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	<title>アラエス &#187; 石田梅岩</title>
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	<item>
		<title>江戸時代の庶民の思想について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1632</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1632#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:45:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[二宮尊徳]]></category>
		<category><![CDATA[井原西鶴]]></category>
		<category><![CDATA[安藤昌益]]></category>
		<category><![CDATA[庶民]]></category>
		<category><![CDATA[江戸時代]]></category>
		<category><![CDATA[石田梅岩]]></category>
		<category><![CDATA[西川如見]]></category>
		<category><![CDATA[近松門左衛門]]></category>

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		<description><![CDATA[江戸時代の庶民の思想について解説します &#160; ・江戸時代の庶民の思想の根底 　→江戸時代の身分制度の下で、町人は社会的に軽く見られていたが、経済が発達するにつれて、 　　町人独自の文化が作られていった &#038;nbsp [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1632">江戸時代の庶民の思想について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>江戸時代の庶民の思想について解説します</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・江戸時代の庶民の思想の根底</p>
<p>　→江戸時代の身分制度の下で、町人は社会的に軽く見られていたが、経済が発達するにつれて、</p>
<p>　　町人独自の文化が作られていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時生み出された文化とそれに携わった人の代表に、</p>
<p>　　井原西鶴、近松門左衛門、西川如見などがいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・井原西鶴－浮世草子（町人の社会の状況や人情を描いた物語のこと）を通して、</p>
<p>　　　　　　　世俗世界の人々の様子に深く共感した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・近松門左衛門－世話浄瑠璃を作って、男女が義理と人情の葛藤に苦しむ様子を表現した</p>
<p>　　　　　　　　　※義理－他人との関わりの時に、従って守るべき道理のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西川如見－町人には町人としての生き方があることを自覚するべきだと考え、</p>
<p>　　　　　　　町人の生き方を肯定した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→上のような流れを踏まえて、庶民の思想について考え、研究した代表的な人達に、</p>
<p>　石田梅岩、安藤昌益、二宮尊徳などがいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・石田梅岩－・町人の商業は、政治を助ける職業であり、大切だと考えた</p>
<p>　　　　　　　・町人が守るべき道徳として、正直と倹約を推奨した</p>
<p>　　　　　　　　※正直－自分と他人の所有を明確にすること</p>
<p>　　　　　　　　　　　　例：借りたものは返し、貸したものは返してもらう、など</p>
<p>　　　　　　　　　倹約－物惜しみではなく、人と物事を生かすために、財宝をむだにしないこと</p>
<p>　　　　　　　　→町人が正直と倹約を守ることは政治の一部を担うことだと考えた</p>
<p>　　　　　　　・石田梅岩は、道徳に関しては、武士と町人との間に上下は無いと考えた</p>
<p>　　　　　　　・石田梅岩は、朱子学をベースに神道や仏教を取り入れたものであり、</p>
<p>　　　　　　　　心学（石門心学）と呼ばれた</p>
<p>　　　　　　　・「都鄙問答」（とひもんどう）を書いた</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・安藤昌益－・人々全員が自ら畑を耕して（万人直耕）食べ、自分で布を織って</p>
<p>　　　　　　　（直織）着る平等な世界が理想と考えた</p>
<p>　　　　　　　　＝このような世界を、自然世と呼んだ</p>
<p>　　　　　　　・畑や布織りを他人に頼っている人がいる社会はダメだと考えた</p>
<p>　　　　　　　　＝このような世界を、法世と呼んだ</p>
<p>　　　　　　　→法世の社会を自然世に戻し、平等な世界を作るべきだと考えた</p>
<p>　　　　　　　・「自然真営道」を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・二宮尊徳－・農業は、天道と人道から成り立っていると考えた</p>
<p>　　　　　　　　※天道－物事の自らの働きのこと（天道は稲を成長させるが、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　同時に雑草も茂らせる）</p>
<p>　　　　　　　　　人道－人が行う行為のこと（雑草を抜き取って、稲の成長を助ける）</p>
<p>　　　　　　　・人々の欲望は天道であり、欲望を制し、倹約と勤労に</p>
<p>　　　　　　　　つとめることが人道だと考えた</p>
<p>　　　　　　　　→倹約と勤労の具体的な方法を分度と推譲と言う</p>
<p>　　　　　　　　　※分度－自分の経済力に応じて生活すること</p>
<p>　　　　　　　　　　推譲－分度で生まれた余裕を将来のために備えたり、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　貧乏で苦しむ人に譲ったりすること</p>
<p>　　　　　　　・今の自分たちは、祖先がいたから、今の自分がいる。</p>
<p>　　　　　　　　だから、祖先に感謝しないといけないと考えた</p>
<p>　　　　　　　　＝このような考え方を、報徳思想と言う</p>
<p>　　　　　　　　※分度と推譲は、人々が日々の生活で報徳を行うことであると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・井原西鶴が浮世草子、近松門左衛門が世話浄瑠璃、西川如見が町人の生き方の肯定をした</p>
<p>・石田梅岩が、正直と倹約を提唱した上で、心学を作り、都鄙問答を書いた</p>
<p>・安藤昌益が、万人直耕をなどを踏まえた上での自然世を推奨し、法世を否定し、</p>
<p>　自然真営道を書いた</p>
<p>・二宮尊徳が、農業は天道と人道から成り立つことを前提として、</p>
<p>　分度と推譲を提唱し、報徳思想を考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回の部分でポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1632">江戸時代の庶民の思想について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>化政文化の時の教育と儒学について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1236</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1236#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 24 Oct 2013 19:58:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[パワフルくん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[江戸時代後期]]></category>
		<category><![CDATA[古学派]]></category>
		<category><![CDATA[寛政異学の禁]]></category>
		<category><![CDATA[懐徳堂]]></category>
		<category><![CDATA[昌平坂学問所]]></category>
		<category><![CDATA[朱子学]]></category>
		<category><![CDATA[松下村塾]]></category>
		<category><![CDATA[石田梅岩]]></category>
		<category><![CDATA[藩学]]></category>
		<category><![CDATA[貝原益軒]]></category>
		<category><![CDATA[郷学]]></category>

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		<description><![CDATA[化政文化の時の教育と儒学について考えてみます &#160; &#160; ・当時の儒学と教育について &#160; &#160; 　・当時、幕府は儒学によって武士を教育することを考えていた 　　※しかし、１８世紀の後半に [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1236">化政文化の時の教育と儒学について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>化政文化の時の教育と儒学について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・当時の儒学と教育について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、幕府は儒学によって武士を教育することを考えていた</p>
<p>　　※しかし、１８世紀の後半に古学派、折衷学派、考証学派などの学問の派閥が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この状況で幕府は、寛政異学の禁という法律を作り、武士の教育のために</p>
<p>　　　朱子学を重視した</p>
<p>　　　※寛政の改革の時に、官立の昌平坂学問所という施設を作り、</p>
<p>　　　　そこで朱子学を教えていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・様々な藩で、藩の武士の教育のために藩学（藩校）という学校を作った</p>
<p>　　※藩学は、最初は儒学だけを行っていたが、後半は洋学や国学も</p>
<p>　　　行うようになっていった</p>
<p>　　　→この時に、年齢や学力に合わせた教育を行うという、学級制が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・城下町から遠い土地に、藩の援助を受けて藩の武士や庶民を教育する施設を作った</p>
<p>　　＝その施設のことを、郷学（郷校）という</p>
<p>　　　※郷学の代表的なものに、岡山の藩主だった池田光政という人が建てた</p>
<p>　　　　閑谷学校というものがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・民間レベルでも武士や学者などが私塾を開かれて、儒学を始めとした様々な</p>
<p>　　学問の講義が行われた</p>
<p>　　※代表的な私塾に、大坂の懐徳堂という私塾がある</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　→懐徳堂について</p>
<p>　　　　・１８世紀の初めに、大坂の町人達がお金を出し合って作られた</p>
<p>　　　　・寛政の改革の時に、中井竹山という人を学長にして、</p>
<p>　　　　　朱子学や陽明学などの講義を行った</p>
<p>　　　　・懐徳堂から、富永仲基や山片蟠桃という、変わった学者が出てきた</p>
<p>　　　　　※富永仲基と山片蟠桃は、合理主義という立場に立った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・その他の教育機関として、廣瀬淡窓という人の咸宜園や、</p>
<p>　　　吉田松陰という人の松下村塾などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・寺小屋という、庶民の教育機関が大量に出てきた</p>
<p>　　→寺子屋では、読み、書き、そろばんなどの日常で使える教育と、</p>
<p>　　　道徳教育などを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※寺子屋には、女性の講師もいて、女性の教育も行われた</p>
<p>　　　→その時に、貝原益軒という人の作品をもとにして作られた「女大学」という</p>
<p>　　　　女性の心得を説明するものもあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１８世紀の初めに、石田梅岩という人が心学という学問を作った</p>
<p>　　→石田梅岩は、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・儒教に仏教や神道を混ぜて、日常生活での倫理を解説した</p>
<p>　　　・「都鄙問答」という本を書き、商業と商人の大切さと、</p>
<p>　　　　徳目（倹約や正直などの徳の項目）を説明した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→心学は、弟子の手島堵庵や中沢道二という人達によって、全国に広められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　→庶民の教育は、出版が盛んになったことが後押しして、都市から農村にまで広がった</p>
<p>　　＝そのため、読みや書きなどの初等教育が、世界でもトップレベルになったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・当時の儒学教育の様子を押さえる</p>
<p>・当時の民間教育の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1236">化政文化の時の教育と儒学について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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