敗戦について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/28 18:30      
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日本の敗戦までの流れについて考えてみます

 

 

・敗戦について

 

 

 ・1944年10月に、アメリカ軍はフィリピンを奪い返すために、レイテ島という

  ところに上陸して激しい戦いを行い、その結果勝利して、フィリピンを占領した

  ※レイテ沖というところで、日本の艦隊はアメリカの艦隊に負けていて、

   この敗北によって日本海軍の作戦能力を失った

   →そのため、この時に初めて海軍の神風特別攻撃隊による、直接的な攻撃が行われた

 

 ・1945年3月に、アメリカ軍が硫黄島というところを占領した

  →さらに、1945年4月に沖縄本島に上陸して、沖縄の人々を巻き込んで

   約3か月戦い、沖縄本島を占領した

   =この時の沖縄での戦いを沖縄戦という

 

 →上のような状況になり、日本が負けることが少しずつ確実になってきていた

 

 

 

 ・アメリカ軍が沖縄に上陸してすぐの時に、小磯国昭内閣が終了して、

  鈴木貫太郎という人が次の内閣を作った

 

 

 

 ・ヨーロッパでは、1943年に連合国軍が反撃の姿勢に入った

  →そのため、1943年9月にイタリアが負けを認めた

  →その後、1945年5月にドイツが負けを認めた

   =結果的に、枢軸国側が日本だけになり、日本は完全に孤立する状況になってしまった

 

  ※この時に、軍部はまだ本土での戦いを願っていたが、鈴木貫太郎内閣は

   軍部の意見を取り入れず、ソ連に日本とアメリカとの和平交渉(仲直りするための交渉)

   の仲介をしてもらうことをお願いしようとしていた

 

 

 

 ・しかし、1945年2月には、クリミア半島のヤルタというところで、

  アメリカ、イギリス、ソ連の3カ国のトップが集まって、ヤルタ会談という

  話し合いを行っていた

 

  ※ヤルタ会談の内容

   ・ドイツを戦後どうするかについて話し合う

   ・ドイツが負けを認めてから2~3ヵ月後にソ連が日本と戦う

   ・ソ連に南樺太を返す代わりに、千島列島に譲る

   ・旅順、大連の港を自由に使えるようにする  など

    →この会談の時に、これら一連の内容をお互いに認め合う協定を結んだ

     =その協定を、ヤルタ秘密協定という

 

 

  →ヤルタ会談の後、アメリカ、イギリス、ソ連の3カ国は、1945年7月に

   ベルリン郊外のポツダムというところで会談を行って、ヨーロッパの戦後を

   どうしていくかということを話し合っていた

 

  →ポツダムでの話し合いをきっかけに、アメリカは日本を今後どうするかということについて、

   イギリスに考えを提案していた

   =その結果、アメリカ、イギリス、中国の3カ国の名前で、日本軍に無条件で負けを

    認めてもらうことと、日本の戦後をどうするかについて提唱した、

    ポツダム宣言というものを出した

 

 

 ※ヤルタ会談の前に、カイロ宣言という宣言を出していた

 

  ・カイロ宣言

   →・1943年に、アメリカ大統領のフランクリン=ローズヴェルト、

     イギリス首相のチャーチル、中国国民政府主席の蒋介石の3人がエジプトのカイロ

     というところで会談をして、いくつかのことを決めた

     →・日本が無条件で負けを認めるまで、連合国は徹底的に戦う

      ・満州、台湾、澎湖諸島を中国に返す

      ・朝鮮を独立させる

      ・南洋諸島を取り上げる  など

       =これらの内容をまとめて宣言したものを、カイロ宣言という

        ※カイロ宣言は、ポツダム宣言の基盤にもなったと言われている

 

  

   

 

 ・ポツダム宣言に対して、日本は「黙殺する」(無視して対応しないこと)と表現した

  →この表現に対してアメリカは、日本はポツダム宣言を拒絶したと判断した

 

  →そこでアメリカは、人類史上初作られた2発の原子爆弾を使うことに決めた

   =そのため、8月6日に広島に、8月9日に長崎に原子爆弾が落とされた

 

  →さらに、8月8日に、ソ連が日ソ中立条約を無視して日本に宣戦布告した

   ※この時にソ連は満州と朝鮮に侵入して攻撃を行った

    =その結果、関東軍は壊滅してしまい、多くの人が亡くなり、生き残った人も

     苦しい展開になり、多くの中国残留孤児を生むことになった

 

   

 ・陸軍は、上のような状況であっても、この後も本土での戦いをすることを提唱していた

  =しかし、昭和天皇の判断によって、結果的にポツダム宣言を受諾することが決められた

   →8月14日に、政府は連合国側にポツダム宣言を受諾したことを伝えた

 

 

 ・8月15日の正午に、天皇のラジオ放送で戦争の終了が全ての国民に伝えられた

 

 

 ・9月2日に、東京湾内にあったアメリカ軍艦ミズーリ号の上で、

  日本政府と軍の代表が降伏の文書に署名した

  =こうして、4年続いた太平洋戦争が終了した

 

 

 

ポイント

・敗戦の時の様子と流れを押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

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