<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; 産業報国会</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e7%94%a3%e6%a5%ad%e5%a0%b1%e5%9b%bd%e4%bc%9a/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e7%94%a3%e6%a5%ad%e5%a0%b1%e5%9b%bd%e4%bc%9a/feed" />
	<item>
		<title>満州事変と日中戦争をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2528</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2528#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 08 Mar 2014 18:31:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
		<category><![CDATA[二・二六事件]]></category>
		<category><![CDATA[五・一五事件]]></category>
		<category><![CDATA[南京虐殺事件]]></category>
		<category><![CDATA[国家総動員法]]></category>
		<category><![CDATA[大政翼賛会]]></category>
		<category><![CDATA[日中戦争]]></category>
		<category><![CDATA[毛沢東]]></category>
		<category><![CDATA[満州事変]]></category>
		<category><![CDATA[産業報国会]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=2528</guid>
		<description><![CDATA[満州事変 ・1931年9月18日に、柳条湖で、満州にいた日本軍（関東軍）が南満州鉄道の線路を爆破するということを起こした →この動きを関東軍は、「柳条湖での爆破は中国側がやったこと」として中国への攻撃を開始した ※この時 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2528">満州事変と日中戦争をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p><strong>満州事変</strong></p>
<p>・1931年9月18日に、柳条湖で、満州にいた日本軍（関東軍）が南満州鉄道の線路を爆破するということを起こした</p>
<p>→この動きを関東軍は、「柳条湖での爆破は中国側がやったこと」として中国への攻撃を開始した</p>
<p>※この時に、ほぼ満州全域を占領した（＝満州事変）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→満州事変の後、関東軍は清の最後の皇帝である溥儀を元首として「満州国」を作った</p>
<p>※満州国は、最初は日本政府も消極的だったが、軍部に従って満州国を認めた</p>
<p>＝実際に、恐慌に苦しむ農民を、日本から集団移住させた</p>
<p>※満州国の実権は日本人が握っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→満州事変に対して、中国は日本の侵略だとして国際連盟に訴えた</p>
<p>→国際連盟は、満州にリットン調査団を送って実情を調査した</p>
<p>＝その結果報告によって、満州国の承認の取り消しと、占領地からの日本軍の引き揚げを勧告する案を作成し、可決した</p>
<p>※日本は、可決が不満だった（42対1で負けている）</p>
<p>→そのため日本は1933年に国際連盟から脱退した</p>
<p>※加えて、1934年にワシントン軍縮条約を破棄し、1935年にロンドン軍縮会議から脱退して、国際社会から孤立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>満州事変の時の国内の動き</p>
<p>・満州事変によって、日本の国内に軍国主義の動きが高まった</p>
<p>→その影響で、2つの出来事が起きた</p>
<p>・1932年5月15日に、海軍の青年将校などが首相の犬養毅を襲って射殺した（＝<strong>五・一五事件</strong>）</p>
<p>・1936年2月26日に、陸軍の青年将校などが大臣などを殺して、一時的に東京の中心部を占拠した（＝<strong>二・二六事件</strong>）</p>
<p>→軍部は、上の2つの事件をきっかけに発言力を強めて、政治に深く介入した</p>
<p>※この時政府は、自由や平和の思想を治安維持法で厳しく取り締まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>中国国内の動き</p>
<p>中国国内では、<strong>国民政府</strong>（蒋介石）と<strong>中国共産党</strong>の内戦が続いていた</p>
<p>→その時に共産党は、毛沢東の指導のもとに、国民政府に対して内戦をやめ、協力して日本に対抗することを呼びかけた</p>
<p>※この考えは、中国国民の支持を受けた</p>
<p>＝結果的に、1936年に内戦は停止され、抗日運動が盛り上がった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※一方で日本は、華北にも手を伸ばそうとしていた</p>
<p>→そして、1937年7月7日に、北京郊外で日本軍と中国軍による衝突事件が起きた</p>
<p>＝この衝突事件をきっかけに、宣戦布告がないまま、<strong>日中戦争</strong>が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日中戦争の時の日本と中国の動き</p>
<p>・日本軍は、シャンハイや首都のナンキンを占領した</p>
<p>※ナンキンを占領する際、日本軍は多くの住民を殺害し、暴行を行った（＝<strong>南京虐殺事件</strong>）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国民政府と中国共産党は、抗日民族統一戦線を作って、日本の侵略に対抗した</p>
<p>→国民政府と中国共産党は、以下のようなことを行った</p>
<p>・国民政府：チョンチンに移動し、アメリカ、イギリス、ソ連などの援助を受けて戦いをつづけた</p>
<p>・中国共産党：農民の支持を得てゲリラ戦を続けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※日中戦争の裏で、朝鮮でも日本への抵抗が続いた</p>
<p>※満州などでも、朝鮮から脱出した人々によって朝鮮民族の独立を目指す戦いが進んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日中戦争からの日本の動き</p>
<p>・日本は、日中戦争が始まると、国家予算のほとんどが軍事費にあてられた</p>
<p>※この時に、国民は心身を鍛え、物資の不足に耐え、節約につとめ、戦争に協力しなければいけないと説かれた</p>
<p>→そのため、国家によって生活の仕方が決められていった</p>
<p>＝結果的に、1938年に<strong>国家総動員法</strong>が制定された</p>
<p>→国家総動員法によって、政府が議会の承認なしに国民生活全体を統制できるようになった</p>
<p>※その時に、以下のようなことが起きた</p>
<p>・国民が軍需工場で働かされた</p>
<p>・資金や物資が厳重に統制された</p>
<p>・生活必需品が配給制になった</p>
<p>・商品の価格統制が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※加えて当時の社会の動きとして、以下のようなことが起きた</p>
<p>・1940年に労働組合が解散させられ、<strong>産業報国会</strong>が作られた</p>
<p>・政友会や立憲民政党などの政党は自分から解散して、<strong>大政翼賛会</strong>にまとめられた</p>
<p>・大政翼賛会の下部組織として、隣組が作られた</p>
<p>※隣組は、住民同士の助け合いと同時に、住民同士の監視の役割も果たした</p>
<p>・政府は、朝鮮人を日本人に同化させる動きを一層見せた（＝<strong>皇民化政策</strong>）</p>
<p>・朝鮮人に、日本式の姓名を名乗らせ（＝創氏改名）、神社への参拝を強制した</p>
<p>※同化政策は、台湾でも行われた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2528">満州事変と日中戦争をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/2528/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/2528" />
	</item>
		<item>
		<title>戦時のための統制と人々の生活について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1308</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1308#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 08:48:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[人民戦線事件]]></category>
		<category><![CDATA[企画院]]></category>
		<category><![CDATA[価格等統制令]]></category>
		<category><![CDATA[内閣情報局]]></category>
		<category><![CDATA[国家総動員法]]></category>
		<category><![CDATA[国民精神総動員運動]]></category>
		<category><![CDATA[産業報国会]]></category>
		<category><![CDATA[臨時資金調達法]]></category>
		<category><![CDATA[輸出入品等臨時措置法]]></category>
		<category><![CDATA[電力国家管理法]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1308</guid>
		<description><![CDATA[戦争のための統制と人々の生活について考えてみます &#160; &#160; ・戦争のための統制と人々の生活について &#160; &#160; 　・広田弘毅内閣は大軍備拡張予算というのがきっかけで、 　　財政が軍事支出 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1308">戦時のための統制と人々の生活について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>戦争のための統制と人々の生活について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・戦争のための統制と人々の生活について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・広田弘毅内閣は大軍備拡張予算というのがきっかけで、</p>
<p>　　財政が軍事支出を中心に増えて行った</p>
<p>　　→さらに、この時に軍需に関する物資を大量に輸入したため、</p>
<p>　　　国際収支にも影響を与えるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日中戦争が始まってから、第１次近衛文麿内閣がさらに大量の金額の軍事予算を</p>
<p>　　作ると同時に、直接的な経済の統制を行った</p>
<p>　　→その時に、臨時資金調達法や輸出入品等臨時措置法などの法律を作った</p>
<p>　　　＝これらの法律を作ることで、軍需産業に資金や輸入した材料を集中して</p>
<p>　　　　投入することにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・経済統制が進む状況で、経済に関係する官僚が進出するようになった</p>
<p>　　→このような官僚は、軍部と手を組んで国防国家を作ろうとする動きが</p>
<p>　　　見られるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・戦争が進むにつれて、軍事費が毎年急激に増加した</p>
<p>　　→このような財政支出によって、増税が行われるようになったものの、</p>
<p>　　　財政の支出をカバーすることが出来なかった</p>
<p>　　→そこで、大量の赤字公債（借金）が作られ、借金の返済のために大量の紙幣が作られた</p>
<p>　　　＝そのため、インフレーションが進んでいった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３８年４月に国家総動員法という法律が作られた</p>
<p>　　→この法律によって、政府は議会の承認が無くても、戦争に必要な物資や労働力を</p>
<p>　　　動かすことが出来るようになった</p>
<p>　　　※この法律によって、政府が人々の生活をほとんどコントロールできるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国家総動員法と同じ時に、電力国家管理法という法律が作られた</p>
<p>　　→この法律によって、民間の電力会社を一つの国営の会社に統合することになった</p>
<p>　　　※この法律は、政府が民間企業への介入を進めるきっかけになったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３９年に、国家総動員法をもとにして、国民徴用令という法律が出された</p>
<p>　　→この法律によって、一般の国民が軍需産業で働かされるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・１９３８年から企画院というところで物資をどうするかという計画が作られた</p>
<p>　　＝その計画の結果、軍需品が優先的に作られることになった</p>
<p>　　　※企画院・・戦時中の動員についての計画、立案、調整などを行う</p>
<p>　　　　　　　　　内閣直属の機関のこと</p>
<p>　　　　→ただし、企画院は経済界から反対されて、１９４３年に出来た</p>
<p>　　　　　軍需省というところに吸収された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上のような状況だったので、重化学工業が中心だった当時の新興財閥だけでなく、</p>
<p>　　今まであった財閥も積極的に軍需品を作り始め、</p>
<p>　　国の政策に協力する形でものすごい利益を出した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時は、総力戦を意識した生産力の拡充計画も考えられた</p>
<p>　　※しかし、軍需の生産に必死で、計画を実行することはできなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・機械や鉄以外の金属の生産は、１９４４年までは軍需を中心にして上昇し続けた</p>
<p>　　→しかし、原材料の品質の低下、高性能な機械の輸入の途絶え、</p>
<p>　　　日本が大量生産の経験値が不足していたことなどが理由になって、</p>
<p>　　　一定の品質を保った生産が出来ないことが多かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、国内に向けた綿製品の生産や販売が禁止されるということが起きた</p>
<p>　　→当時は「不要不急」と言われ、民間で使うモノの生産や輸入が厳しく制限された</p>
<p>　　　＝結果的に、生活必需品が品不足になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで政府は、１９３９年１０月に国家総動員法にもとづいて、</p>
<p>　　　価格等統制令という法律を出した</p>
<p>　　　※この法律で公定価格制（政府が商品の値段を決めること）を取り入れて、</p>
<p>　　　　経済の統制をより厳しくした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国民には、「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません、勝つまでは」などの</p>
<p>　　スローガンを提唱して、徹底的に消費を切り詰めることを促した</p>
<p>　　</p>
<p>　　→消費の切り詰めを法律でも促すために、以下のような法律を作った</p>
<p>　　　・七・七禁令・・ぜいたく品の製造や販売を禁止する法律のこと</p>
<p>　　　・切符制・・砂糖やマッチなどの消費を制限する法律のこと</p>
<p>　　　・１９４１年に、お米を配給制にした</p>
<p>　　　・切符制が衣料にも適用されるようになった</p>
<p>　　　　→このようにして、生活必需品への統制が一気に強くなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・農民では、１９４０年から供出制が行われた</p>
<p>　　※供出制・・政府が強制的にお米を買い上げる制度のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・政府は、戦争のことを考えて、農民に生産を進めようとした</p>
<p>　　→そこで政府は、小作料を制限したり、生産者の米価を優遇したりして、</p>
<p>　　　地主の取り分を減らしていった</p>
<p>　　　※しかし、労働力や生産のための資材の不足などが原因で、</p>
<p>　　　　食糧の生産は１９３９年から低下し始めた</p>
<p>　　　　＝そこため、結局深刻な食糧難になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・戦争の体制を整えるために、国体論にもとづいての思想の統制や</p>
<p>　　社会主義と自由主義の思想に対する弾圧などがものすごく厳しくなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→思想をめぐっては、以下のようなことが起きている</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・日中戦争が始まってすぐに、文部省が「国体の本義」というものを発行して、</p>
<p>　　　　全国の学校や官庁に配った</p>
<p>　　　　→こうすることで、思想をコントロールしようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・植民地経済政策の研究者だった矢内原忠雄という東京帝大教授が</p>
<p>　　　　政府の政策を批判した</p>
<p>　　　　→そのため、大学を追われることになり、矢内原忠雄の本が発売禁止になった</p>
<p>　　　　　＝この出来事を矢内原事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・東京帝大の大内兵衛という人などを中心にした教授のグループが、</p>
<p>　　　　人民戦線という戦線を作ろうとしていたということで、検挙される</p>
<p>　　　　という事件が起きた</p>
<p>　　　　＝この事件を人民戦線事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第１次近衛文麿内閣は、１９３７年１０月から国家主義や軍国主義を提唱して、</p>
<p>　　節約や貯金などで国民が戦争に協力してくれるようにしてもらうことを考えた</p>
<p>　　→そこで、国民精神総動員運動という運動を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・総力戦に向けて、多くの労働者を動かすために、産業報国会の結成が進められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※産業報国会について</p>
<p>　　　・産業報国会・・労働者と資本家が一体になって国に協力するための</p>
<p>　　　　　　　　　　　労働団体の組織のこと</p>
<p>　　　・１９３８年に、資本家や労働者の幹部などが手を組んで、産業報国連盟が作られた</p>
<p>　　　・一方で、警察の指導でそれぞの職場に労働者と資本家が一体になった</p>
<p>　　　　産業報国会が作られた</p>
<p>　　　　※今まであった労働組合の一部も産業報国会に組み込まれた</p>
<p>　　　・１９４０年に、産業報国連盟が大日本産業報国会になった</p>
<p>　　　　→この時に、全ての労働組合が解散させられた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９４０年に、内閣情報局という機関を作った</p>
<p>　　→内閣情報局は、ラジオや映画などのマス＝メディアや、出版物や演劇などを</p>
<p>　　　総合的に統制して、戦争のためにこれらを使うという方針を取った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・戦時中の日本の統制の様子を押さえる</p>
<p>・統制の時の人々の生活について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1308">戦時のための統制と人々の生活について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1308/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1308" />
	</item>
	</channel>
</rss>
