「転向」の時代について
「転向」の時代について考えてみます
・転向の時代について
・日本国内では、満州事変をきっかけにナショナリズムの考え方が
盛り上がるようになってきていた
※ナショナリズム・・民族や国などが独立や発展などを目指す運動や考え方のこと
・ナショナリズムの盛り上がりは、国家による弾圧もあって、
社会主義運動に影響を与えた
→そのため、社会主義からの転向という現象が起きた
※「転向」という言葉は、当時は国家の権力が暴力や圧力をかけることで、
社会主義や共産主義の考え方を転向させるという意味があった
・いくつにも分かれ続けていた無産政党も国家社会主義に変わった
→そのため、1932年に赤松克麿という人を中心にして、
日本国家社会党という団体が出来た
※国家社会主義とは・・国家の政策などで、資本主義のダメな部分を
取り除いていこうとする考え方のこと
※日本国家社会党は、「一君万民」という考え方のもと、国民の利益を守る
という思想から、戦争を支持した
・一君万民・・天皇をトップに置いて、それ以外の人は全員同じ身分で扱う
という考え方のこと
・それ以外の人達は、手を組んで当時最大の無産政党だった社会大衆党という団体を作った
→しかし、結果的に国家社会主義に変わっていった
・1933年に、牢獄の中にいた日本共産党の指導者である佐野学と鍋山貞親という2人が、
転向声明書というものを出した
→この声明書によって、牢獄にいた多くの日本共産党員は転向した
※転向声明書では、コミンテルンが日本共産党に指示した天皇制の打倒と
侵略戦争反対という考え方を批判して、天皇制と民族主義の考え方を土台にした
一国社会主義という考え方を提唱した
・鈴木茂三郎という人を中心にした日本無産党などが、なんとか社会主義を守っていた
→しかし、日本政府によって1937年に日本無産党が弾圧されたため、
活動を停止した
・当時は、思想や言論などの取り締まりも厳しかった
→そのため、日本政府は、共産主義だけでなく、自由主義や民主主義のような考え方に
対する弾圧なども行った
※代表的な事件に、滝川事件という事件がある
※滝川事件とは・・
・自由主義的な刑法を提唱していた滝川幸辰という京都帝大教授が、
文部大臣だった鳩山一郎という人の圧力によって、休職の処分を受けた
・そこで、京都帝大法学部教授会というところに所属している人が
全員辞表を出して対抗した
・しかし、結果的に京都帝大法学部教授会の考えは通らなかった
=この事件を滝川事件という
・当時のジャーナリズムでも、軍部の国家社会主義的な考え方による国内の改革を
期待する内容の意見が増えていった
ポイント
・転向について押さえる
・当時の政府と思想の状況について押さえる
このあたりが今回のポイントです