アジアとアフリカの社会主義の国々の変化の様子について

閲覧数:2,277
投稿者:       投稿日時:2013/10/18 04:06      
(まだ評価されていません。)
コメント数: 0       お気に入り登録数:1

LINEで送る
Pocket

アジアとアフリカの社会主義の国々の変化の様子について考えてみます

 

 

・アジアとアフリカの社会主義の国々の変化の様子について

 

 ※当時、各国で様々な動きがあった

 

 

 

 ・中国では、1960年代後半から文化大革命の動きが続いていた

  

 ・1971年に毛沢東の後継者とみなされていた林彪という人が失脚した

  →すると、鄧小平など一部復活した旧幹部と、文化大革命推進はが対立する

   という不安定な状況になった

 

 ・1976年1月に周恩来首相が、9月に毛沢東が死ぬということが起きた

  →すると、華国鋒という首相が、江青(毛沢東の夫人)など

   文化大革命推進派(「四人組」)を逮捕して、党の主席を兼任した

   =これによって、1977に文化大革命が終了した

 

 ・華国鋒は、「四つの現代化」を推進し、文化大革命の犠牲者の名誉の回復を行った

  =この動きによって、中国の立ち遅れを克服していこうとした

   ※「四つの現代化」・・農業、工業、国防、科学技術の四種類の現代化を目指すこと

 

 

 

 ・1981年からは、鄧小平を中心とした新指導部が成立した

  →新指導部は以下のようなことを行った

   ・人民公社の解体と農業生産の請負制

   ・外国資本と技術の導入による開放経済

   ・国営企業の独立採算化

   ・一連の経済改革(社会主義市場経済)

   ・ソ連などの周辺国家との関係の改善

 

  →しかし、改革が急すぎて社会が混乱したことが理由で、

   改革への不満が学生や知識人の間に広がった

  →そこで、1989年に、学生や労働者が天安門広場に集まって、民主化を求めた

   ※この民主化の要求に対して、政府は武力でおさえつけた

    =この出来事を、天安門事件という

 

  →天安門事件の後に、趙紫陽総書記という人を解任して、江沢民を後任に任命した

   ※天安門事件で、中国は国際的にも厳しい批判を受けた

 

  →この事件のあと、中国では以下のような動きがあった

   ・経済改革と開放政策に意味はなかった

   ・1990年以降ASEANの国々との関係を正常化した

   ・1992年に韓国と国交を結んだ

   ・1997年に、イギリスから香港が返還された

   ・1997年に鄧小平が亡くなり、江沢民という人が最高指導者になった

   ・2002年には胡錦濤総書記などの新指導部が発足して、世代交代が進んだ

 

  →上のような事件の時に、中国の経済はかなりの勢いで成長していた

   ※1992年~2003年の年平均成長率は、他国よりも圧倒的に高かった

   ※沿岸の都市部は、高層ビルが立ち並ぶほど、社会や文化の面で

    先進地域のような動きが見られた

 

 

 

 

 

 

 ・モンゴル人民共和国は、ソ連社会主義圏に属していた

  →モンゴルは、ペレストロイカやソ連の解体と並行する形で、

   1990年に自由選挙が行なわれた

   =1992年には、社会主義体制を終了し、国名がモンゴル国になった

 

 

 

 

 ・南北統一後のベトナムは、南部の社会主義化についての混乱や、

  カンボジアへの介入による経済活動の低迷が起きた

  →すると、南部から船で脱出する人々が難民になって、国際問題になった

   =しかし、1986年に、「ドイモイ」(刷新)政策のもとで、

    ベトナムは緩やかに市場開放に向かった

    ※これに加え、原油生産の成功によって経済状況が良くなった

 

 

 

 

 ・カンボジアでは、ポル=ポトが指導した民主カンプチアが、

  農業を土台に閉鎖的な共産主義社会の建設を行った

  ※この時に、反対する人々を多く処刑した

   →この動きに批判する反ポル=ポト派を支援して、ベトナムは1978年の終わりに

    カンボジアに軍を派遣した

    =結果的に、ヘン=サムリンという人を元首とする

     カンボジア人民共和国を誕生させた

 

  ※民主カンプチアを支持していた中国は、ベトナムの行動を非難して、1979年2月に、

   ベトナムに対して軍事行動を起こした

   =この出来事を中越戦争という

    →この戦争で、中国はすぐに撤退した

 

 ・その後、1989年にベトナム軍が撤退した

  →さらにその後、1991年にカンボジアの両方の派閥の間で和平協定が調印された

  →そして、1993年の総選挙で憲法制定議会が成立して、新憲法が採択された

   =結果的に、シハヌークという人を国王とするカンボジア王国が誕生した

 

  ※1998年には、ポル=ポトが亡くなり、ポル=ポト派が壊滅することで、

   内戦が終わった

 

 

 

 

 ・エチオピアでは、1974年に、軍部のクーデタによってハイレ=セラシエ皇帝という人の

  専制と貴族制が倒されるということが起きた

  ※この時に、社会主義が宣言された

   →しかし、経済の改革には失敗し、多くの難民が出てしまった

    =そのため、1991年にエリトリア戦線などの反政府勢力による攻撃で、

     社会主義政権が終了した

 

 

 

 

 ・朝鮮民主主義人民共和国は、独自の閉鎖的な社会主義体制を維持している

  →1991年に国際連合に加盟した

  →1994年に金日成が亡くなった後に、長子の金正日という人が後継者になった

 

  →ソ連の崩壊後に、石油の輸入が激減した

   ※そのため、農工業の生産が低迷して、食料危機などが起きたと言われている

 

  =結果的に、2000年に南北両方の朝鮮の首脳会議が実現するなど、

   関係の改善の方向が出てきたと言われている

 

 

ポイント

・アジアとアフリカの社会主義の国々の変化の様子についておさえる

・中国、モンゴル、ベトナム、カンボジア、エチオピア、朝鮮民主主義人民共和国についておさえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

閲覧数:2,277
LINEで送る
Pocket


(この記事はまだ評価されていません)
Loading ... Loading ...
投稿者:
投稿日時2013/10/18 04:06

コメント数: 0
お気に入り登録数:1




コメントを残す