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	<title>アラエス &#187; 浄土教</title>
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	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
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	<item>
		<title>院政の時期の文化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1139</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1139#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 17:26:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[今様]]></category>
		<category><![CDATA[催馬楽]]></category>
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		<category><![CDATA[梁塵秘抄]]></category>
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		<category><![CDATA[浄土教]]></category>
		<category><![CDATA[猿楽]]></category>
		<category><![CDATA[絵巻物]]></category>
		<category><![CDATA[軍記物語]]></category>
		<category><![CDATA[院政]]></category>

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		<description><![CDATA[院政の時期の文化について考えてみます &#160; &#160; ・院政期の文化について &#160; 　・貴族文化が院政の時期になると、新しく出てきた武士や庶民などと、 　　その背景にある地方の文化を取り入れるようにな [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1139">院政の時期の文化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>院政の時期の文化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・院政期の文化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・貴族文化が院政の時期になると、新しく出てきた武士や庶民などと、</p>
<p>　　その背景にある地方の文化を取り入れるようになったので、</p>
<p>　　新鮮で豊かな文化が生まれたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・院政期の文化の概要について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・聖や上人などと呼ばれた民間で宗教を広める人が活躍したことで、</p>
<p>　　　浄土教の思想が広がった</p>
<p>　　　→そのため、浄土教の優れた美術が多かったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・浄土教の美術の例</p>
<p>　　　→・奥州藤原氏・・平泉の中尊寺金色堂</p>
<p>　　　　・陸奥・・白水阿弥陀堂</p>
<p>　　　　・九州豊後・・富貴寺大堂　etc</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・後白河法皇が、自分で今様を勉強して、「梁塵秘抄」というものを作った</p>
<p>　　　→このことから、貴族と庶民との文化に深い関わりがあったと言われている</p>
<p>　　　　※今様・・当時民間で流行した歌謡のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　→今様以外に、催馬楽や朗詠なども流行していた</p>
<p>　　　　※催馬楽・・歌謡の一種</p>
<p>　　　　　朗詠・・和漢の優れた句を吟じること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・田楽や猿楽と呼ばれる芸能が、庶民にも、貴族にもすごく流行し、</p>
<p>　　　様々な場所で演じられた</p>
<p>　　　※田楽・・田んぼに関する芸能のこと</p>
<p>　　　　猿楽・・滑稽なモノマネや言葉芸などのこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・当時の文学について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・「今昔物語集」という、インド、中国、日本の約１０００の説話を</p>
<p>　　　集めたものが作られた</p>
<p>　　　→今昔物語集は、武士や庶民の生活を上手に表現していると言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・「将門記」という、将門の乱を書いたものが作られた</p>
<p>　　</p>
<p>　　・「陸奥話記」という、前九年合戦についてを書いたものが作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝「将門記」や「陸奥話記」などは、軍記物語と言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・「栄華物語」や「大鏡」などと言う、和文体の優れた文章が書かれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝「栄華物語」や「大鏡」などは、歴史物語と言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※院政の時期以前は、物語文学が盛んだった　</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の絵画について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・大和絵の手法が絵巻物に使われた</p>
<p>　　　※絵巻物・・大和絵の方法に、絵と詞書を加えて、時間の進行を表現したもののこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・絵巻物の種類について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→・「源氏物語絵巻」というのが、貴族の重要に合わせて描かれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　・「伴大納言絵巻」というのは、都で起きた火事を取材したことについて描かれている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　・「年中行事絵巻」というのは、朝廷の年中行事を描いていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　・「鳥獣戯画」という、動物を擬人化して描かれた絵巻がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　・「信貴山縁起絵巻」という、風景や人物を上手に描いた絵巻がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・絵巻物以外の美術について</p>
<p>　　　→絵巻物以外に、「扇面古写経」の下絵などがある</p>
<p>　　　　※「扇面古写経」は、地方の社会や庶民の生活が描かれている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その他の文化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・その他として、厳島神社がある</p>
<p>　　　→厳島神社には、平家納経が残されている</p>
<p>　　　　※平家納経・・平清盛が一族の繁栄を願って、厳島神社に奉納した経巻のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→厳島神社は、平氏の勢いが盛んだったこと、貴族的な性格が強かったことなどを</p>
<p>　　　物語っていると言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・院政期の文化の概要、文学、美術、その他などを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1139">院政の時期の文化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>国風文化について　－文学・宗教・貴族・美術－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1129</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1129#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 16:10:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[かな日記]]></category>
		<category><![CDATA[八代集]]></category>
		<category><![CDATA[国風文化]]></category>
		<category><![CDATA[寄木造]]></category>
		<category><![CDATA[寝殿造]]></category>
		<category><![CDATA[御霊会]]></category>
		<category><![CDATA[末法思想]]></category>
		<category><![CDATA[本地垂迹説]]></category>
		<category><![CDATA[浄土教]]></category>
		<category><![CDATA[神仏習合]]></category>

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		<description><![CDATA[国風文化について考えてみます &#160; &#160; ・国風文化の時の文学について &#160; 　※日本は７世紀以降から、他の大陸からの文化（大陸文化）を受け入れてきていた &#160; 　・日本は、９世紀後半から [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1129">国風文化について　－文学・宗教・貴族・美術－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>国風文化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国風文化の時の文学について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※日本は７世紀以降から、他の大陸からの文化（大陸文化）を受け入れてきていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、９世紀後半から１０世紀の間に、他の大陸との関係が変わってきたため、</p>
<p>　　大陸文化が弱くなっていった</p>
<p>　　→その代わり、貴族社会を中心として、日本の風習や風土などに合う形の文化が出てきた</p>
<p>　　　＝このような文化のことを国風文化と言い、１０～１１世紀の文化が</p>
<p>　　　　国風文化だったと言われている</p>
<p>　　　　※国風文化は、優雅で洗練された文化という特徴があったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国風文化にできたものの特徴として、かな文字（平がなと片かな）というものがある</p>
<p>　　　※・平がな・・万葉がなというかなの草書体という書体を簡単にしたもの</p>
<p>　　　　・片かな・・漢字の一部分を取ったもの</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→平がなや片かなは、１１世紀の初めに広く使われるようになった</p>
<p>　　　＝そのため、日本人特有の感情を文字で伝えることができるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※どのような国文学がさかんになったのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・最初に、和歌がさかんになった</p>
<p>　　　→９０５年に紀貫之などによって、「古今和歌集」という最初の勅撰和歌集が編集された</p>
<p>　　　　※古今和歌集の歌の作風は、古今調と言われている</p>
<p>　　　　※「古今和歌集」から、「新古今和歌集」という歌集まで、合計８回編集された</p>
<p>　　　　　＝そのため、その８回の歌集をまとめて八代集という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・貴族が、重要な場所では昔と変わらず漢字だけで文章を書いていたが、</p>
<p>　　　その文章が和風になっていたと言われている</p>
<p>　　　※貴族は、１０世紀以降に朝廷での儀式や行事が重視されるようになったため、</p>
<p>　　　　儀式や行事の様子を漢字を使って、日記に細かく書いていた　　　</p>
<p>　　　　＝その中でも、藤原道長の「御堂関白記」という日記は有名だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・かなは、和歌以外の重要な場所で使われなかったものの、日常で使われるようになった</p>
<p>　　　→そのため、以下のようなかな文学の作品が出てくるようになった</p>
<p>　　　　・かな日記・・紀貫之という人が書いた「土佐日記」という作品が</p>
<p>　　　　　　　　　　　最初のかな日記だと言われている</p>
<p>　　　　・かな物語・・歌物語の「伊勢物語」や、伝説を題材にした「竹取物語」など</p>
<p>　　　　・源氏物語・・中宮の彰子という人に仕えた、紫式部という人の作品</p>
<p>　　　　　　　　　　　→宮廷の貴族の生活を題材にして書かれていると言われている</p>
<p>　　　　・枕草子・・皇后の定子という人に仕えた、清少納言という人の作品</p>
<p>　　　　　　　　　　→清少納言が宮廷での生活で体験したことを、</p>
<p>　　　　　　　　　　　随筆のように書いたと言われている</p>
<p>　　　　　※源氏物語と枕草子は、国文学の最高傑作だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・浄土信仰と宗教について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時（摂関時代）の仏教は、天台宗と真言宗の２つの宗が強力な勢いがあり、</p>
<p>　　貴族は、現世利益を欲しがっていたため、加持祈祷を行うことで、</p>
<p>　　２つの宗教と貴族が近づくようになった</p>
<p>　　　※・現世利益・・神や仏からもらえる、この世での利益のこと</p>
<p>　　　　・加持祈祷・・神や仏が人々を助けてもらえるように、お祈りをすること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・神仏習合の考え方が広がり、本地垂迹説という考え方も出てきた</p>
<p>　　　※・神仏習合・・仏と神を合わせてそれぞれの良いところを選び取る考え方のこと</p>
<p>　　　　・本地垂迹説・・仏が神という姿を借りてこの世に現れるという考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　※本地垂迹説によって、天照大神を大日如来とする考え方も出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・御霊の信仰が広まったため、御霊会がさかんに行われるようになった</p>
<p>　　　※・御霊会・・御霊信仰のためのお祭りのこと</p>
<p>　　　　・御霊信仰・・怨霊や疫神を祀ることで、疫病や飢饉などの災いから</p>
<p>　　　　　　　　　　　逃れようとする信仰のこと</p>
<p>　　　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・現世の不安から逃げようとする考え方が生まれた</p>
<p>　　＝その考え方に合っていたのが、浄土教という教派だったので、浄土教が流った</p>
<p>　　　※浄土教・・阿弥陀仏を信仰して、来世で極楽浄土に行き、</p>
<p>　　　　　　　　　そこで悟りを開いて苦しみが無くなるのを願う教えのこと</p>
<p>　　　　→１０世紀の半ばに、空也という人が京の市という場所で説いた</p>
<p>　　　　→その後、源信（恵心僧都）という人が「往生要集」という本を作り、</p>
<p>　　　　　念仏往生の教えを説明した</p>
<p>　　　　　＝この動きが結果的に、浄土教を広めることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・浄土教の信仰は、末法思想によって、より強くなっていった</p>
<p>　　　※末法思想・・釈迦が死んだ後に、正法、像法、という世の中を通って、</p>
<p>　　　　　　　　　　末法の世の中が来るという考え方のこと</p>
<p>　　　　→当時災いが多かったため、その状況が仏教の考える末法のようだ、ということで</p>
<p>　　　　　来世で救われたい人が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→信仰に成功したと信じられた人の伝記を集めた本を、慶滋保胤という人が</p>
<p>　　　「日本往生極楽記」という名前で作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国風文化の美術について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・寝殿造という家の造りになった</p>
<p>　　　※寝殿造・・白木造、檜皮葺などの特徴を持つ家の造りのこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・建物の内部は、以前は唐絵という絵が描かれていたが、</p>
<p>　　国風文化で大和絵という絵が描かれるようになった</p>
<p>　　　※大和絵の代表的な人に、巨勢金岡という人がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・来迎図という絵が積極的に描かれるようになった</p>
<p>　　　※来迎図・・極楽浄土に行こうとする人を迎えに行くために</p>
<p>　　　　　　　　　仏が来る場面を表現した図のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・建物の中で日常的に使うものに、蒔絵や螺鈿の技術が用いられるようになった</p>
<p>　　　※・蒔絵・・漆で絵を描いて、金や銀などの金属の粉を蒔きつける</p>
<p>　　　　　　　　　漆器の技術のこと</p>
<p>　　　　・螺鈿・・貝殻の真珠光という部分を磨いて、様々な形に切り、</p>
<p>　　　　　　　　　漆器に埋め込む技術のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・書道で、和様というスタイルが発達した</p>
<p>　　　※当時、三跡（蹟）と呼ばれる書道に優れた人が出てきた</p>
<p>　　　　→三蹟は、小野道風、藤原佐里、藤原行成のことを指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・藤原道長という人が、法成寺という寺を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・藤原頼道という人が、平等院鳳凰堂という建物を作った</p>
<p>　　→平等院鳳凰堂の本尊と呼ばれる部分には、定朝という人が作った阿弥陀如来像という像が</p>
<p>　　　置かれている</p>
<p>　　　※定朝は、寄木造という方法を完成させた</p>
<p>　　　　・寄木造・・仏像のパーツを何個かに分けて、別々に作り、</p>
<p>　　　　　　　　　　それを寄せ合わせて作る方法のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・貴族の生活について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・貴族の服について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・男性は、正装として束帯、束帯を簡単にしたものとして衣冠を用いていた</p>
<p>　　・女性は、女房装束（十二単）と呼ばれる服を用いていた</p>
<p>　　　→これらの服は、日本風で絹が使われていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・貴族の住宅と食事について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・寝殿造の家だった</p>
<p>　　・食事は基本的に質素で、獣肉が使われず、食事は１日２回が基本だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・貴族の儀式について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・男性は元服、女性は裳着という儀式を行い、１０～１５歳くらいで</p>
<p>　　　成人として扱われていた</p>
<p>　　　※男性は官職をもらって、朝廷に仕えるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・成人した貴族の多くは左京に住んでいて、京を離れて旅行するということが</p>
<p>　　　あまりなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・貴族は、運命や吉凶を気にしていたため、祈祷で災いを避けて、福を呼ぶことに努力した</p>
<p>　　　→日常の行動でも吉凶によって、多くの制限がかけられることがあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※吉凶に関しては、中国から入ってきた陰陽五行説にもとづいた</p>
<p>　　　　陰陽道の影響が大きかった</p>
<p>　　　　→そのため、天気や暦も吉凶に関連すると考えられるようになり、</p>
<p>　　　　　日によって行動が制限されることがあった</p>
<p>　　　　→さらに、いつもと違うことが起こると、吉凶を占って、物忌や方違を行ったりした</p>
<p>　　　　　・物忌・・引きこもったり、行動を制限したりと、慎むこと</p>
<p>　　　　　・方違・・凶の方角を避けて行動すること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→以上のように、吉凶を重視していたため、吉にならずに凶になった</p>
<p>　　　時の悲しみが大きかった</p>
<p>　　　＝そのため、来世ではよりよい運命になろうと考え、</p>
<p>　　　　浄土教をさらに信仰するようになっていった　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>ポイント</p>
<p>・国風文化の概要を押さえる</p>
<p>・国風文化の文学を押さえる</p>
<p>・国風文化の浄土信仰を押さえる</p>
<p>・国風文化の美術を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1129">国風文化について　－文学・宗教・貴族・美術－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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