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	<title>アラエス &#187; 開発主義</title>
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		<title>日本財政の類型化―2、開発主義国家型財政（2-1公共事業）</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/744</link>
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		<pubDate>Wed, 09 Oct 2013 01:54:39 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
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				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>2､開発主義国家型財政</p>
<p>1950年代中頃に入ると戦後復興も一段落しました。1956年、経済企画庁が『経済白書』の中で述べた「もはや戦後ではない」という文言にも表れているように、本格的な経済成長の局面を迎えることとなりました。これに伴って、政府の財政運営のあり方は、戦後復興のための財政から、経済成長のための財政へとシフトしていきました。後藤が指摘するように、「経済成長」を第一の目的とする長期的・系統的な国家介入のことを「開発主義」と呼びます(後藤下記参考文献、130頁)。時期区分的には、1950年代半ばから60年代半ばに相当します。以下では、前述の開発主義の定義を受け入れた上で、その中身を見ていきましょう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>2-1　公共事業</p>
<p>　開発主義について考える上では、まず公共事業が重要です。戦後直後の日本においての公共事業は、戦災からの復興、自然災害への対処、軍需産業から民需産業への転換など、重要な役割を担っていました。政治的にも、1946年に制定された日本国憲法では、軍事力の放棄が明記され、60年には日米安全保障条約も成立し、防衛関係費の重要性は急激に低下したため、その財源を公共事業に振り向けられるようになりました。</p>
<p>　高度成長期に入ると公共事業は、前節で触れたような戦後復興から企業の経済活動の基盤整備へと重点を移していきました。そのきっかけとなったのが1960年の所得倍増計画や62年の全国総合開発計画です。こうした国の経済計画の策定によって道路や港湾、鉄道、工業用地など、産業基盤への投資が拡大していきました。こうした政策が製造業や建設業の競争力強化につながりました。</p>
<p>この時期で重要なのは、第1に、民間の旺盛な需要に応じるための公共事業だったという点です。この時期はいわゆる「投資が投資を呼ぶ」状態で、公共事業による産業基盤整備が民間設備投資をいっそう有利にさせ、これが更なる公共事業を要請するという循環を作りました。つまり、民間設備投資を下支えする役割の公共事業だったのです。</p>
<p>　第2に重要なのは、公共事業を地域別にみると、関東、東海、近畿といった大都市に集中しているという点です(藤田下記参考文献、172-173頁、第14表を参照)。これは50年代半ばから60年代半ばの公共事業が、民間設備投資や人口の大都市集中、つまり大都市の大きな需要に対応して行われたことを反映しています。図3-1が示すように、高度成長による大規模な地域開発によって、労働力が第1次産業から第2・3次産業へと移動しています。これは言い換えれば、地方から大都市へと人口移動が起きたことを示します。地方から大都市へと人口移動が起きたということは、総務省統計局の『都道府県別人口増減率』をみても明らかです。</p>
<p>このような大都市集中配分は、1965年前後まで続くことになります。現在は公共事業と聞けば無駄であるという話になりがちですが、60年代中頃までは、旺盛な民間設備投資に応えるための重要な役割を果たしていたのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>以上をまとめると、50年代中頃から60年代中頃の公共事業の役割は、企業の旺盛な需要に応えるための、純粋に必要とされた公共事業でした。こうした公共事業の役割は、都市部への労働移動に伴う地方の過疎化の進行や高度成長の終焉、世界経済の不況などを背景に次第に変質していきます。これについてはケインズ主義型財政として別途詳述します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>図3-1</p>
<p> <br /><img src="http://ahlaes.com/wp-content/uploads/2013/11/image0011.png" alt="Image" width="599" height="378" /></p>
<p>出所：総務省統計局『産業,従業上の地位,男女別就業者数19-8-a』より作成</p>
<p>　<a href="http://www.stat.go.jp/data/chouki/19.htm" class="broken_link">http://www.stat.go.jp/data/chouki/19.htm</a>（閲覧日：2013年11月1日）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>参考文献、資料</p>
<p>・石弘光『現代税制改革史』東洋経済新報社、2008年、169-183、229-232、243-248頁</p>
<p>・井手英策『財政赤字の淵源―寛容な社会の条件を考える』有斐閣、2012年、122-157頁</p>
<p>・同上『日本財政　転換の指針』岩波書店、2013年、36-66頁</p>
<p>・後藤道夫『反「構造改革」』青木書店、2002年、130頁</p>
<p>・藤田武夫『現代日本地方財政史(中巻)』日本評論社、1978年、170-176頁</p>
<p>・藤田武夫『現代日本地方財政史(下巻)』日本評論社、1984年、頁</p>
<p>・宮本憲一『現代資本主義と国家』岩波書店、1981年、209頁</p>
<p>・総務省統計局『労働力調査年報』「19-8-a  産業，従業上の地位，男女別就業者数」<a href="http://www.stat.go.jp/data/chouki/19.htm" class="broken_link">http://www.stat.go.jp/data/chouki/19.htm</a>（閲覧日：2013年9月20日）</p>
<p>・『都道府県別人口増減率―総人口(大正9年～平成12年)』</p>
<p><a href="http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000000090004&amp;cycode=0">http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000000090004&amp;cycode=0</a> (閲覧日：2013年11月1日)</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/744">日本財政の類型化―2、開発主義国家型財政（2-1公共事業）</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<title>戦後から現在までの概観と時期区分―高度成長期（1955-1975）</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/670</link>
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		<pubDate>Fri, 04 Oct 2013 06:29:16 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[戦後・占領期]]></category>
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<p align="center"> </p>
<p>&nbsp;</p>
<p>2-1均衡財政期</p>
<p>　50年代中頃に入ると、本格的な経済成長の局面を迎えることとなりました。この経済成長は他の先進諸国に類をみないほどの成長率だったため、一般に「高度成長」と呼ばれています。高度成長がもたらされた要因としては、第1に日本経済の供給・需要の両サイドに源泉がありました。供給サイドでは、終戦後の海外からの帰国者とベビーブームを背景に、豊富な人口と高い教育水準が合わさって質の高い労働力が供給されました。また、家計の旺盛な貯蓄を背景に、設備投資が活発化することで生産能力を拡大しました。第2に、需要サイドの拡大も経済成長に重要な役割を果たしました。経済成長とともに賃金も順調に上昇したため、需要が急速に拡大した生産能力を十分に吸収し、高度成長の原動力となっていたのです。</p>
<p>　第3に、政府主導の成長政策も重要です。50年代中頃以降、政府は経済成長を最大の目的とし、それを推進する立場を明確にしました。具体的には、「経済自立5ヵ年計画」を作成し、重要な政策目標として「成長、投資、輸出」の3つを結び付け、それを支援することを打ち出しました。これを達成するための手段として、石は①租税および政府支出政策②金融政策③財政投融資の活用④総需要拡大政策の堅持⑤経済安定より成長を志向の5つにまとめています(下記参考文献、172頁)。これは、後藤の言うところの「開発主義」（下記参考文献、130頁）と呼ぶことができます。</p>
<p>　50年代中頃から60年代における高度成長と税・財政の関係については、詳細は改めて書くことにしますが、簡単にまとめると、財政は公共事業費や社会保障関係費などの増加によってそれなりに拡大を続けました。しかし、高度成長に支えられた自然増収によって財源は十分に賄われ、一般会計の均衡財政原則は堅持されました。他方の税制は、高度成長期の租税政策として、①一貫した減税政策②強力な租税誘因政策(優遇措置)が行われました。急速な成長に伴う国民の税負担の増大を背景に、政府は経済成長で年々増大するこの財源を、西欧諸国のように政府支出の拡大には用いず、減税に充当する政策を採用したのです。</p>
<p>60年代前半に入ると、景気の後退局面を迎えることで自然増収にもかげりが見られ、その後は高度成長を支えるための財源として、いよいよ公債発行の必要性が議論されるようになりました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>2-2財政運営の転換期</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>図2-1<br /><img alt="Image" src="http://ahlaes.com/wp-content/uploads/2013/10/image001.gif" /></p>
<p>注：普通国債の残高。18年度までは実績額。19、20年度は見込み額。</p>
<p>(出所：第59回『日本統計年鑑　平成22年』</p>
<p><a href="http://www.stat.go.jp/naruhodo/c1data/13_03_stt.htm" class="broken_link">http://www.stat.go.jp/naruhodo/c1data/13_03_stt.htm</a>)</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　65年は日本の財政にとって極めて重要な年でした。1947年の財政法制定以来、長期にわたって維持されてきた「公債不発行主義」からの転換、つまり初めて特例公債(赤字公債)が発行されたのです。図2-1が昭和41年（1966年）からのデータになっているのもそのためです。ここでの「公債不発行主義」は、一般会計における長期普通内国債に限定した狭義のものでしたが、それでも20年近くもそれを維持したことは注目に値します。</p>
<p>　公債発行の背景としては、景気過熱による国際収支の悪化から、金融の引き締めに転じたので不況期に入っており、法人税収が伸び悩んでいたことがあります。加えて、所得税を中心に減税も実施されていたために税収が明らかに不足していたのです。こうして65年度予算は当初は均衡予算でしたが、公債発行を盛り込んだ補正予算を組むことで歳入補填をし、更には財政による景気の下支えという政策手段としての役割も担うようになりました。翌年には当初予算から建設国債を発行し、有効需要の拡大を図るとされました。要するに、65年以降の日本の財政は、「国債を抱いた財政」という、新たな局面に入ったのです。</p>
<p>　とはいえ、政府は公債政策によるインフレや安易な公債依存に対する問題意識もあったため、建設公債の原則や市中消化の原則を堅持し、69年には「減債制度」も確立しました。更に翌年には「財政硬直化」打開のキャンペーンが打ち出され、66年後半から70年までの「いざなぎ」景気も相まって、公債依存度は急速に低下していきました。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>2-3経済構造の転換期</p>
<p>70年代に入ると「いざなぎ景気」も終わりを迎え、景気後退局面に入りました。この時期は国際社会においても大きな変化が生じており、日本もその影響を大きく受けました。例えば、日本経済の最初の混乱は71年のニクソンショックです。これによって戦後一貫して採用してきた1ドル＝360円の固定為替レートは308円に切り上げられた。この円切り上げは日本の輸出産業に少なからず影響を与え、実質成長率を低下させました。また、73年には第1次石油ショックが勃発し、スタグフレーションの局面を迎えました。更に74年には戦後初の実質成長率ゼロを記録しました。その後の回復力も弱く、以前のような力強い経済成長に戻ることはありませんでした。ここで高度成長の終焉を迎え、いわゆる「安定成長」へと移行していったのです。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>参考文献</p>
<p>・石弘光『現代税制改革史』東洋経済新報社、2008年、167-176、327-330頁</p>
<p>・後藤道夫『反「構造改革」』青木書店、2002年、130頁</p>
<p>・納富一郎、岩元和秋、中村良広、古川卓萬『戦後財政史』税務経理協会、1988年、109-111、204-209頁</p>
<p>・山口公生『図説　日本の財政』東洋経済新報社、2011年、354-356頁</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/670">戦後から現在までの概観と時期区分―高度成長期（1955-1975）</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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