大東亜戦争について
大東亜戦争を中心に当時の様子について考えてみます
・当時の戦争の様子
・日本がアメリカに宣戦布告したため、日独伊三国同盟によってドイツとイタリアも
アメリカに宣戦布告した
→そのため、アメリカはヨーロッパとアジアと正面からぶつかる形での戦争に入っていった
=この後、戦争が全世界に広がっていった
※当時の戦争の時に、アメリカ・イギリス・ソ連などが連合国、
日本・ドイツ・イタリアなどが枢軸国と言われていた
・戦争が始まってすぐの日本軍は、ハワイでアメリカ太平洋艦隊、
マレー沖でイギリス東洋艦隊にダメージを与えた
→この動きをスタートに、アメリカとの戦争が始まって半年で、
東南アジアや南太平洋などを制圧した
※当時制圧した地域
・シンガポール・香港・ビルマ(現在のミャンマー)・イギリス領マレー半島、
アメリカ領フィリピン、オランダ領東インド(現在のインドネシア) など
→このような状況であり、戦争が始まってすぐの戦いは日本が勝ったと言われている
※日本は最初、この戦争をアメリカやイギリスから自分の国を守る
という考え方でいたが、段々と「大東亜共栄圏」の建設や、
欧米の植民地からアジアを解放するなどといったスローガンを目指すようになった
→そのため、戦争の範囲がどんどん拡大していった
・人々が最初のほうでの日本の勝利に盛り上がっていた1942年4月に、
戦争翼賛体制(日本の戦争を応援していく体制)を作ることを目指して、
東条英機内閣は5年ぶりの総選挙を行った
=この選挙を翼賛選挙という
→この結果、政府が援助して推薦していた候補が多くの票を得た
=さらに、選挙の後に挙国一致(一つの目標に国全体でむかうこと)のような
政治団体として翼賛政治会という団体が作られた
※この時に、議会は政府の提案を承認するだけの機関になったものの、
形式的には憲法や議会の活動は停止されなかった
※当時は、鳩山一郎、尾崎行雄、片山哲、芦田均などの人達が政府の推薦を受けないで
立候補をしたが、警察や地方が選挙に介入してきていたため、
推薦を受けない人達は当選がなかなかできなかった
・連合国は、ドイツを倒すことを第一の目標にした
→そのため連合国は、最初は太平洋の方に送る軍事力を抑えた
※しかし、アメリカが軍事力を確保する能力が高かったため、早い段階で
太平洋の方にも軍事を送るようになり、1942年6月に、
中部太平洋のミッドウェー島沖で、日本とアメリカの海軍が戦う
ということが起きてしまった
=この戦いを、ミッドウェー海戦という
→ミッドウェー海戦で日本側は、ミッドウェー海戦の時に主力の空母4隻と
軍艦に載せる航空機を失うほどの大敗だった
=そのため、日本側は海上と航空の面で不利な状況になった
・戦争の状況もどんどん変化していった
※特に、1942年の後半からは、アメリカが日本に反撃する体制が
本格的に作られることになった
→そのため、日本側も戦略を考え直すことが必要になった
※1943年9月30日の御前会議では、千島、小笠原、カロリン、マリアナ、
西ニューギニア、ビルマを含んだ範囲(絶対国防圏)まで、
防衛のラインを下げることになった
・1943年11月に、東条英機内閣は、日本が占領した地域に
戦争へ協力してもらうことを考えた
→そこで、中国の汪兆銘政権、満州、タイ、ビルマ、フィリピンなどの代表者を
東京に集めて会議を行った
=この会議を大東亜会議という
※この会議の時に、「大東亜共栄圏」でのつながりを強調した
・しかし、日本は欧米の植民地を欧米の支配から解放することが本来の目的だった
のにも関わらず、欧米の植民地を日本が支配するようになった時に、
日本は自分達の戦争のサポートとして植民地の人達を使うという行動を取った
→そのため、日本のこのような動きに対して、植民地の人達の怒りが増えてきた
※日本は実際に、タイとフランス領インドシナ以外の多くの地域に
軍備のスタイルを取り入れていた
・日本は、東南アジアの占領地については、以下のようなことを行わせた
→・現地の文化や生活スタイルを無視して、日本語の学習、天皇の崇拝、
神社の参拝などを強制的に行わせた
・タイとビルマをつなぐ泰緬鉄道という鉄道を強制的に作らせようとした
・土木や鉱山に関する作業を強制的に行わせた
・シンガポールやマレーシアで、多くの中国系の住民(華僑)が、
日本に反抗する運動をしたという容疑で、
日本軍が華僑を虐殺するという事件が起きた
→日本が、東南アジアの占領地について強制をしたことで、以下のようなことが起きた
・フランス領インドシナやフィリピンなどを始めとして、様々な場所で
日本に反発する運動が起きた
=これらの運動をまとめて、民族解放運動ということがある
→民族解放運動を行った国は、日本の敗戦後に、自力で独立を達成した
※結果的に、アジアでの欧米の植民地は一気に払われたと言われている
・中国に対して日本は、太平洋戦争が始まってすぐに以下のような作戦を取った
→・中国の飛行場を米軍に使われることを防ぐ
・華中と華南という地域を連絡させる
・中国側は、中国共産党が華北という地域の農村地帯に、日本に抵抗するための
拠点(解放区)を作って、ゲリラ戦を行った
→これに対して日本は、中国のゲリラを一掃するための作戦
(中国では三光作戦と言われた)を行った
※この時に、一般の人達にも大きな被害を与えたと言われている
・日本は、中国と戦った時に、毒ガスも使った
→そのため、満州などにあった日本軍の施設では、毒ガスや細菌兵器の
研究などが行われた
※満州のハルビンというところには、731部隊という細菌を使った戦いの研究のための
特殊部隊が置かれ、石井四郎という人などが中心になって行動した
※731部隊では、中国人やソ連の捕虜を使って、生体実験も行われていた
・1944年7月に、マリアナ諸島のサイパン島というところが攻め落とされる、
ということが起きた
=この出来事によって、絶対国防圏の一部だった場所が崩されたことになった
→その時に、一部が崩された責任を取るということで、東条英機内閣が総辞職になった
→その後、小磯国昭という陸軍大将が新しい首相になった
※この時に、米内光政という海軍大将が小磯国昭内閣に協力する
という形になった
=その結果、陸軍と海軍の連立政権が出来た
ポイント
・大東亜戦争の時の様子を押さえる
このあたりが今回のポイントです