化政文化と化政文学について
化政文化と化政文学について考えてみます
・化政文化について
・文化・文政時代を中心とした江戸時代後期の文化は、江戸が活発になったことで、
都市の人々が活発になり、都市の人々の力で文化が広まっていったと言われている
→そのため、江戸は全国の経済の中心地になり、多くの都市の人々を対象にした
町人文化という文化が盛り上がった
=この時代の文化を、文化・文政から一文字ずつ取って、化政文化という
※都市の繁栄によって、江戸の文化が全国に広がっていった
※教育と学問の分野では、幕藩体制に代わる何かを探す動きがあったと言われている
・化政文化の文学について
※化政文化の文学は、身近な政治や社会の出来事が題材だったこと、
出版や貸本屋などの普及があったことなどが影響して、
庶民に受け入れられていった
・当時の小説について
・浮世草子が衰退した後、草双紙や洒落本などの小説が流行した
・黄表紙という、風刺のきいた絵入りの小説が人気になった
※洒落本や黄表紙は、寛政の改革の時に厳しく取り締まられたため、
山東京伝という人は処罰されている
・滑稽本という本が流行した
※代表的な人に、式亭三馬や十返舎一九などがいる
・人情本(恋愛もの)が受け入れられるようになった
※代表的な作家に為永春水という人がいるが、天保の改革の時に処罰されている
・読本という本が出てきた
※上田秋成という人が読本を始めて、江戸の曲亭馬琴という人が読本で評判になった
→曲亭馬琴は、「南総里見八犬伝」という本を書いた
・当時の俳諧について
・18世紀の後半に、京都にいた蕪村(与謝蕪村)という人が、
絵画として描けるような句を詠んだ
・化政文化の時に、信濃にいた一茶(小林一茶)という人が、
農村の生活の気持ちを読んだ
・越後の鈴木牧之という人は、山東京伝や曲亭馬琴などの江戸の文化人と交流して、
「北越雪譜」という地誌を作った
・柄井川柳という人を選者にする、川柳というものが盛んになった
・太田南畝(蜀山人)や、石川雅望(宿屋飯盛)という人が代表的な作者だった
狂歌が盛んになった
※川柳や狂歌には、政治を行う人を批判したり、社会の皮肉を行う作品も多かった
・香川景樹などの桂園派という流派がはっきりとした和歌を作ったが
浸透しなかった
・当時の演劇について
・18世紀の前半に竹田出雲という人が出てきて、浄瑠璃の作品を作った
・天明のころに、近松半二という人が出てきた
※浄瑠璃は、歌舞伎が出てきたことで勢いを失ってしまった
→そのため浄瑠璃は、人形を操るのではなく、座敷で歌うスタイルに変わった
=この浄瑠璃を、唄浄瑠璃という
※当時の浄瑠璃の代表的な流派に、一中節、常盤津節、清元節などがある
ポイント
・化政文化の概要を押さえる
・化政文化の文学(小説、俳諧、演劇)などを押さえる
このあたりが今回のポイントです