<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
		xmlns:xhtml="http://www.w3.org/1999/xhtml"
>

<channel>
	<title>アラエス &#187; 開発領主</title>
	<atom:link href="http://ahlaes.com/post/tag/%e9%96%8b%e7%99%ba%e9%a0%98%e4%b8%bb/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://ahlaes.com</link>
	<description>－全ての人に学びの空間を－</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Oct 2025 02:10:23 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
		<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
		<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=3.8.41</generator>
<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/tag/%e9%96%8b%e7%99%ba%e9%a0%98%e4%b8%bb/feed" />
	<item>
		<title>武士について②　－源氏の登場－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1133</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1133#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 16:49:43 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[前九年合戦]]></category>
		<category><![CDATA[在庁官人]]></category>
		<category><![CDATA[平忠常の乱]]></category>
		<category><![CDATA[後三年合戦]]></category>
		<category><![CDATA[東国武士団]]></category>
		<category><![CDATA[武家]]></category>
		<category><![CDATA[清和源氏]]></category>
		<category><![CDATA[源氏]]></category>
		<category><![CDATA[藤原清衡]]></category>
		<category><![CDATA[開発領主]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1133</guid>
		<description><![CDATA[武士について、源氏の登場について考えてみます &#160; &#160; ・源氏の登場について &#160; 　・１１世紀に、開発領主は自分の土地の拡大と保護を目指すことを考えた 　　→そこで、開発領主は貴族についていき [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1133">武士について②　－源氏の登場－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>武士について、源氏の登場について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・源氏の登場について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１１世紀に、開発領主は自分の土地の拡大と保護を目指すことを考えた</p>
<p>　　→そこで、開発領主は貴族についていき、その貴族の郎党になったり、</p>
<p>　　　在庁官人になったりして、自分達の力を拡大していくと同時に、</p>
<p>　　　地方の武士団として成長していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・中央の貴族の血筋だった清和源氏や桓武平氏という氏族は、広範な地方の武士団を</p>
<p>　　コントロールして武家（軍事貴族）を作り、大きな力を持つようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※特に、摂津という地方にいて、清和源氏である源満仲という人と、</p>
<p>　　その子供である頼光と頼信の兄弟は、摂関家に接近することで、</p>
<p>　　摂関家に保護されるようになり、棟梁（集団のトップ）になって勢力を広げた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※１０２８年には、平忠常の乱という反乱が起き、この乱が房総半島に広がった</p>
<p>　　→その時に源頼信は、平忠常の乱という反乱を鎮圧した</p>
<p>　　　＝この出来事が、源氏が東北に進出するきっかけになったと言われている</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・陸奥では、豪族である安倍氏の勢力が強くなり、安倍氏は国司と戦うようになった</p>
<p>　　→そのような状況の中で、源頼信の子供である源頼義は陸奥守として、陸奥に行った</p>
<p>　　→その時に、源頼義の子供である源義家と一緒に東国の武士を引き連れて安倍氏と戦った</p>
<p>　　　＝この出来事を前九年合戦という</p>
<p>　　　　※この争いの時は、出羽の豪族の清原氏の協力を得て、安倍氏を倒した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、陸奥と出羽の２つの国で、清原氏が大きな力を持つようになった</p>
<p>　　※しかし、清原氏の中で紛争が起きるようになってしまった</p>
<p>　　　→そこで、陸奥守だった源義家が介入して、藤原（清原）清衡を</p>
<p>　　　　助けることで紛争を鎮めた</p>
<p>　　　　＝この出来事を後三年合戦という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、奥羽の地方では、以下のような動きが起きた</p>
<p>　　・藤原清衡の子孫による支配が続いた</p>
<p>　　・源氏が東国武士団という集団との関係を強くしていき、源氏が武家の棟梁として</p>
<p>　　　地位を築き上げた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・源氏を中心とした動きを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1133">武士について②　－源氏の登場－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1133/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1133" />
	</item>
		<item>
		<title>荘園と国司について②　－荘園の仕組み－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1131</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1131#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 16:37:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[平安時代]]></category>
		<category><![CDATA[不輸・不入]]></category>
		<category><![CDATA[初期荘園]]></category>
		<category><![CDATA[国免荘]]></category>
		<category><![CDATA[在庁官人]]></category>
		<category><![CDATA[墾田地系荘園]]></category>
		<category><![CDATA[官省符荘]]></category>
		<category><![CDATA[寄進地系荘園]]></category>
		<category><![CDATA[検田使]]></category>
		<category><![CDATA[荘園公領制]]></category>
		<category><![CDATA[開発領主]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://ahlaes.com/?p=1131</guid>
		<description><![CDATA[荘園の仕組みについて考えてみます &#160; &#160; ・荘園について &#160; 　※荘園とは・・貴族や寺社が私的に持っていた土地のこと &#160; 　・８～９世紀あたりに初期荘園という荘園が出てきた 　　※ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1131">荘園と国司について②　－荘園の仕組み－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>荘園の仕組みについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・荘園について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※荘園とは・・貴族や寺社が私的に持っていた土地のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・８～９世紀あたりに初期荘園という荘園が出てきた</p>
<p>　　※しかし、初期荘園は国司や郡司の制度に依存して経営されていたため、</p>
<p>　　　１０世紀までにほとんどの初期荘園が衰退していった</p>
<p>　　※初期荘園は、貴族や寺社が自分で開墾したり、墾田を買収したりすることで成り立っていた</p>
<p>　　　＝そのため、墾田地形荘園と呼ばれることがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１０世紀後半からは、国衙に臨時雑役などを免除されることで、</p>
<p>　　一定の土地を開発する人が増えてきた</p>
<p>　　＝このような人達は、１１世紀に開発領主と呼ばれるようになった</p>
<p>　　　→開発領主は、自分が開発した土地に対しての支配権を強くしていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・開発領主のほとんどは、在庁官人になって行政の道に進んだ</p>
<p>　　※中には、自分の土地にかかる税を逃れようとして、土地を中央政府で</p>
<p>　　　権力のある人に渡して（寄進して）その土地については、</p>
<p>　　　権力者を領主にしてしまうというような荘園を持つ人が出てくるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・渡された荘園の領主は領家と呼ばれるようになった　　</p>
<p>　　→領家が、渡された土地をさらに上の階級の人に渡すことがあった</p>
<p>　　　＝さらに上の階級で領主になった人は、本家と呼ばれるようになった</p>
<p>　　　※領家や本家の中で、実際に支配していた人を本所と呼んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・開発領主は荘官になって、自分の土地の個人的な支配をより強めていった</p>
<p>　　※荘官・・荘園の中の年貢の取り立てや治安維持などを行った職業のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→以上のように寄進が行われている荘園を、寄進地系荘園と言う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・以上のような荘園の中には、貴族や寺社の権力を利用して、中央政府に</p>
<p>　　不輸を認めてもらう荘園が増えてきた</p>
<p>　　※不輸・・政府から官物や臨時雑役の免除を認めてもらうこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国司（受領）によって、その国司が任期の時だけ不輸が認められた荘園が出てきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→中央政府に不輸が認めてもらえた荘園を官省符荘と言い、国司に不輸を認めて</p>
<p>　　　もらえた荘園を国免荘と言う</p>
<p>　　　※官省符荘は、政府が出した太政官符や民部省符というものによって認められていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、不輸の対象の土地や範囲について、開発領主と国司が対立するようになった</p>
<p>　　→そこで、開発領主は領家や本家の権力を使って、不入の権利を得る荘園が増えてきた</p>
<p>　　　※不入・・検田使などのような、国司に派遣されてきた人の立ち入りを禁止すること</p>
<p>　　　　検田使・・国の中の耕作の状況を調べて、官物や臨時雑役の負担の分量を</p>
<p>　　　　　　　　　決めるために国司が派遣した役人のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　＝不輸や不入の権利が広がっていったので、荘園での個人的な支配が</p>
<p>　　どんどん大きくなっていった</p>
<p>　　※この動きは、寄進地系荘園が広がることで、さらに進んだと言われている</p>
<p>　　※この動きの時に、国司は荘園をコントロールしようと考え始めたため、</p>
<p>　　　国司と荘園領主がより対立することになった</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・国司がどのように地方を支配したかを押さえる</p>
<p>・国司と荘園についてを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1131">荘園と国司について②　－荘園の仕組み－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://ahlaes.com/post/1131/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://ahlaes.com/post/1131" />
	</item>
	</channel>
</rss>
