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	<title>アラエス &#187; 義和団事件</title>
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		<title>日本の海外展開と日露戦争についてまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2461</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2461#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 02 Feb 2014 17:29:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[明治時代中期]]></category>
		<category><![CDATA[ポーツマス条約]]></category>
		<category><![CDATA[日英同盟]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[日露講和条約]]></category>
		<category><![CDATA[満州]]></category>
		<category><![CDATA[社会主義者]]></category>
		<category><![CDATA[義和団事件]]></category>
		<category><![CDATA[開戦論]]></category>
		<category><![CDATA[非戦論]]></category>

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		<description><![CDATA[日露戦争前後の動き &#160; &#160; 日清戦争後に清の力は衰え、欧米の国々が清に力を伸ばしてきた →欧米の国々の清への進出に対抗するため、清の国内で政治の実現など改革を目指す動きが起きた ※ただし、保守派の反撃 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2461">日本の海外展開と日露戦争についてまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日露戦争前後の動き</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日清戦争後に清の力は衰え、欧米の国々が清に力を伸ばしてきた</p>
<p>→欧米の国々の清への進出に対抗するため、清の国内で政治の実現など改革を目指す動きが起きた</p>
<p>※ただし、保守派の反撃で改革は失敗した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→上記の流れの後、1900年に中国各地で義和団（反キリスト教の伝統的な宗教の流れをうけた組織）を中心とする外国人排斥運動が激しくなった</p>
<p>※この時に、鉄道やキリスト教の破壊、宣教師や外交官が殺される、など起きた</p>
<p>→そのため、欧米と日本が共同で軍隊を送って、義和団の動きをしずめた</p>
<p>→1901年には、清は賠償金の支払いと外国軍隊の駐留を認めた</p>
<p>＝これら一連の流れによる事件を、<strong>義和団事件</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日清戦争後に、ロシアは三国干渉によって日本が清に返還したリヤオトン半島の一部を借り、強大な軍事基地を作った</p>
<p>※ロシアは同時に、義和団事件の時に<strong>満州</strong>（中国の東北部）を占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>当時の日本は、韓国（元朝鮮）を支配しようとしていたため、ロシアの満州占領は恐れていた</p>
<p>→そこで日本は、ロシアの動きを恐れていたイギリスと手を組むことを考えた</p>
<p>＝結果的に、1902年に<strong>日英同盟</strong>が成立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>当時のロシアは、満州から撤兵せず、韓国にも勢力をのばそうとした</p>
<p>※そこで日本は、ロシアに以下の２つの交渉をした</p>
<p>・ロシアの満州での権益の拡大を認めさせる</p>
<p>・日本の韓国への支配権を認めさせる</p>
<p>→ロシアの動きを見て、日本国内ではロシアへの反感が高まり、大きく3つの考え方が出てきた</p>
<p>・多くの新聞：<strong>開戦論</strong>（すぐにロシアと戦うべき）</p>
<p>・政府系の新聞と財界：慎重論</p>
<p>・キリスト教徒（内村鑑三）や<strong>社会主義者</strong>（幸徳秋水）：<strong>非戦論</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→結果的に日本は、開戦に踏み切った（＝<strong>日露戦争</strong>）</p>
<p>※戦争は韓国と満州を戦場として行われた</p>
<p>※戦争は基本的に日本に有利だったが、日本もロシアも戦争を続けるゆとりがなくなった</p>
<p>→そこで日本は、アメリカに仲介を求め、1905年9月にアメリカのポーツマスで、日本とロシアとの間で<strong>ポーツマス条約</strong>（<strong>日露講和条約</strong>）を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日露戦争によって、以下の影響が見られた</p>
<p>・日本は大きな犠牲をはらったのに、賠償金が無かったため、国内で不満の声が上がった</p>
<p>・講和反対と戦争継続をさけぶ群集が、大臣の家、講和を支持する政府系新聞社などを襲撃する事件などを起こした</p>
<p>・日露戦争の勝利で、日本の東アジアでの影響力が大きくなった</p>
<p>・欧米が日本の力に対して警戒するようになった</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2461">日本の海外展開と日露戦争についてまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>日露対立とそれに伴う各国の動きについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1006</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1006#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 06:15:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代世界史]]></category>
		<category><![CDATA[ポーツマス条約]]></category>
		<category><![CDATA[仇教運動]]></category>
		<category><![CDATA[北京条約]]></category>
		<category><![CDATA[北京議定書]]></category>
		<category><![CDATA[扶清滅洋]]></category>
		<category><![CDATA[日英同盟]]></category>
		<category><![CDATA[日露同盟]]></category>
		<category><![CDATA[日露戦争]]></category>
		<category><![CDATA[義和団事件]]></category>
		<category><![CDATA[英露同盟]]></category>

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		<description><![CDATA[日露対立とそれに伴う各国の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・日露対立とそれに伴う各国の動きについて &#160; &#160; 　・中国分割の危機に直面していた時に、中国内部では民衆の排外運動が激し [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1006">日露対立とそれに伴う各国の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>日露対立とそれに伴う各国の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・日露対立とそれに伴う各国の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中国分割の危機に直面していた時に、中国内部では民衆の排外運動が激しくなっていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、中国内部で北京条約が出されたことで、キリスト教の布教が公認された</p>
<p>　　→しかし、布教活動が活発化すると、各地で反キリスト教運動が起きた</p>
<p>　　　＝この反キリスト教運動を仇教運動という</p>
<p>　　　　※特に、日清戦争後の欧米列強が華北へ強引に進出したことは、</p>
<p>　　　　　民衆の民族的な感情を高めたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・仇教運動の時に、義和団というのが生まれた</p>
<p>　　※義和団・・山東の自営的郷村組織を土台として生まれた宗教的な武術の集団のこと</p>
<p>　　　→義和団は、「扶清滅洋」を提唱して、鉄道や教会を破壊し、宣教師や信徒を排撃した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→義和団が北京の城内に入ると、清朝の保守排外派が、義和団の運動を利用して</p>
<p>　　　　各国に宣戦を布告した</p>
<p>　　　　※この時に各国は、在留外国人の保護を名目として共同で出兵を行った</p>
<p>　　　　　→この結果、日本とロシアを中心とする８か国の連合軍が北京を占領し、</p>
<p>　　　　　　在留外国人を救出した</p>
<p>　　　　　　＝この出来事を、義和団事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→１９０１年に負けた清は、北京議定書（辛丑和約）に調印して、</p>
<p>　　　　以下のようなことを認めた</p>
<p>　　　　・巨額の賠償金を支払った</p>
<p>　　　　・外国軍隊の北京の駐屯を認めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・義和団事件以後、ロシアは中国東北から撤兵せずに、朝鮮への圧力を強めていった</p>
<p>　　</p>
<p>　・日清戦争後の朝鮮は、１８９７年に国号を大韓帝国として皇帝の称号を用いた</p>
<p>　　→このようにすることで、朝鮮が独立国であることを示した</p>
<p>　　　※ただし日本とロシアは、ともに朝鮮の支配をもくろんで対立を深めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、イギリスやアメリカはロシアの南下政策を警戒していた</p>
<p>　　※しかし、当時のイギリスは南アフリカ戦争に一杯で、極東に兵を送る力が無かった</p>
<p>　　　＝そこでイギリスは、日英同盟を結んで、日本にロシアをおさえさせようとした</p>
<p>　　　　※この動きは、アメリカも支援した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、イギリスとアメリカの経済的な援助を背景に、ロシアに対して強硬方針をとった</p>
<p>　　→そこで日本は、１９０４年にロシアに宣戦した</p>
<p>　　　＝この宣戦によって起きた、日本とロシアとの戦いを日露戦争という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※日露戦争について</p>
<p>　　　　・日本は、奉天会戦や日本海海戦などで連勝したが、長期戦に耐えられるほどの</p>
<p>　　　　　経済力がなかった</p>
<p>　　　　・ロシアは、第１次ロシア革命が起きていたため、社会的な不安が高まっていた</p>
<p>　　　　　→そのため、日本とロシアは、アメリカ大統領のセオドア＝ローズヴェルト</p>
<p>　　　　　　という人が調停を結ばせた</p>
<p>　　　　　　＝その結果、１９０５年にポーツマス条約を結んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※ポーツマス条約では、以下のようなことが決められた</p>
<p>　　　　・日本が、韓国の指導権と監督権を得た　</p>
<p>　　　　・遼東半島南部の租借権を得た</p>
<p>　　　　・樺太（サハリン）の南半分の領有権などを得た</p>
<p>　　　　・南満州の鉄道利権を得た</p>
<p>　　　　　→日本は、東清鉄道支線の長春、旅順口間の利権を得て、</p>
<p>　　　　　　南満州鉄道株式会社を設立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ロシアに対する日本の勝利は、アジアの様々な民族の自覚を高めたと言われている</p>
<p>　　※その一方で、日本は欧米列強と並んで大陸への帝国主義的な進出を進めていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日露戦争後、日本とイギリスは日英同盟を維持しつつ、それぞれロシアと</p>
<p>　　１９０７年に日露同盟、英露同盟を結んだ</p>
<p>　　→これによって、日本の大陸進出が簡単になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・日露戦争についておさえる</p>
<p>・日露の対立に関する各国の動きをおさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1006">日露対立とそれに伴う各国の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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