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	<title>アラエス &#187; 藤原清衡</title>
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		<title>院政について②　－院政の時期の様子－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1136</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1136#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 17:08:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[不輸・不入]]></category>
		<category><![CDATA[八条院領]]></category>
		<category><![CDATA[奥州藤原氏]]></category>
		<category><![CDATA[知行国の制度]]></category>
		<category><![CDATA[藤原清衡]]></category>
		<category><![CDATA[鎮護国家]]></category>
		<category><![CDATA[長講堂領]]></category>
		<category><![CDATA[院分国の制度]]></category>
		<category><![CDATA[院政]]></category>
		<category><![CDATA[院近臣]]></category>

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		<description><![CDATA[院政について、院政の時期の様子を考えてみます &#160; &#160; ・院政の時期の様子について &#160; 　・上皇のまわりには、院近臣と呼ばれる集団が集まり、院近臣が上皇の力を借りて、 　　収益の多い国の国司な [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1136">院政について②　－院政の時期の様子－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>院政について、院政の時期の様子を考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・院政の時期の様子について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・上皇のまわりには、院近臣と呼ばれる集団が集まり、院近臣が上皇の力を借りて、</p>
<p>　　収益の多い国の国司などの官職に任命されることがあった</p>
<p>　　　※・院司として上皇に従った近臣たちは、最初は朝廷での官職が</p>
<p>　　　　　さほど高いわけではなく、様々な国の国司を担当した人が多かった</p>
<p>　　　　・院近臣・・裕福な受領、后妃、乳母の一族などのこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・院政の時期に、知行国の制度、院分国の制度などが広がった</p>
<p>　　→そのため、公領が知行国主や国司の自分の土地（私領）のようになった</p>
<p>　　　＝この動きが、院政の経済を支える基盤になったといわれている</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※・院分国の制度・・院自身が国の収益を得る制度のこと</p>
<p>　　　　・知行国の制度・・上級の貴族に、知行国主として一つの国の支配権を与えて、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　その国からの収入を知行国主に与える制度のこと</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※なぜ、知行国の制度を作ったのか</p>
<p>　　　　・知行国主は、自分の子どもや近親の人などを国守に任命して、</p>
<p>　　　　　現地に目代を派遣して国の支配をした</p>
<p>　　　　　→この時に、貴族の給料を表面上は与えるとしておきながら実際は与えない</p>
<p>　　　　　　ということが起きたので、貴族の収益を確保する、という目的で</p>
<p>　　　　　　知行国の制度が作られることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・院政の時期には、寄進地系荘園も経済の基盤になった</p>
<p>　　→・鳥羽上皇の時代には、院のまわりに荘園の寄進が集まったり、</p>
<p>　　　　有力な貴族や大きな寺院への荘園の寄進なども増えた</p>
<p>　　　・上皇は、近親の女性と同じような待遇を与えた</p>
<p>　　　　→代表的なものに、八条院領、長講堂領などがある</p>
<p>　　　　　※・八条院領・・鳥羽法皇が皇女である八条院に伝えた荘園のこと</p>
<p>　　　　　　・長講堂領・・後白河法皇が長講堂に寄進した荘園のこと</p>
<p>　　　</p>
<p>　・不輸や不入の権を持っている荘園が一般的になって、</p>
<p>　　不入の権が警察権を排除するレベルまで拡大された</p>
<p>　　＝そのため、荘園の独立的な性格が強くなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・大寺院が多くの荘園を持ち、大寺院にいる下級の僧侶を僧兵として、国司と争ったり、</p>
<p>　　朝廷に強訴（訴えや要求をすること）をして要求を通そうとしたりした</p>
<p>　　※・興福寺の僧兵を奈良法師と言い、京都に入って強訴した</p>
<p>　　　・延暦寺の僧兵を山法師と言い、日吉神社の神輿をかついで強訴をした</p>
<p>　　　・興福寺を南都、延暦寺を北嶺と言う</p>
<p>　　　・大寺院は鎮護国家を提唱していた</p>
<p>　　　　→大寺院の上のような行動は、法ではなく実力で争うという、院政の時期の社会の特徴を　　</p>
<p>　　　　　表現していると言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・神や仏の権威を恐れた貴族は、大寺院の力に対抗することができず、</p>
<p>　　武士を使って警護や鎮圧を行わせた</p>
<p>　　＝このような動きがあり、武士が中央の政治の世界に進むきっかけになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・地方は、各地の武士が館という建物を作って、一族や地域などの結びつきを強めるようになった</p>
<p>　　※特に奥羽地方では、陸奥の平泉という場所を拠点にして、藤原清衡の力が強くなっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・奥州藤原氏は、清衡、基衡、秀衡の３代で約１００年の間、繁栄していった</p>
<p>　　※奥州藤原氏が行ったこと</p>
<p>　　　・金や馬などの産物の富で京都の文化を移入してきた</p>
<p>　　　・北の方の土地との交易によって、奥州独自の文化を育てた</p>
<p>　　　・奥州の２回の反乱の後に、奥州の藤原氏が勢力をきずくようになった</p>
<p>　　　・北の方の産物が都に持っていかれるようになった</p>
<p>　　　・藤原氏は金によって、平泉を中心に繁栄した　etc</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・院政の時期には、私的な土地の所有が行われるようになった</p>
<p>　・院、大寺社、武士などが独自な権力を持つようになり、権力が分かれていくようになった</p>
<p>　・社会を法律などではなく、実力で動かそうとする風潮が強くなっていった</p>
<p>　　→以上のような特徴を踏まえた当時の社会は、中世社会と言われるようになり、</p>
<p>　　　この時期から中世社会が始まったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・院政の時期の様子について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1136">院政について②　－院政の時期の様子－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>武士について②　－源氏の登場－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1133</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1133#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 16:49:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[前九年合戦]]></category>
		<category><![CDATA[在庁官人]]></category>
		<category><![CDATA[平忠常の乱]]></category>
		<category><![CDATA[後三年合戦]]></category>
		<category><![CDATA[東国武士団]]></category>
		<category><![CDATA[武家]]></category>
		<category><![CDATA[清和源氏]]></category>
		<category><![CDATA[源氏]]></category>
		<category><![CDATA[藤原清衡]]></category>
		<category><![CDATA[開発領主]]></category>

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		<description><![CDATA[武士について、源氏の登場について考えてみます &#160; &#160; ・源氏の登場について &#160; 　・１１世紀に、開発領主は自分の土地の拡大と保護を目指すことを考えた 　　→そこで、開発領主は貴族についていき [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1133">武士について②　－源氏の登場－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>武士について、源氏の登場について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・源氏の登場について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１１世紀に、開発領主は自分の土地の拡大と保護を目指すことを考えた</p>
<p>　　→そこで、開発領主は貴族についていき、その貴族の郎党になったり、</p>
<p>　　　在庁官人になったりして、自分達の力を拡大していくと同時に、</p>
<p>　　　地方の武士団として成長していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中央の貴族の血筋だった清和源氏や桓武平氏という氏族は、広範な地方の武士団を</p>
<p>　　コントロールして武家（軍事貴族）を作り、大きな力を持つようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※特に、摂津という地方にいて、清和源氏である源満仲という人と、</p>
<p>　　その子供である頼光と頼信の兄弟は、摂関家に接近することで、</p>
<p>　　摂関家に保護されるようになり、棟梁（集団のトップ）になって勢力を広げた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※１０２８年には、平忠常の乱という反乱が起き、この乱が房総半島に広がった</p>
<p>　　→その時に源頼信は、平忠常の乱という反乱を鎮圧した</p>
<p>　　　＝この出来事が、源氏が東北に進出するきっかけになったと言われている</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・陸奥では、豪族である安倍氏の勢力が強くなり、安倍氏は国司と戦うようになった</p>
<p>　　→そのような状況の中で、源頼信の子供である源頼義は陸奥守として、陸奥に行った</p>
<p>　　→その時に、源頼義の子供である源義家と一緒に東国の武士を引き連れて安倍氏と戦った</p>
<p>　　　＝この出来事を前九年合戦という</p>
<p>　　　　※この争いの時は、出羽の豪族の清原氏の協力を得て、安倍氏を倒した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、陸奥と出羽の２つの国で、清原氏が大きな力を持つようになった</p>
<p>　　※しかし、清原氏の中で紛争が起きるようになってしまった</p>
<p>　　　→そこで、陸奥守だった源義家が介入して、藤原（清原）清衡を</p>
<p>　　　　助けることで紛争を鎮めた</p>
<p>　　　　＝この出来事を後三年合戦という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、奥羽の地方では、以下のような動きが起きた</p>
<p>　　・藤原清衡の子孫による支配が続いた</p>
<p>　　・源氏が東国武士団という集団との関係を強くしていき、源氏が武家の棟梁として</p>
<p>　　　地位を築き上げた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・源氏を中心とした動きを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1133">武士について②　－源氏の登場－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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