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	<title>アラエス &#187; 李成桂</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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		<title>室町時代の日本と東アジアとの関係について　－日明貿易と日朝貿易－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1171</link>
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		<pubDate>Wed, 23 Oct 2013 16:16:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マイコ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[南北朝時代・室町時代]]></category>
		<category><![CDATA[三浦の乱]]></category>
		<category><![CDATA[倭寇]]></category>
		<category><![CDATA[勘合貿易]]></category>
		<category><![CDATA[天竜寺船]]></category>
		<category><![CDATA[寧波の乱]]></category>
		<category><![CDATA[応永の外寇]]></category>
		<category><![CDATA[日明貿易]]></category>
		<category><![CDATA[朝貢貿易]]></category>
		<category><![CDATA[朱元璋]]></category>
		<category><![CDATA[李成桂]]></category>

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		<description><![CDATA[東アジアとの関係について考えてみます &#160; &#160; ・東アジアの動きについて &#160; 　・南北朝の動乱の時に、対馬、壱岐、肥前松浦という地方の住民を中心とした海賊の集団が、 　　朝鮮半島や中国の沿岸を [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1171">室町時代の日本と東アジアとの関係について　－日明貿易と日朝貿易－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>東アジアとの関係について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・東アジアの動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・南北朝の動乱の時に、対馬、壱岐、肥前松浦という地方の住民を中心とした海賊の集団が、</p>
<p>　　朝鮮半島や中国の沿岸を襲う、という事件が起きた</p>
<p>　　＝この時の海賊の集団のことを倭寇と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※倭寇は何をしたのか</p>
<p>　　　→朝鮮半島沿岸の人々を捕まえたり、米や大豆などの食料を奪ったりした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※高麗という国は倭寇に悩まされていたので、日本に人を送って</p>
<p>　　　倭寇を禁止することをお願いした</p>
<p>　　　→しかし、日本の内部が混乱している状況だったので、</p>
<p>　　　　倭寇を禁止させることができなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・中国では、１３６８年に朱元璋という人が元を倒して、明という国を誕生させた</p>
<p>　　　→明は、中国を中心とした国際関係にすることを目指して、近くの国と交渉した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※日本は、蒙古襲来の後も元と正式な国交はなく、</p>
<p>　　　　　個人的な商船の往復があるだけだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※足利尊氏は、夢窓疎石という人のすすめによって、天竜寺という</p>
<p>　　　　　後醍醐天皇の冥福を祈るための寺を建てようとしていて、</p>
<p>　　　　　そのための費用を得るために天竜寺船という船を元に送った</p>
<p>　　　　　→この動きは、建長寺という寺の修復の資金を得ようとして元に送った</p>
<p>　　　　　　建長寺船の例を参考にしたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・足利義満は、明が近くの国と交渉しようとしていることを知って、</p>
<p>　　　明に使いを送り、国交を開いた</p>
<p>　　※その時の使いの第１回は、正使が僧の祖阿、副使が博多商人の肥富という人だった</p>
<p>　</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本と明との関係について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・日本は、明と日明貿易という貿易を行った</p>
<p>　　　→しかし、明は自分を中心とした国際関係を作りたかった</p>
<p>　　　　＝そのため、日本が明に朝貢（日本が明の朝廷に貢物を渡す）して、</p>
<p>　　　　　そのお礼に品物を受け取る、という方式だった</p>
<p>　　　　　※このような貿易のスタイルを朝貢貿易と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・国交を開く時に、足利義満は使者に国書（その国のトップが国の名前を使って作る</p>
<p>　　　外交のための文書のこと）を持たせて明に派遣した</p>
<p>　　　→この時、明の皇帝は日本に明の暦を渡した</p>
<p>　　　　＝そのため、日本から明に送る文書には、「日本国王臣源」と署名していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※どういうことなのか</p>
<p>　　　　　→当時は、暦を受け取ることは、相手の国に服従する、</p>
<p>　　　　　　ということを認める象徴的な行為だった</p>
<p>　　　　　　＝そのため、日本は朝貢貿易のような形になってしまった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　　※さらに、日本は遣明船（明への船）を明に送る時は、明から渡された</p>
<p>　　　　　勘合という証票を持って行くことが義務になった</p>
<p>　　　　　＝そのため、日明貿易は勘合貿易とも言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・日明貿易は、４代将軍の足利義持が朝貢貿易のスタイルに反対して、一旦中断したが、</p>
<p>　　　６代将軍の足利義教の時に再開した</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　　※朝貢貿易の時は、日本の滞在費や運搬費などを全て明が負担してくれていた</p>
<p>　　　　　＝そのため、日本の貿易による利益はとても大きかった</p>
<p>　　　　　　→特に、明から大量に入ってきた銅銭（明銭）は、</p>
<p>　　　　　　　日本の貨幣の流通に大きな影響を与えたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※日本は、武器、工芸品、鉱山物などを輸出した</p>
<p>　　　　　日本は、銅銭、生糸、陶磁器、書籍、絵画などを輸入した</p>
<p>　　　　　→明から入ってきたモノは、唐物と呼ばれ、重視されていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・日本の貿易の時の状況について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１５世紀の後半に、幕府が衰退していった</p>
<p>　　　→それと同時に貿易の権限は、堺の商人と手を組んだ細川氏、</p>
<p>　　　　博多の商人と手を組んだ大内氏などが持つようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・細川氏と大内氏は、貿易の権限のために戦うようになった</p>
<p>　　　→特に１５２３年には、寧波というところで大きな対立が起きた</p>
<p>　　　　＝この戦いのことを、寧波の乱と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・寧波の乱では、大内氏が勝ったため、貿易の権力を大内氏が独占した</p>
<p>　　　※しかし、１６世紀に大内氏が倒れると同時に、勘合貿易も止まってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・勘合貿易が止まった時に、倭寇の活動がまた活発になった</p>
<p>　　　※海賊の行動は、豊臣秀吉という人が海賊取締令という法律を出すまで</p>
<p>　　　　続いたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※南北朝の内乱の時の倭寇を前期倭寇と言い、</p>
<p>　　　　勘合貿易が止まった時に出てきた倭寇を後期倭寇と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の朝鮮半島の状況について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・朝鮮半島では、１３９２年に、武将の李成桂という人が倭寇を倒したので有名になった</p>
<p>　　　→李成桂は、高麗を倒して朝鮮を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・朝鮮は国交と倭寇の禁止を日本に求めた</p>
<p>　　　→この要求に対しては、足利義満が応じたので、日本と朝鮮との間に国交が開かれ、</p>
<p>　　　　貿易も行われた</p>
<p>　　　　＝この時の、日本と朝鮮との貿易を日朝貿易と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・日朝貿易は、明との貿易とは違い、最初から守護、国人、商人など様々な人が</p>
<p>　　　参加して、活発に行われた</p>
<p>　　　※朝鮮側は、対馬の宗氏という豪族を通して、国交についての制度を決めて、</p>
<p>　　　　貿易の制限をした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※日朝貿易は応永の外寇という出来事によって、一回ストップしてしまったが、</p>
<p>　　　　１６世紀まで活発に行われた</p>
<p>　　　　応永の外寇・・宗氏のトップが変わって、倭寇の活動が活発になったため、</p>
<p>　　　　　　　　　　　１４１９年に朝鮮軍が対馬を倭寇の本拠地だと考えて、</p>
<p>　　　　　　　　　　　対馬を攻撃した出来事のこと</p>
<p>　</p>
<p>　　・朝鮮は、日朝貿易のために、富山浦（釜山）、乃而浦（斉浦）、塩浦（蔚山）の</p>
<p>　　　３つの港（三浦）を開いて、三浦と朝鮮の首都の漢城（漢陽）に、</p>
<p>　　　倭館という日本の使いの接待と貿易のための施設を設置した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・朝鮮からは、特に木綿が大量に輸入された</p>
<p>　　　→木綿は、日本の衣服に関して大きな影響を与えたと言われている</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※・日本は、鉱山物、工芸品、蘇木、香木などを輸出した</p>
<p>　　　　・日本は、大蔵経なども輸入した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・日朝貿易は、１５１０年に三浦の乱が起きてから、少しずつ減っていってしまった</p>
<p>　　　※三浦の乱・・三浦に住んでいた日本人には特権があったが、</p>
<p>　　　　　　　　　　その特権がだんだん少なくなっていったことに対して</p>
<p>　　　　　　　　　　怒った日本人が暴動を起こした事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・東アジアの動きを押さえる</p>
<p>・中国の動きを押さえる</p>
<p>・日本と明との関係を押さえる</p>
<p>・日本の貿易の状況を押さえる</p>
<p>・朝鮮半島の動きと日本との関係を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1171">室町時代の日本と東アジアとの関係について　－日明貿易と日朝貿易－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>14世紀の東アジアの様子について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/880</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/880#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 20:05:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[足利]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近世・近代アジア史前期]]></category>
		<category><![CDATA[14世紀の東アジア]]></category>
		<category><![CDATA[一世一元]]></category>
		<category><![CDATA[下生信仰]]></category>
		<category><![CDATA[元]]></category>
		<category><![CDATA[南北朝の合一]]></category>
		<category><![CDATA[朱元璋]]></category>
		<category><![CDATA[李成桂]]></category>
		<category><![CDATA[李氏朝鮮]]></category>
		<category><![CDATA[東アジア]]></category>
		<category><![CDATA[白蓮教]]></category>

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		<description><![CDATA[１４世紀の東アジアの様子について、中国と日本を中心に考えてみます &#160; &#160; ・１４世紀の東アジアについて &#160; &#160; 　・１４世紀には、世界各地で自然災害や疫病が多発した 　　※この時、 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/880">14世紀の東アジアの様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>１４世紀の東アジアの様子について、中国と日本を中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・１４世紀の東アジアについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１４世紀には、世界各地で自然災害や疫病が多発した</p>
<p>　　※この時、東アジアでも飢饉が続いた</p>
<p>　　　＝結果的に元朝の支配力が衰えて、混乱の時代を迎えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・１４世紀の中国について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国では、白蓮教徒による紅巾の乱をきっかけに、群雄割拠が起きた</p>
<p>　　※白蓮教について</p>
<p>　　　・白蓮教とは・・仏教的要素の強い民間の宗教結社のこと</p>
<p>　　　・白蓮教は、宋の時代に始まり、元の終わりには、下生信仰と結びついて勢力を広げていった</p>
<p>　　　　※下生信仰・・弥勒仏が救世主としてこの世に現れるという信仰のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→反乱の中で頭角をあらわした貧農出身の朱元璋という人は、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・朱元璋は、儒学の素養を持つ知識人の協力を得ながら、長江下流域の穀倉地帯をおさえた</p>
<p>　　　・朱元璋は１３６８年に南京で皇帝の位についた</p>
<p>　　　　→この時の位は洪武帝で、廟号は太祖というのだった</p>
<p>　　　　　※明代以降は、一皇帝一元号（一世一元）としたため、「洪武帝」のように</p>
<p>　　　　　　元号で皇帝を呼ぶことが多い</p>
<p>　　　　　※廟号は、死後に贈られる名前の一種</p>
<p>　　　・朱元璋は明朝をたてた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→明軍に追われた元の皇室はモンゴル高原にしりぞいた（北元）</p>
<p>　　</p>
<p>　　→明は、南京を都として中国を統一した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・１４世紀の日本と朝鮮について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本では、鎌倉幕府が倒れて南北朝が対立するということが起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・政治の混乱で海上の秩序も乱れた</p>
<p>　　→この時に倭寇の活動が活発になった</p>
<p>　</p>
<p>　・元に従っていた高麗の中で、親元派（元に友好的な派閥）と反元派（元に敵対的な派閥）の</p>
<p>　　対立があった</p>
<p>　　→その後、倭寇を破って有名になってきた李成桂という人が高麗を倒した</p>
<p>　　　＝その結果、李成桂が１３９２年に王位につき（太祖）、国号を朝鮮として、</p>
<p>　　　　漢城（現在のソウル）に都を置いた</p>
<p>　　　　※この朝鮮を、李氏朝鮮という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１３９２年に日本でも南北朝の合一が行なわれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝１４世紀の終わりから、東アジアの様々な地域では新しい政治秩序が一応安定した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・１４世紀の東アジアの概要をおさえる</p>
<p>・１４世紀の中国をおさえる</p>
<p>・１４世紀の日本をおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/880">14世紀の東アジアの様子について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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