　　　　・枕草子・・皇后の定子という人に仕えた、清少納言という人の作品</p>
<p>　　　　　　　　　　→清少納言が宮廷での生活で体験したことを、</p>
<p>　　　　　　　　　　　随筆のように書いたと言われている</p>
<p>　　　　　※源氏物語と枕草子は、国文学の最高傑作だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・浄土信仰と宗教について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時（摂関時代）の仏教は、天台宗と真言宗の２つの宗が強力な勢いがあり、</p>
<p>　　貴族は、現世利益を欲しがっていたため、加持祈祷を行うことで、</p>
<p>　　２つの宗教と貴族が近づくようになった</p>
<p>　　　※・現世利益・・神や仏からもらえる、この世での利益のこと</p>
<p>　　　　・加持祈祷・・神や仏が人々を助けてもらえるように、お祈りをすること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・神仏習合の考え方が広がり、本地垂迹説という考え方も出てきた</p>
<p>　　　※・神仏習合・・仏と神を合わせてそれぞれの良いところを選び取る考え方のこと</p>
<p>　　　　・本地垂迹説・・仏が神という姿を借りてこの世に現れるという考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　※本地垂迹説によって、天照大神を大日如来とする考え方も出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・御霊の信仰が広まったため、御霊会がさかんに行われるようになった</p>
<p>　　　※・御霊会・・御霊信仰のためのお祭りのこと</p>
<p>　　　　・御霊信仰・・怨霊や疫神を祀ることで、疫病や飢饉などの災いから</p>
<p>　　　　　　　　　　　逃れようとする信仰のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・現世の不安から逃げようとする考え方が生まれた</p>
<p>　　＝その考え方に合っていたのが、浄土教という教派だったので、浄土教が流った</p>
<p>　　　※浄土教・・阿弥陀仏を信仰して、来世で極楽浄土に行き、</p>
<p>　　　　　　　　　そこで悟りを開いて苦しみが無くなるのを願う教えのこと</p>
<p>　　　　→１０世紀の半ばに、空也という人が京の市という場所で説いた</p>
<p>　　　　→その後、源信（恵心僧都）という人が「往生要集」という本を作り、</p>
<p>　　　　　念仏往生の教えを説明した</p>
<p>　　　　　＝この動きが結果的に、浄土教を広めることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・浄土教の信仰は、末法思想によって、より強くなっていった</p>
<p>　　　※末法思想・・釈迦が死んだ後に、正法、像法、という世の中を通って、</p>
<p>　　　　　　　　　　末法の世の中が来るという考え方のこと</p>
<p>　　　　→当時災いが多かったため、その状況が仏教の考える末法のようだ、ということで</p>
<p>　　　　　来世で救われたい人が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→信仰に成功したと信じられた人の伝記を集めた本を、慶滋保胤という人が</p>
<p>　　　「日本往生極楽記」という名前で作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国風文化の美術について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・寝殿造という家の造りになった</p>
<p>　　　※寝殿造・・白木造、檜皮葺などの特徴を持つ家の造りのこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・建物の内部は、以前は唐絵という絵が描かれていたが、</p>
<p>　　国風文化で大和絵という絵が描かれるようになった</p>
<p>　　　※大和絵の代表的な人に、巨勢金岡という人がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・来迎図という絵が積極的に描かれるようになった</p>
<p>　　　※来迎図・・極楽浄土に行こうとする人を迎えに行くために</p>
<p>　　　　　　　　　仏が来る場面を表現した図のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・建物の中で日常的に使うものに、蒔絵や螺鈿の技術が用いられるようになった</p>
<p>　　　※・蒔絵・・漆で絵を描いて、金や銀などの金属の粉を蒔きつける</p>
<p>　　　　　　　　　漆器の技術のこと</p>
<p>　　　　・螺鈿・・貝殻の真珠光という部分を磨いて、様々な形に切り、</p>
<p>　　　　　　　　　漆器に埋め込む技術のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・書道で、和様というスタイルが発達した</p>
<p>　　　※当時、三跡（蹟）と呼ばれる書道に優れた人が出てきた</p>
<p>　　　　→三蹟は、小野道風、藤原佐里、藤原行成のことを指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・藤原道長という人が、法成寺という寺を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・藤原頼道という人が、平等院鳳凰堂という建物を作った</p>
<p>　　→平等院鳳凰堂の本尊と呼ばれる部分には、定朝という人が作った阿弥陀如来像という像が</p>
<p>　　　置かれている</p>
<p>　　　※定朝は、寄木造という方法を完成させた</p>
<p>　　　　・寄木造・・仏像のパーツを何個かに分けて、別々に作り、</p>
<p>　　　　　　　　　　それを寄せ合わせて作る方法のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・貴族の生活について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・貴族の服について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・男性は、正装として束帯、束帯を簡単にしたものとして衣冠を用いていた</p>
<p>　　・女性は、女房装束（十二単）と呼ばれる服を用いていた</p>
<p>　　　→これらの服は、日本風で絹が使われていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・貴族の住宅と食事について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・寝殿造の家だった</p>
<p>　　・食事は基本的に質素で、獣肉が使われず、食事は１日２回が基本だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・貴族の儀式について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・男性は元服、女性は裳着という儀式を行い、１０～１５歳くらいで</p>
<p>　　　成人として扱われていた</p>
<p>　　　※男性は官職をもらって、朝廷に仕えるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・成人した貴族の多くは左京に住んでいて、京を離れて旅行するということが</p>
<p>　　　あまりなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・貴族は、運命や吉凶を気にしていたため、祈祷で災いを避けて、福を呼ぶことに努力した</p>
<p>　　　→日常の行動でも吉凶によって、多くの制限がかけられることがあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※吉凶に関しては、中国から入ってきた陰陽五行説にもとづいた</p>
<p>　　　　陰陽道の影響が大きかった</p>
<p>　　　　→そのため、天気や暦も吉凶に関連すると考えられるようになり、</p>
<p>　　　　　日によって行動が制限されることがあった</p>
<p>　　　　→さらに、いつもと違うことが起こると、吉凶を占って、物忌や方違を行ったりした</p>
<p>　　　　　・物忌・・引きこもったり、行動を制限したりと、慎むこと</p>
<p>　　　　　・方違・・凶の方角を避けて行動すること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→以上のように、吉凶を重視していたため、吉にならずに凶になった</p>
<p>　　　時の悲しみが大きかった</p>
<p>　　　＝そのため、来世ではよりよい運命になろうと考え、</p>
<p>　　　　浄土教をさらに信仰するようになっていった　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>ポイント</p>
<p>・国風文化の概要を押さえる</p>
<p>・国風文化の文学を押さえる</p>
<p>・国風文化の浄土信仰を押さえる</p>
<p>・国風文化の美術を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1129">国風文化について　－文学・宗教・貴族・美術－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1129/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>1</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1129" />
	</item>
	</channel>
</rss>
