戦争の時の文化について
戦争の時の文化について考えてみます
・戦争の時の文化について
※1930年に入った時に、政府の厳しい取り締まりや国家主義の考え方の
盛り上がりなどが出てきた
・上のような状況の中で、転向する人が増え、マルクス主義の考え方が弱まってきた
→逆に、日本に昔からあった伝統や思想に戻るという考え方が出てきた
※昔の伝統や思想に戻る考え方は、1930年代の後半に一層強くなった
・亀井勝一郎や保田与重郎などの人達が「日本浪漫派」という雑誌で、
反近代と民族主義を提唱する評論を多く発表した
・日中戦争の時期は、国体論やナチズムなどの影響を受けたため、
全体主義のような考え方が中心になった
・東亜新秩序論、大東亜共栄圏論、統制経済論などのような、国内改造論が提唱された
※・東亜新秩序論
→戦争の目的は、日本、中国、満州の3国が結束することだという考え方のこと
・大東亜共栄圏論
→日本が中国や東南アジアを侵略することを合法とする考え方のこと
・統制経済論
→国家が資本主義に介入して統制を加えるという考え方のこと
→これらは、「革新」的な考え方だったと言われている
・当時(昭和初期)の文学について
・当時は、以下の2つの文学が二大文学として扱われた
→・社会主義運動と絡んで盛りあがっていたプロレタリア文学
・主観と感性の表現の中に文学の実際を求めようとした
横光利一や川端康成などの新感覚派
※しかし、1930年代に社会主義が抑えつけられてしまったため、
プロレタリア文学もダメになった
※社会主義やプロレタリア文学から転向する時の経験は、
中野重治という人の「村の家」や、島木健作という人の「生活の探求」などの
作品に描かれた
=このような文学を、転向文学という
・当時の有名な作家の中には、戦争が近づくにつれて静かに力強い作品を
書き続けた人達もいた
→代表的なものに、島崎藤村という人の「夜明け前」や
谷崎潤一郎という人の「細雪」などがある
・日中戦争の時には、戦争文学というジャンルが出てきて、人気になった
→代表的なものに、火野葦平という人が自分が軍隊だった時の
経験を書いた「麦と兵隊」などがある
※ただし、日本軍兵士の様子を写実的に描いた
石川達三という人の「生きてゐる兵隊」という作品は発売禁止になった
・1942年に日本文学報国会という団体が作られた
ポイント
・当時の文化と文学について押さえる
このあたりが今回のポイントです