化政文化の時の政治と社会に対する考え方について
化政文化の時の政治と社会に対する考え方について考えてみます
・当時の政治と社会の思想について
・18世紀の半ばに、封建社会を否定して、封建社会を変えていくべき
だという考え方が出てきた
※中でも、安藤昌益という人の「自然真営道」という本で強く批判されている
→安藤昌益は、全員が農耕を行うという自然の世を理想と考え、
武士が農民から奪う社会を否定した
・19世紀に、封建制の維持と変更の2つの立場を説明する現実的な考え方が出てきた
→どのような考え方があったのか
・海保青陵という人は、商業を見下す武士を批判して、
藩の財政は商工業に頼るべきと考えた
・本多利明という人は、西洋の国々と交流することで
国を豊かにしていくべきだと考えた
・佐藤信淵という人は、産業を国営化にして貿易を行うことで、
国が活発になると考えた
・儒学の中にある尊王思想(天皇を尊重する考え方)が、水戸学という学派などで主張された
※水戸学について
・水戸学とは・・水戸藩の「大日本史」という本の編纂の時にできた学派のこと
・朱子学に国学と神道を混ぜて、天皇の崇拝と封建的なスタイルの確立を行うのが
良いと考えた
・前期の水戸学は、力で社会をまとめる王よりも、徳で社会をまとめる王のほうが
良いという考え方が中心だった
・後期の水戸学は、徳川斉昭、藤田幽谷、藤田東湖、会沢安などの人達の
尊王攘夷論が中心だった
※尊王論・・天皇を敬うべきという考え方
攘夷論・・外国を排除して、鎖国を通すべきという考え方
・18世紀の半ばに竹内式部という人が、京都で公家に尊王論を説明した
→そのため、竹内式部が追放刑になった
=この出来事を、宝暦事件という
・山県大弐という人が、江戸で尊王論を説明した
→山県大弐は、幕府の政治がダメになっていることを指摘したという理由で死刑になった
=この出来事を、明和事件という
※しかし、基本的に尊王論は、幕府がダメだということではなく、
朝廷を敬うことで幕府の権力を守るべきだという考え方が主流だった
→特に、高山彦九郎という人は、尊王論の説明のために全国を回り、
蒲生君平や頼山陽も尊王論を説明した
※復古主義の立場から尊王論を考えた学者の人達は、
「将軍は天皇から委任されて政権を持っている」という考え方だった
→実際に将軍が天皇から仕事を委任されたのは、14代将軍徳川家茂という人が
京都に行ったのが最初だった
ポイント
・当時の社会や政治に対する考え方を押さえる
このあたりが今回のポイントです