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	<title>アラエス &#187; 荘園</title>
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	<item>
		<title>封建社会の誕生について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/835</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/835#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 14:47:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[不輸不入権]]></category>
		<category><![CDATA[封建的主従関係]]></category>
		<category><![CDATA[封建社会]]></category>
		<category><![CDATA[従士制]]></category>
		<category><![CDATA[恩貸地制度]]></category>
		<category><![CDATA[荘園]]></category>
		<category><![CDATA[農奴]]></category>

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		<description><![CDATA[封建社会の誕生について考えてみます &#160; &#160; ・封建社会の誕生について &#160; 　※封建社会とは・・封建的主従関係と荘園という２つの仕組みを土台として成り立つ社会のこと &#160; 　※封建社会 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/835">封建社会の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>封建社会の誕生について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・封建社会の誕生について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※封建社会とは・・封建的主従関係と荘園という２つの仕組みを土台として成り立つ社会のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※封建社会誕生までの流れ</p>
<p>　　・民族大移動の後の長い混乱期の間に、西ヨーロッパの商業と都市が衰えていき、</p>
<p>　　　以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　→・社会が自給自足を中心とした農業経済に変わっていった</p>
<p>　　　　・貨幣ではなく、土地や現物が価値を持つようになった</p>
<p>　　　　・度重なる外敵からの侵入が増え、外敵からの生命や財産を守るために、</p>
<p>　　　　　弱者が身近な強者に保護を求めた</p>
<p>　　　　　＝この動きの中で、封建的主従関係と荘園の制度が生まれてきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※封建的主従関係とは</p>
<p>　・当時、皇帝、国王、諸侯（大貴族）、騎士（小貴族）、聖職者などの有力者たちは、</p>
<p>　　自分の安全を守るためにお互いに政治的な結びつきを強めるようになっていった</p>
<p>　　→そこで、主君が家臣に封土（領地）を与えて保護をする代わりに、</p>
<p>　　　家臣は主君に忠誠を誓って軍事的奉仕の義務を負うというような、</p>
<p>　　　人と人との結びつきが生まれていった</p>
<p>　　　＝この結びつきの関係を封建的主従関係という</p>
<p>　　　</p>
<p>　　→封建的主従関係は、主君と家臣の個別の契約によって結ばれていたが、</p>
<p>　　　次第に世襲化していった</p>
<p>　</p>
<p>　　→西ヨーロッパの封建的主従関係は、双務的契約（主君と家臣の両方に契約を守る</p>
<p>　　　義務があること）が特徴だった</p>
<p>　　　※もし、主君が契約を違反した場合は、家臣には服従を拒否する権利もあった</p>
<p>　　　※また、一人で複数の主君を持つことも出来た</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　</p>
<p>　・封建的主従関係は、ローマの恩貸地制度とゲルマンの従士制に起源があり、</p>
<p>　　地域防衛の仕組みとして特にフランク王国の分裂以後、本格的に出現してきた</p>
<p>　　※・恩貸地制度・・土地の所有者が自分の土地を有力者に献上して有力者に</p>
<p>　　　　　　　　　　　保護してもらう体制にした後、改めて有力者から</p>
<p>　　　　　　　　　　　土地を恩貸地として貸してもらう制度のこと</p>
<p>　　　・従士制・・貴族や自由民の子弟が、他の有力者に忠誠を誓って従者になる慣習のこと</p>
<p>　</p>
<p>　　→一般的に、恩貸地制度と従士制にもとづく支配体制は地方分権的だった</p>
<p>　　　※中でも、多くの騎士を家臣として従えた大諸侯は国王に並ぶ権力を持って自立した</p>
<p>　　　　＝そのため、国王は実質的に大諸侯の一人と同じような感じだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・封建的主従関係を持つ有力者たちは、それぞれ大小の領地を所有し、</p>
<p>　　農民を支配する領主でもあった</p>
<p>　　＝領主のそれぞれの所有地を荘園という</p>
<p>　　　</p>
<p>　　※荘園について</p>
<p>　　　・荘園は、村落を中心に領主直営地、農民保有地、共同利用地から成り立つ</p>
<p>　　　・農民は、農奴と呼ばれる不自由身分で、移動の自由がなく、</p>
<p>　　　　結婚や相続の自由も制限された</p>
<p>　　　・農民は、賦役と貢納を領主に負った</p>
<p>　　　　※・賦役・・領主直営地で労働する義務のこと</p>
<p>　　　　　・貢納・・自分の保有地から生産物をおさめる義務のこと</p>
<p>　　　　　　※荘園には手工業者も住み、自給自足的な現物給付が支配的だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※農奴とは</p>
<p>　　　・農奴とは、ローマ帝政末期のコロヌスや、没落したゲルマンの自由農民の子孫で、</p>
<p>　　　　長い混乱期に身分の自由を失って、領主に保護を求めるようになった人々を指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　</p>
<p>　　※領主の権利</p>
<p>　　　・不輸不入権（国王の役人が荘園に入ったり課税したりするのを拒む権利）を持っていた</p>
<p>　　　・農民を領主裁判権によって裁いていた</p>
<p>　　　　＝領主は、荘園と農民を自由に支配することが出来ていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝以上のことから封建社会は、荘園を経済的な基盤として、　</p>
<p>　　その上に封建的な主従関係による階層構造を持つ</p>
<p>　　社会であったということが言える</p>
<p>　　※封建社会は、１０～１１世紀に成立して、中世西ヨーロッパの基本的な枠組みになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※ただし、封建社会では王権が貧弱で統一的権力になれなかったという特徴もある　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・封建社会の仕組みについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/835">封建社会の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>唐代の制度と文化について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/795</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/795#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 07:51:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[東アジア千年史]]></category>
		<category><![CDATA[イラン人]]></category>
		<category><![CDATA[五経正義]]></category>
		<category><![CDATA[力役]]></category>
		<category><![CDATA[唐]]></category>
		<category><![CDATA[均田制]]></category>
		<category><![CDATA[州県制]]></category>
		<category><![CDATA[律令制度]]></category>
		<category><![CDATA[李白]]></category>
		<category><![CDATA[租・調・庸]]></category>
		<category><![CDATA[荘園]]></category>

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		<description><![CDATA[唐代の制度と文化について考えてみます &#160; &#160; ・唐代の制度と文化について &#160; &#160; 　・唐は、隋の制度をうけついだ 　　→その時の制度を、律、令、格、式という法制に基づく、整然とした [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/795">唐代の制度と文化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>唐代の制度と文化について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・唐代の制度と文化について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・唐は、隋の制度をうけついだ</p>
<p>　　→その時の制度を、律、令、格、式という法制に基づく、整然とした体形に作り上げた</p>
<p>　　　＝このような制度を、律令制度という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→中央には、三省（中書、門下、尚書）・六部（吏、戸、礼、兵、刑、工）・御史台を</p>
<p>　　　中心とする官制を用意し、地方には、州県制という制度を用意した</p>
<p>　　　※それぞれの担当には、以下のような役割があった</p>
<p>　　　　・中書省・・詔勅などの草案を作成</p>
<p>　　　　・門下省・・中書省の草案を審議</p>
<p>　　　　・尚書省・・門下省の審議が通った草案を執行</p>
<p>　　　　　　　　　　→尚書省には、吏（官吏の任用）、戸（財政）、礼（祭祀や文教）</p>
<p>　　　　　　　　　　　兵（軍事）、刑（司法）、工（土木）の六部が所属していた</p>
<p>　　　　・御史台・・行政監査を担当した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝このような政治の制度の根本は、成年男性に土地を均等に支給して（均田）、</p>
<p>　　　　穀物や絹布などの税や、力役（一定期間、役所などで働かせる義務労働）を課すという、</p>
<p>　　　　租・調・庸の税制だった</p>
<p>　　　　→この税制は、地主の力をおさえて、自作農に土地を与えてそれを国家が</p>
<p>　　　　　直接支配するという唐の基本的な原則を示していると言われている</p>
<p>　　　　　※実際に、完璧な均田制は難しかったが、一部では均田制が行なわれたことが</p>
<p>　　　　　　西域の文書から立証されている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→実際は、高級官僚の大土地所有は認められていた</p>
<p>　　　　→そのため、上級官職を占める貴族は、多くの荘園を持って、</p>
<p>　　　　　奴隷のように農民を使って耕作させていた</p>
<p>　</p>
<p>　　</p>
<p>　　・軍隊については、西魏の時代に始まった府県制が使われた</p>
<p>　　　→そのため、農民のなかから兵役を任された人が、一定期間、都の警護や辺境の守備を</p>
<p>　　　　行なうことになっていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・首都の長安は、皇帝の住む宮城から南にのびる大通りを軸に、</p>
<p>　　各種の施設が東西対称に配置させる広い都市計画だった</p>
<p>　　→この都市計画は、東アジアのそれぞれの地域の首都の建設のモデルになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→長安には、周辺の国々からの朝貢の使節、留学生、商人などが集まってきた</p>
<p>　　　＝この時に、以下のようなものが作られた</p>
<p>　　　　・仏教寺院や道教寺院</p>
<p>　　　　・キリスト教の一派の景教（ネストリウス派）や祆教（ゾロアスター教）の寺院</p>
<p>　　　　・マニ教の寺院　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※特に、ササン朝が滅亡した時には、多くのイラン人が長安に移住し、</p>
<p>　　　　ポロ競技などのイラン系風俗が流行した</p>
<p>　　　　＝イラン系風俗の流行は、当時の絵画や唐三彩の登記にも反映されていると言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　　※中には、外国人がその才能を認められて官僚として用いられることもあった</p>
<p>　　　　　　→代表的な人に、唐に留学して安南節度使に登用され、</p>
<p>　　　　　　　李白らと交際した日本人の阿倍仲麻呂という人がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　＝このようにして、長安はアジアの様々な地域の人々を結ぶ国際色豊かな都市になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　※一方で、海路の中国にいたる、アラブやイラン出身のムスリム商人も増えてきた</p>
<p>　　　　　→そのため、揚州や広州など、華中や華南の港町が発展していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・唐代には、仏教が帝室や貴族の保護を受けて栄えた</p>
<p>　　※玄奘や義浄などの人達は、インドから経典を持ち帰って、</p>
<p>　　　その後の仏教に大きな影響を与えたと言われている</p>
<p>　　　→仏教は、最初は異国の珍しいもの、という見方をされていたが、</p>
<p>　　　　段々と中国に根付いていった</p>
<p>　　　　＝その結果、浄土宗や禅宗などの特色ある宗派が作られていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・科挙の制度の整備に伴って、漢代からの訓詁学が改めて重視された</p>
<p>　　※その時に、孔穎達という人を中心に、「五経正義」というのが作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらに、科挙で詩作が重視されるようになった</p>
<p>　　→杜甫、李白、白居易などの人達は、独創的な詩風で、有名になっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　　＝唐代の中期からは、文化の各方面で、形式化してきた貴族趣味を脱し、</p>
<p>　　　個性的で力強い漢以前の手法に戻ろうとする気運が生まれてきた</p>
<p>　　　※その代表的なものに、以下のようなものがある</p>
<p>　　　　・韓愈や柳宗元の古文復興の主張</p>
<p>　　　　・呉道玄の山水画</p>
<p>　　　　・顔真卿の書法</p>
<p>　　　　　→これらは、漢以前の手法に戻った手法のさきがけだと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・唐代の制度についておさえる</p>
<p>・唐代の文化についておさえる</p>
<p>・唐代の制度と文化との関連についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/795">唐代の制度と文化について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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