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	<title>アラエス &#187; 租・調・庸</title>
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		<title>律令国家の時の民衆について　－口分田と様々な負担－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1115</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1115#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 14:31:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[飛鳥時代]]></category>
		<category><![CDATA[五色の賤]]></category>
		<category><![CDATA[公出挙]]></category>
		<category><![CDATA[兵役]]></category>
		<category><![CDATA[口分田]]></category>
		<category><![CDATA[律令国家]]></category>
		<category><![CDATA[戸籍]]></category>
		<category><![CDATA[条里制]]></category>
		<category><![CDATA[班田収授法]]></category>
		<category><![CDATA[租・調・庸]]></category>

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		<description><![CDATA[律令国家の人々と口分田やその他の負担について考えてみます &#160; &#160; ・律令国家の時の人々について &#160; 　・律令国家の時、人々は戸主という人を代表者にした戸（郷戸）に所属する 　　というスタイル [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1115">律令国家の時の民衆について　－口分田と様々な負担－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>律令国家の人々と口分田やその他の負担について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・律令国家の時の人々について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・律令国家の時、人々は戸主という人を代表者にした戸（郷戸）に所属する</p>
<p>　　というスタイルで戸籍や計帳に登録された</p>
<p>　　→５０戸が１里になるように、里が作られた</p>
<p>　　　※・戸籍・・名前や課税の把握を目的として作られた文章の書類のこと</p>
<p>　　　　・計帳・・調と庸を振り分けるための帳簿のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・戸を単位として、口分田が分け与えられ、税を納めることが必要になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※口分田について</p>
<p>　　　・男子は２段（３６０歩）、女子は男子の３分の２、</p>
<p>　　　　奴婢は良民の男女のそれぞれ３分の１ずつが与えられた</p>
<p>　　　・戸籍が６年ごとに作られ、その戸籍に合わせて６歳以上の男女に</p>
<p>　　　　一定の口分田が与えられた</p>
<p>　　　・口分田の売買は禁止されていた</p>
<p>　　　・死んだ人の口分田は６年ごとの口分田を与える時に回収した</p>
<p>　　　　＝口分田について決められた、以上のようなルールのことをまとめて、</p>
<p>　　　　　班田収授法と言う</p>
<p>　　　　　※班田収授法には、豪族が土地や人民を支配するのではなく、</p>
<p>　　　　　　国家が直接人々を支配しようとする狙いがあったが</p>
<p>　　　　　　結果的には、官吏である地方豪族の協力が必要だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・当時は条里制という、土地の区分の制度が採用されていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・律令国家の時は、租、調、庸、雑徭などの負担が必要になった</p>
<p>　　（この時の負担は、男性のみだった）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※それぞれの負担について</p>
<p>　　　・租・・口分田で収穫した稲について、田１段につき２束２把（収穫の約３％）を</p>
<p>　　　　　　　中央政府に納める負担のこと</p>
<p>　　　・調・・絹や糸など、その土地の特産品を一定量中央政府に納める負担のこと</p>
<p>　　　・庸・・都での労役１０日間を行わない代わりに、布を２丈６尺中央政府に</p>
<p>　　　　　　　納める負担のこと</p>
<p>　　　　　　　→調と庸は、運脚（都まで運ぶ）の義務があった</p>
<p>　　　・雑徭・・６０日以下の地方での労役を行う負担のこと</p>
<p>　　　</p>
<p>　　※調、庸、雑徭には、年齢によって違いがあり、正丁、次丁、中男に分けられた</p>
<p>　　　・正丁・・２１～６０歳の男子のこと</p>
<p>　　　・次丁・・６１～６５歳の男子のこと</p>
<p>　　　・中男・・１７～２０歳の男子のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→年齢によるそれぞれの負担の違いについて</p>
<p>　　　　・調・・正丁は一定量、次丁は正丁の２分の１、中男は正丁の４分の１</p>
<p>　　　　　　　　→正丁だけは、染料なども納める必要があった</p>
<p>　　　　・庸・・正丁は布を２丈６尺、次丁は正丁の２分の１、中男は無し</p>
<p>　　　　　　　　→京と畿内は全員無かった</p>
<p>　　　　・雑徭・・６０以下の労役、次丁は正丁の２分の１、中男は正丁の４分の１、</p>
<p>　　　　　　　　　→後で雑徭は半減された</p>
<p>　　　　　　</p>
<p>　　　　　　</p>
<p>　・その他の負担について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・特別な制度として、出挙（公出挙）というものがあった</p>
<p>　　　※出挙・・国家が春に稲を貸し付けて、秋の収穫の時に、</p>
<p>　　　　　　　　高い利息と一緒に春に貸した稲を返す制度のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・兵役があった</p>
<p>　　　→・成年男子の３～４人に１人の割合で強制的に兵士として選ばれた</p>
<p>　　　　・兵士は、軍団という軍事組織で訓練を受けた</p>
<p>　　　　・兵士の一部は衛士や防人になった</p>
<p>　　　　　　※・衛士・・宮城の警備を行う人のこと</p>
<p>　　　　　　　・防人・・九州の沿岸を守る人のこと</p>
<p>　　　　・兵士の武器や食料は自分で用意することが原則だった</p>
<p>　　　　※兵士は、家族の労働力を取られるという意味で、人々に大きなダメージとなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・当時の民衆の中での身分制度について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・当時は良民と賎民に分けられた</p>
<p>　　　→賎民には、政府が管理する陵戸、官戸、公奴婢と、私有の家人、私奴婢の５種類がいた</p>
<p>　　　　＝この５種類のことをまとめて、五色の賎と言う</p>
<p>　　　　　※賎民の割合は人口の数％だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・律令国家の時の人々についてを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1115">律令国家の時の民衆について　－口分田と様々な負担－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>唐代の制度と文化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/795</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/795#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 07:51:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[東アジア千年史]]></category>
		<category><![CDATA[イラン人]]></category>
		<category><![CDATA[五経正義]]></category>
		<category><![CDATA[力役]]></category>
		<category><![CDATA[唐]]></category>
		<category><![CDATA[均田制]]></category>
		<category><![CDATA[州県制]]></category>
		<category><![CDATA[律令制度]]></category>
		<category><![CDATA[李白]]></category>
		<category><![CDATA[租・調・庸]]></category>
		<category><![CDATA[荘園]]></category>

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		<description><![CDATA[唐代の制度と文化について考えてみます &#160; &#160; ・唐代の制度と文化について &#160; &#160; 　・唐は、隋の制度をうけついだ 　　→その時の制度を、律、令、格、式という法制に基づく、整然とした [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/795">唐代の制度と文化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>唐代の制度と文化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・唐代の制度と文化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・唐は、隋の制度をうけついだ</p>
<p>　　→その時の制度を、律、令、格、式という法制に基づく、整然とした体形に作り上げた</p>
<p>　　　＝このような制度を、律令制度という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→中央には、三省（中書、門下、尚書）・六部（吏、戸、礼、兵、刑、工）・御史台を</p>
<p>　　　中心とする官制を用意し、地方には、州県制という制度を用意した</p>
<p>　　　※それぞれの担当には、以下のような役割があった</p>
<p>　　　　・中書省・・詔勅などの草案を作成</p>
<p>　　　　・門下省・・中書省の草案を審議</p>
<p>　　　　・尚書省・・門下省の審議が通った草案を執行</p>
<p>　　　　　　　　　　→尚書省には、吏（官吏の任用）、戸（財政）、礼（祭祀や文教）</p>
<p>　　　　　　　　　　　兵（軍事）、刑（司法）、工（土木）の六部が所属していた</p>
<p>　　　　・御史台・・行政監査を担当した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝このような政治の制度の根本は、成年男性に土地を均等に支給して（均田）、</p>
<p>　　　　穀物や絹布などの税や、力役（一定期間、役所などで働かせる義務労働）を課すという、</p>
<p>　　　　租・調・庸の税制だった</p>
<p>　　　　→この税制は、地主の力をおさえて、自作農に土地を与えてそれを国家が</p>
<p>　　　　　直接支配するという唐の基本的な原則を示していると言われている</p>
<p>　　　　　※実際に、完璧な均田制は難しかったが、一部では均田制が行なわれたことが</p>
<p>　　　　　　西域の文書から立証されている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→実際は、高級官僚の大土地所有は認められていた</p>
<p>　　　　→そのため、上級官職を占める貴族は、多くの荘園を持って、</p>
<p>　　　　　奴隷のように農民を使って耕作させていた</p>
<p>　</p>
<p>　　</p>
<p>　　・軍隊については、西魏の時代に始まった府県制が使われた</p>
<p>　　　→そのため、農民のなかから兵役を任された人が、一定期間、都の警護や辺境の守備を</p>
<p>　　　　行なうことになっていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・首都の長安は、皇帝の住む宮城から南にのびる大通りを軸に、</p>
<p>　　各種の施設が東西対称に配置させる広い都市計画だった</p>
<p>　　→この都市計画は、東アジアのそれぞれの地域の首都の建設のモデルになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→長安には、周辺の国々からの朝貢の使節、留学生、商人などが集まってきた</p>
<p>　　　＝この時に、以下のようなものが作られた</p>
<p>　　　　・仏教寺院や道教寺院</p>
<p>　　　　・キリスト教の一派の景教（ネストリウス派）や祆教（ゾロアスター教）の寺院</p>
<p>　　　　・マニ教の寺院　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※特に、ササン朝が滅亡した時には、多くのイラン人が長安に移住し、</p>
<p>　　　　ポロ競技などのイラン系風俗が流行した</p>
<p>　　　　＝イラン系風俗の流行は、当時の絵画や唐三彩の登記にも反映されていると言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　※中には、外国人がその才能を認められて官僚として用いられることもあった</p>
<p>　　　　　　→代表的な人に、唐に留学して安南節度使に登用され、</p>
<p>　　　　　　　李白らと交際した日本人の阿倍仲麻呂という人がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　＝このようにして、長安はアジアの様々な地域の人々を結ぶ国際色豊かな都市になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※一方で、海路の中国にいたる、アラブやイラン出身のムスリム商人も増えてきた</p>
<p>　　　　　→そのため、揚州や広州など、華中や華南の港町が発展していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・唐代には、仏教が帝室や貴族の保護を受けて栄えた</p>
<p>　　※玄奘や義浄などの人達は、インドから経典を持ち帰って、</p>
<p>　　　その後の仏教に大きな影響を与えたと言われている</p>
<p>　　　→仏教は、最初は異国の珍しいもの、という見方をされていたが、</p>
<p>　　　　段々と中国に根付いていった</p>
<p>　　　　＝その結果、浄土宗や禅宗などの特色ある宗派が作られていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・科挙の制度の整備に伴って、漢代からの訓詁学が改めて重視された</p>
<p>　　※その時に、孔穎達という人を中心に、「五経正義」というのが作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらに、科挙で詩作が重視されるようになった</p>
<p>　　→杜甫、李白、白居易などの人達は、独創的な詩風で、有名になっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　　＝唐代の中期からは、文化の各方面で、形式化してきた貴族趣味を脱し、</p>
<p>　　　個性的で力強い漢以前の手法に戻ろうとする気運が生まれてきた</p>
<p>　　　※その代表的なものに、以下のようなものがある</p>
<p>　　　　・韓愈や柳宗元の古文復興の主張</p>
<p>　　　　・呉道玄の山水画</p>
<p>　　　　・顔真卿の書法</p>
<p>　　　　　→これらは、漢以前の手法に戻った手法のさきがけだと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・唐代の制度についておさえる</p>
<p>・唐代の文化についておさえる</p>
<p>・唐代の制度と文化との関連についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/795">唐代の制度と文化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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