雄藩の誕生について -薩長土肥の活躍-

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投稿者:       投稿日時:2013/10/25 03:57      
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雄藩の誕生について考えてみます

 

 

・雄藩の誕生とその流れについて

 

 

 ・様々な藩では、中級や下級の武士の中で優秀な人を使って、

  財政の再建と藩の権力の強化を目指そうとしていた

  =この動きを藩政改革という

 

 

 

 

 

・それぞれの藩はどのような動きがあったのか

 

 

 

 ・鹿児島(薩摩)藩

  

  ・調所広郷という人が、1827年から以下のような改革を始めた

   →・三都の商人からの借金を一時的にほっといた

    ・奄美大島産の黒砂糖の専売を強化した

    ・琉球王国と貿易を行った

     =このようなことをして、藩の財政を復活させようとした

 

   ※琉球王国との貿易について

    ・幕府は、長崎貿易で清との俵物貿易を独占する状況を続けていた

    ・そこで、薩摩藩は松前藩から長崎に向かう途中の船にあった俵物を買った

     →このようにして買った俵物を、琉球王国を通して清の国に売るという

      密貿易を行って利益を得ていた

 

  ・島津斉彬という人が鹿児島に反射炉という装置を作り、造船所やガラス製造所を建てた

 

  ・島津忠義という人がイギリス人技師の指導によって紡績工場を作った

   ※この時に、長崎の外国人商人のグラバーという人から洋式の武器を買った

    →このようにすることで、軍事力を高めていこうとした

 

 

 

 ・萩(長州)藩

   

  ・村田清風という人が大量の借金を整理して、紙と蝋の専売制を強化した

 

  ・様々な国の廻船に積んである、大坂の問屋などに運ばれる予定だった

   商品(越荷)を買った

   →その時に、越荷方という役職を置き、自分達が買った越荷を売ることで

    収益を出し、財政を再建させた

 

  

 

 ・佐賀(肥前)藩

 

  ・佐賀藩の藩主だった鍋島直正という人が均田制を行い、

   直轄地の小作料を納める期間を延長したり、

   町人の地主が持っている土地の一部を藩に返還させたりした

    →このようにすることで、本百姓の体制を復活させようとした

     ※均田制・・土地を国有にして、耕作者に均等に土地を分け与える制度のこと

 

  ・陶磁器の専売制を強化して、藩の財政をより豊かなものにした

 

  ・反射炉を備えた大砲製造所という施設を作り、洋式の軍事工業の導入を行うことで、

   藩の権力を強化した

 

 

 

 ・高知(土佐)藩

 

  ・「おこぜ組」と呼ばれる改革を目指す派閥が支出を減らして、

    財政の再建と軍事力の強化を行った

 

 

 

 ・水戸藩

 

  ・水戸藩の藩主の徳川斉昭という人が改革のための努力をしたが、

   水戸藩の内部にいる保守派が反対したため、改革が成功しなかった

 

 

 →上のように、改革に成功した薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩という4つの大きな藩を

  薩長土肥と言うことがある

 

  ※薩長土肥以外にも、伊達宗城の宇和島藩や、松平慶永の越前藩などが

   藩の権力の強化を成功させた

 

 

 

 

 →以上のような改革に成功した藩は、西国の雄藩ということで、

  幕末の時に強い発言力を持つようになった

  ※雄藩・・勢力の強い藩のこと

 

 

  ※幕府も、末期には代官の江川太郎左衛門という人に命令して、伊豆韮山という場所に

   反射炉を作らせたり、フランス人の技師の指導によって、横須賀に製鉄所を作った

 

 

 

ポイント

・様々な藩の動きを押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

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