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	<title>アラエス &#187; 田堵</title>
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	<item>
		<title>荘園の変化について　－延久の荘園整理令と荘園公領制－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1134</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1134#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 16:56:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[名主]]></category>
		<category><![CDATA[国衙領]]></category>
		<category><![CDATA[大江匡房]]></category>
		<category><![CDATA[宣旨枡]]></category>
		<category><![CDATA[延久の荘園整理令]]></category>
		<category><![CDATA[後三条天皇]]></category>
		<category><![CDATA[田堵]]></category>
		<category><![CDATA[荘園公領制]]></category>
		<category><![CDATA[記録荘園券契所]]></category>
		<category><![CDATA[郡・郷・保]]></category>

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		<description><![CDATA[荘園の変化について、延久の荘園整理令と荘園公領制を中心に考えてみます &#160; &#160; ・延久の荘園整理令と荘園公領制の流れについて &#160; &#160; 　※藤原頼道の娘に皇子が生まれなかった 　　→そ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1134">荘園の変化について　－延久の荘園整理令と荘園公領制－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>荘園の変化について、延久の荘園整理令と荘園公領制を中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・延久の荘園整理令と荘園公領制の流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※藤原頼道の娘に皇子が生まれなかった</p>
<p>　　→そこで、後三条天皇という人が天皇についた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・後三条天皇は、大江匡房などの学問の知識に優れた人材を使ったりすることで、</p>
<p>　　徹底的に日本の政治の改革を行った</p>
<p>　　※後三条天皇は、日本の政治の改革を行うなど、個性がすごく強かったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・後三条天皇は、荘園が増えたことによって、公領（国衙領）という土地を</p>
<p>　　圧迫していると考えた</p>
<p>　　→そこで、１０６９年に延久の荘園整理令という法律を作った</p>
<p>　　　※整理令については、国司に任せているので不徹底だったと言われている</p>
<p>　　　</p>
<p>　　※後三条天皇は、延久の荘園整理令を出した時に、升の大きさを一定にした</p>
<p>　　　＝この時の升を宣旨枡と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・延久の荘園整理令は、中央政府に記録荘園券契所という施設を作った</p>
<p>　　→その施設で、荘園の所有者から証拠となる書類（券契）と、</p>
<p>　　　国司の報告とを合わせて審査した</p>
<p>　　　＝その中で、年代が新しい、書類に不備がある、などのような、</p>
<p>　　　　基準に適さない荘園を停止した</p>
<p>　　　　※摂関家の荘園は例外ではなかったため、延久の荘園整理令はかなりの成果があった</p>
<p>　　　　　と言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→延久の荘園整理令によって、貴族や寺社が持つ荘園と、国司が持つ公領（国衙領）とが</p>
<p>　　　はっきり分かれるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・各地には、貴族や大寺社が支配する荘園が増えた</p>
<p>　　※しかし、国司が持っている公領もまだまだ多く残っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで、国司はその場所で力を伸ばしてきた豪族や開発領主に対して、</p>
<p>　　　国内を郡・郷・保などと呼ばれる新しい単位に組み替え、</p>
<p>　　　豪族や開発領主を郡司、郷司、保司に任命して税金の徴収を行わせた</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→国衙には、田所や税所などと呼ばれる行政組織を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→国司が派遣した目代に従う形で在庁官人が実際に事務を行うようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・在庁官人は、公領を在庁官人の共同の領地のように管理したり、</p>
<p>　　荘園領主に渡したり（寄進）した</p>
<p>　　→そのため、今までの律令制度のような国・郡・里のシステムが、</p>
<p>　　　荘園公領制に変わっていった</p>
<p>　　　※荘園公領制・・荘、郡、郷などが同じ立場で並ぶ荘園と、公領で構成される体制のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・整備された荘園や公領は、耕地のほとんどが名と呼ばれた</p>
<p>　　→名は田堵などの有力な農民に名が割り当てられることになった</p>
<p>　　　※田堵などの有力な農民は、名に対する権力が強くなっていったので、</p>
<p>　　　　名主と呼ばれるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→名主は、名の一部を隷属農民や作人などと呼ばれる農民に耕作させながら、</p>
<p>　　　年貢・公事・夫役などを開発領主などにおさめていたため、</p>
<p>　　　名主が農民の中心的な存在になった</p>
<p>　　　※年貢・・米や絹布などで納める</p>
<p>　　　　公事・・糸、炭、野菜などの手工業品や特産物を納める</p>
<p>　　　　夫役・・労役を提供する</p>
<p>　　　　　→これらを、名主が自分より下の農民に耕作させ、名主が徴収して領主に納めた</p>
<p>　　　</p>
<p>　</p>
<p>ポイント</p>
<p>・後三条天皇と延久の荘園整理令を押さえる</p>
<p>・荘園公領制と名主について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1134">荘園の変化について　－延久の荘園整理令と荘園公領制－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>荘園と国司について①　－国司の地方の支配－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1130</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1130#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 16:18:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[受領]]></category>
		<category><![CDATA[国司]]></category>
		<category><![CDATA[在庁官人]]></category>
		<category><![CDATA[官物]]></category>
		<category><![CDATA[延喜の荘園整理令]]></category>
		<category><![CDATA[成功]]></category>
		<category><![CDATA[田堵]]></category>
		<category><![CDATA[目代]]></category>
		<category><![CDATA[負名]]></category>
		<category><![CDATA[醍醐天皇]]></category>

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		<description><![CDATA[荘園について考えてみます &#160; &#160; ・国司の地方の支配について &#160; 　※１０世紀の初めは、律令体制が崩れてきていた時代だと言われている 　　→そこで政府は、以下のようなことを行って、律令を立て [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1130">荘園と国司について①　－国司の地方の支配－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>荘園について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国司の地方の支配について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※１０世紀の初めは、律令体制が崩れてきていた時代だと言われている</p>
<p>　　→そこで政府は、以下のようなことを行って、律令を立て直すことを目指した</p>
<p>　　　・９０２年に延喜の荘園整理令という法律を作り、違法な土地の所有を禁止した</p>
<p>　　　・班田の推奨をすることを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※しかし、戸籍や計帳、班田収受の機能がダメになってしまっていたので、</p>
<p>　　　租・調・庸で国家の財政を維持することが出来なくなってしまった</p>
<p>　　　→その状況が分かるものとして、以下のようなものがある</p>
<p>　　　　・阿波国の戸籍は、男が圧倒的に少ない状態で登録されていた</p>
<p>　　　　　＝調や庸を負担する男性の数を減らそうとする狙いがあったと考えられる</p>
<p>　　　　・三善清行という人が醍醐天皇に提出した「意見封事十二箇条」に、</p>
<p>　　　　　当時の混乱した様子が書かれている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→このような状況があったので、中央政府が以下のような行動を取った</p>
<p>　　　　・国司に、一定の額の税を納めることを義務とさせた</p>
<p>　　　　・その代わり、国司に自分の担当する国の統治を任せる、という方針を取ることにした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→以上のような流れから、国司や国衙の役割が大きくなった</p>
<p>　　　　※しかし、実務の仕事を国司が担当する分、郡家や郡衙の役割が小さくなっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国司について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その国の国司の中でもトップに立つ人は、受領と呼ばれるようになり、</p>
<p>　　政府に税を納めるための代行人のようになった</p>
<p>　　※受領の中には、自分の立場を使って、大量の利益を得ようとする人が多かったので、</p>
<p>　　　郡司や有力農民などに訴えられることが時々あった</p>
<p>　　　→受領の当時の様子について描かれたもので代表的なものに、以下のようなものがある</p>
<p>　　　　・藤原元命という人が「尾張国郡司百姓等解」によって訴えられた、ということがある</p>
<p>　　　　・藤原陳忠という人が述べたことについて書いてある「今昔物語集」が有名</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この時代には、受領の国司が成功や重任を行うようになった</p>
<p>　　※・成功・・国司が自分のお金で朝廷の儀式や寺を作ることなどを行う代わりに、</p>
<p>　　　　　　　　中央の官職に任命してもらうこと</p>
<p>　　　・重任・・国司が自分のお金で朝廷の儀式や寺を作ることなどを行う代わりに、</p>
<p>　　　　　　　　収入の多い官職に再任してもらうこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※受領以外の国司は、実務から排除されるようになり、遙任が盛んになった</p>
<p>　　　・遙任・・赴任しないで、国司としての収入だけを受け取ること</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・受領は、田堵と呼ばれる有力農民に、一定の期間田地の耕作を任せ、</p>
<p>　　官物と臨時雑役を課すようになった</p>
<p>　　→田堵の中には、国司と手を組んで大規模な経営を行った田堵が出てくるようになった</p>
<p>　　　＝このような田堵を、大名田堵と言う</p>
<p>　　　　※・官物・・租、調、庸の系統の税のこと</p>
<p>　　　　　・臨時雑役・・雑徭の系統の税のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　・課税の対象になる田地は、名という単位に分けられ、それぞれの名に負名という</p>
<p>　　請負人がつけられることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→以上のような流れによって、戸籍上の成人男性に課税する（調、庸など）スタイルから</p>
<p>　　土地を使って受領が負名から徴税するスタイルに変わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※さらに、１１世紀後半には、受領は交代のとき以外は自分の担当する国に行かなくなった</p>
<p>　　→その代わり、目代という国司の代理人を派遣して、在庁官人を使うことで</p>
<p>　　　政治を行うようになった</p>
<p>　　　・在庁官人・・現地で採用した下級の役人のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント<br />・国司がどのように地方を支配したかを押さえる<br />・国司と荘園についてを押さえる<br /><br />このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1130">荘園と国司について①　－国司の地方の支配－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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