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	<title>アラエス &#187; 蘭学</title>
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	<item>
		<title>幕末の思想について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1633</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1633#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 19:50:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想前期　－古代・中世・近世・幕末－]]></category>
		<category><![CDATA[シーボルト]]></category>
		<category><![CDATA[佐久間象山]]></category>
		<category><![CDATA[吉田松陰]]></category>
		<category><![CDATA[尊王攘夷論]]></category>
		<category><![CDATA[幕末]]></category>
		<category><![CDATA[杉田玄白]]></category>
		<category><![CDATA[横井小楠]]></category>
		<category><![CDATA[水戸学]]></category>
		<category><![CDATA[洋学]]></category>
		<category><![CDATA[蘭学]]></category>

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		<description><![CDATA[幕末の思想について解説します &#160; ・幕末の思想について 　※幕末の思想は蘭学がスタートだった &#160; &#160; 　・根底・・江戸幕府は、キリスト教を禁止して鎖国を行っていたため、 　　　　　　当時交流 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1633">幕末の思想について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>幕末の思想について解説します</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・幕末の思想について</p>
<p>　※幕末の思想は蘭学がスタートだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・根底・・江戸幕府は、キリスト教を禁止して鎖国を行っていたため、</p>
<p>　　　　　　当時交流していた外国はオランダ、中国、朝鮮だけだった</p>
<p>　　　　　　→その時に、外国の情報、特に西洋についての情報は</p>
<p>　　　　　　　オランダ人からしか得られなかった</p>
<p>　　　　　　　※そのため、オランダ人から西洋の文明について教えてもらった</p>
<p>　　　　　　　　＝これが蘭学の始まり</p>
<p>　　　　　　　※幕末以降は、オランダ語以外の言語（英語、ドイツ語、フランス語など）を</p>
<p>　　　　　　　　使って、西洋の学問が入ってくるようになった</p>
<p>　　　　　　　　＝これらをまとめて洋学と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・発展・・甘藷の栽培を進めた青木昆陽がオランダ語を学び始めたなど、</p>
<p>　　　　　　オランダ語を学ぶ学者が増えた前野良沢や杉田玄白らが</p>
<p>　　　　　　「解体新書」を作る</p>
<p>　　　　　　※「解体新書」は「ターヘル＝アナトミア」という本を訳したもの</p>
<p>　　　　　　　この時の翻訳で杉田玄白が苦しんだ様子は「蘭学事始」という</p>
<p>　　　　　　　本に書いてある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府の動き・・蘭学が普及すると同時に、蘭学の中から幕府に対する批判が</p>
<p>　　　　　　　　　生まれるようになってきたため、幕府は蘭学を警戒するようになった</p>
<p>　　　　　　　　　→そして、オランダの商館の医者だったシーボルトという人に、</p>
<p>　　　　　　　　　　医学を学んだ高野長英や渡辺崋山らは、</p>
<p>　　　　　　　　　　国際情勢についての知識も得ようとした</p>
<p>　　　　　　　　　　※その中でも、２人はモリソン号事件について触れ、</p>
<p>　　　　　　　　　　　高野長英が「戊戌夢物語」を、渡辺崋山が「慎機論」を書いて</p>
<p>　　　　　　　　　　　幕府の鎖国を批判したため、処罰された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後・・１８５４年に幕府は開国に踏み切り、自由貿易が始まった</p>
<p>　　　　　　　しかし、一方で尊王攘夷論が盛んになると同時に、</p>
<p>　　　　　　　藤田東湖らの水戸学が復古神道と一緒に尊王攘夷論に大きな影響を及ぼした</p>
<p>　　　　　　　→結果的に、尊王攘夷論は次第に倒幕論に変わっていき、</p>
<p>　　　　　　　　明治維新へと進んでいった</p>
<p>　　　　　　　※・尊王攘夷論・・天皇の権威を崇拝して外国を排除するべきだ、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　という考え方</p>
<p>　　　　　　　　・水戸学・・「大日本史」という本の編集をきっかけに誕生した教説のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　朱子学を中心として国学や神道も含まれ、尊王論を提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらにその後・・佐久間象山と横井小楠という人が自らの考え方を提唱した</p>
<p>　　→・佐久間象山・・清という国がアヘン戦争に負けたことに危機感を抱いたことから、</p>
<p>　　　　　　　　　　　日本は開国するべきだと考えた</p>
<p>　　　　　　　　　　→そこで、佐久間象山が、「東洋道徳、西洋芸術」が大切だと考えた</p>
<p>　　　　　　　　　　※ここでの芸術は、技術という意味で使われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・横井小楠・・堯や舜や孔子の考え方を明らかにすること、西洋の機械の技術を使うこと、</p>
<p>　　　　　　　　　　→この２つを使えば、道理を実現することができると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この２人は、</p>
<p>　　　「道徳は儒学をベースにすること、技術と知識は西洋のものを取り入れること」が</p>
<p>　　　重要だと考えた</p>
<p>　　　＝このような考え方を和魂洋才と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・もっとその後・・吉田松陰という人が現れた</p>
<p>　　・吉田松陰・・松下村塾を開いて、尊王攘夷論を提唱した</p>
<p>　　　　　　　　　→その時に、「天道も君道も一つの誠の字の外なし」と考えた</p>
<p>　　　　　　　　　　※ここでの誠は、生き生きした自分の純粋な心のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　→吉田松陰は、名誉や自分の欲を捨てて、誠になりきって、</p>
<p>　　　　　　　　　　　天道と一体になれれば、天皇に忠誠を尽くすことができると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・オランダによって蘭学が入ってきて、その後洋学が入ってくる</p>
<p>・青木昆陽などがオランダ語を学び始め、杉田玄白らによって解体新書が作られ、</p>
<p>　蘭学事始が描かれた</p>
<p>・幕府の批判に対して、特にモリソン号について、</p>
<p>　高野長英が「戊戌夢物語」、渡辺崋山が「慎機論」を書いた</p>
<p>・尊王攘夷論と藤田東湖の水戸学の勢いが盛んになったが、</p>
<p>　結果的に倒幕論になっていった</p>
<p>・佐久間象山が「東洋道徳、西洋芸術」を提唱し、</p>
<p>　佐久間と横井小楠が和魂洋才のように考えた</p>
<p>・吉田松陰が松下村塾を開き、尊王攘夷論を提唱し、誠を重視した</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1633">幕末の思想について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>化政文化の時の国学と洋学について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1235</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1235#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 24 Oct 2013 19:54:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[パワフルくん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[江戸時代後期]]></category>
		<category><![CDATA[シーボルト事件]]></category>
		<category><![CDATA[伊能忠敬]]></category>
		<category><![CDATA[国学]]></category>
		<category><![CDATA[平賀源内]]></category>
		<category><![CDATA[復古神道]]></category>
		<category><![CDATA[新井白石]]></category>
		<category><![CDATA[杉田玄白]]></category>
		<category><![CDATA[洋楽]]></category>
		<category><![CDATA[蘭学]]></category>
		<category><![CDATA[鳴滝塾]]></category>

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		<description><![CDATA[化政文化の時の国学と洋学について考えてみます &#160; &#160; ・国学について &#160; 　※国学とは・・「古事記」や「日本書紀」など日本に昔からある文学を研究する学問のこと &#160; 　 　・荷田春満 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1235">化政文化の時の国学と洋学について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>化政文化の時の国学と洋学について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国学について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※国学とは・・「古事記」や「日本書紀」など日本に昔からある文学を研究する学問のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・荷田春満や賀茂真淵などの人達は、日本の古代の考え方を研究した</p>
<p>　　※その時に、洋学、儒教や仏教などの外国から来た考え方も批判した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・本居宣長という人が「古事記伝」という本を書き、日本に昔からある精神に戻ることが</p>
<p>　　重要だと考えた</p>
<p>　　</p>
<p>　・平田篤胤という人が復古神道という神道を作り、儒教や仏教を批判した</p>
<p>　　※復古神道・・日本に昔からある純粋な信仰を重視する考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・塙保己一という人が和学講談所という施設を作り、「群書類従」という</p>
<p>　　シリーズの本を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・洋学について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※西洋の学問の研究は、日本が鎖国している状況だったので、研究自体が難しかった</p>
<p>　　→そのような状況の中で、西川如見や新井白石などの人達が</p>
<p>　　　洋学の先駆けになったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※新井白石の洋学への功績について</p>
<p>　　　・１７０８年に、イタリア人の宣教師のシドッチという人が</p>
<p>　　　　キリスト教を普及させる目的で日本に来た</p>
<p>　　　・シドッチは屋久島で捕まえられ、江戸小石川のキリシタン屋敷に閉じ込められて</p>
<p>　　　　５年後に死んでしまった</p>
<p>　　　　→その時に、新井白石はシドッチからいろいろ聞いて、</p>
<p>　　　　　「采覧異言」と「西洋紀聞」を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・８代将軍徳川吉宗が、漢訳洋書の輸入制限を緩めて、青木昆陽や野呂元丈などに</p>
<p>　　オランダ語を勉強させた</p>
<p>　　→そのため、洋学が蘭学として発達していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・蘭学がどのような活躍を見せたのか</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・蘭学を一番最初に取り入れたのが、医学だった</p>
<p>　　　→蘭学の成果として、前野良沢や杉田玄白などが書いた「解体新書」という本</p>
<p>　　　　が誕生したことが挙げられる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※医学は、元や明の医学を重視する考え方から、漢の時代の医学に戻ろうとする</p>
<p>　　　考え方が出てきた</p>
<p>　　　＝この考え方を、古医方という</p>
<p>　　　　→中でも、山脇東洋という人は、日本最初の解剖図録である</p>
<p>　　　　　「蔵志」という本を書いた</p>
<p>　</p>
<p>　　</p>
<p>　　・この後に、大槻玄沢や宇田川玄随という人達が出てきて、</p>
<p>　　　蘭学がさらに研究されるようになった</p>
<p>　　　→大槻玄沢は、「蘭学階梯」という蘭学の入門書を書き、</p>
<p>　　　　江戸に芝蘭堂という施設を作って、多くの生徒を持った</p>
<p>　　　→宇田川玄随は、「西説内科撰要」という本を書いた</p>
<p>　　　→大槻玄沢の門人だった稲村三伯という人が、「ハルマ和解」という辞書を書いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・平賀源内という人が出てきて、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　→・長崎で勉強した知識を使って物理学の研究を行った</p>
<p>　　　　・本草学を勉強した</p>
<p>　　　　・摩擦発電機（エレキテル）の実験をして、寒暖計などを作った</p>
<p>　　　　・戯曲や滑稽本などを書いた</p>
<p>　　　　・蘭学書で西洋の画法を勉強して、秋田に銅山の開発のために行った時に、</p>
<p>　　　　　西洋の画法を教えた　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・幕府は、１８世紀の半ばに天文方という役職を作り、天文や測地、洋書の翻訳などを行わせた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・天文の分野で、天文方の高橋至時という人に寛政暦という暦を作らせた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・測地の分野で、伊能忠敬という人に全国の沿岸を測らせて、</p>
<p>　　　「大日本沿海輿地全図」という地図を作らせた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・翻訳の分野で、蛮書和解御用という御用職を作り、蛮書和解御用に洋書を翻訳させた</p>
<p>　　　※蛮書和解御用は、天文方の高橋景保という人の意見で作られ、</p>
<p>　　　　後に蕃書調所という名前になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・オランダ語の通訳者の志筑忠雄という人が「暦象新書」という本を書いた</p>
<p>　　　→この本の中で、ニュートンの万有引力やコペルニクスの地動説を紹介した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・民間レベルでも蘭学の研究が行われた</p>
<p>　　　→１９世紀の前半に、２つの塾が作られ、多くの人材を育てた</p>
<p>　　　　・オランダ商館医だったドイツ人のシーボルトという人が、</p>
<p>　　　　　長崎の郊外に鳴滝塾という塾を作った</p>
<p>　　　　　　※シーボルトは、「日本」という本を書いた</p>
<p>　　　　・緒方洪庵という人が大坂に適塾（適々斎塾）という塾を作った</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※洋学の研究は、シーボルト事件や蛮社の獄などによって、規制を受けた</p>
<p>　　　　→そのため、幕府の外交政策の批判や政治に直接影響を与えることが無かった</p>
<p>　　　　→洋学の研究は、医学や地理学などの実学としての性格が強くなっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※シーボルト事件とは・・</p>
<p>　　　　・１８２８年にシーボルトが帰国する時に、持ち出しが禁止されている日本地図を</p>
<p>　　　　　持っていたために、国外追放の処分を受けた</p>
<p>　　　　・地図を渡した高橋景保を始めとした関係者も処罰された</p>
<p>　　　　　＝この出来事を、シーボルト事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※当時、佐久間象山という幕末に開国論を展開した人が、</p>
<p>　　　　「東洋道徳、西洋芸術」という考えを表明した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・国学について押さえる</p>
<p>・洋学について押さえる</p>
<p>・蘭学について押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1235">化政文化の時の国学と洋学について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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