幕末の思想について
幕末の思想について解説します
・幕末の思想について
※幕末の思想は蘭学がスタートだった
・根底・・江戸幕府は、キリスト教を禁止して鎖国を行っていたため、
当時交流していた外国はオランダ、中国、朝鮮だけだった
→その時に、外国の情報、特に西洋についての情報は
オランダ人からしか得られなかった
※そのため、オランダ人から西洋の文明について教えてもらった
=これが蘭学の始まり
※幕末以降は、オランダ語以外の言語(英語、ドイツ語、フランス語など)を
使って、西洋の学問が入ってくるようになった
=これらをまとめて洋学と言う
・発展・・甘藷の栽培を進めた青木昆陽がオランダ語を学び始めたなど、
オランダ語を学ぶ学者が増えた前野良沢や杉田玄白らが
「解体新書」を作る
※「解体新書」は「ターヘル=アナトミア」という本を訳したもの
この時の翻訳で杉田玄白が苦しんだ様子は「蘭学事始」という
本に書いてある
・幕府の動き・・蘭学が普及すると同時に、蘭学の中から幕府に対する批判が
生まれるようになってきたため、幕府は蘭学を警戒するようになった
→そして、オランダの商館の医者だったシーボルトという人に、
医学を学んだ高野長英や渡辺崋山らは、
国際情勢についての知識も得ようとした
※その中でも、2人はモリソン号事件について触れ、
高野長英が「戊戌夢物語」を、渡辺崋山が「慎機論」を書いて
幕府の鎖国を批判したため、処罰された
・その後・・1854年に幕府は開国に踏み切り、自由貿易が始まった
しかし、一方で尊王攘夷論が盛んになると同時に、
藤田東湖らの水戸学が復古神道と一緒に尊王攘夷論に大きな影響を及ぼした
→結果的に、尊王攘夷論は次第に倒幕論に変わっていき、
明治維新へと進んでいった
※・尊王攘夷論・・天皇の権威を崇拝して外国を排除するべきだ、
という考え方
・水戸学・・「大日本史」という本の編集をきっかけに誕生した教説のこと
朱子学を中心として国学や神道も含まれ、尊王論を提唱した
・さらにその後・・佐久間象山と横井小楠という人が自らの考え方を提唱した
→・佐久間象山・・清という国がアヘン戦争に負けたことに危機感を抱いたことから、
日本は開国するべきだと考えた
→そこで、佐久間象山が、「東洋道徳、西洋芸術」が大切だと考えた
※ここでの芸術は、技術という意味で使われている
・横井小楠・・堯や舜や孔子の考え方を明らかにすること、西洋の機械の技術を使うこと、
→この2つを使えば、道理を実現することができると考えた
→この2人は、
「道徳は儒学をベースにすること、技術と知識は西洋のものを取り入れること」が
重要だと考えた
=このような考え方を和魂洋才と言う
・もっとその後・・吉田松陰という人が現れた
・吉田松陰・・松下村塾を開いて、尊王攘夷論を提唱した
→その時に、「天道も君道も一つの誠の字の外なし」と考えた
※ここでの誠は、生き生きした自分の純粋な心のこと
→吉田松陰は、名誉や自分の欲を捨てて、誠になりきって、
天道と一体になれれば、天皇に忠誠を尽くすことができると考えた
ポイント
・オランダによって蘭学が入ってきて、その後洋学が入ってくる
・青木昆陽などがオランダ語を学び始め、杉田玄白らによって解体新書が作られ、
蘭学事始が描かれた
・幕府の批判に対して、特にモリソン号について、
高野長英が「戊戌夢物語」、渡辺崋山が「慎機論」を書いた
・尊王攘夷論と藤田東湖の水戸学の勢いが盛んになったが、
結果的に倒幕論になっていった
・佐久間象山が「東洋道徳、西洋芸術」を提唱し、
佐久間と横井小楠が和魂洋才のように考えた
・吉田松陰が松下村塾を開き、尊王攘夷論を提唱し、誠を重視した