戦後の占領と改革について

閲覧数:1,000
投稿者:       投稿日時:2013/10/28 19:35      
(まだ評価されていません。)
コメント数: 0       お気に入り登録数:4

LINEで送る
Pocket

戦後の占領と改革について考えてみます

 

 

・戦後の占領と改革について

 

 

 ・日本は、ポツダム宣言によって連合国に占領されることになった

  

  ※この時、朝鮮半島北部・千島列島・南樺太などはソ連軍が、

   朝鮮半島南部・琉球諸島・奄美諸島などはアメリカ軍が占領した

 

  ※日本は、連合国側に決められた範囲しか主権がなかった

 

  ※ドイツは、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4カ国に分割して占領された

 

 

 

 ・日本は、アメリカ軍が中心となって占領することになった

  →具体的には、マッカーサーという人をトップに置く連合国軍最高司令官総司令部

   (GHQ/SCAP)というところが命令や勧告を出して、その命令や勧告に従って

   日本政府が政治を行う、というスタイルが取られた

 

   ※GHQの命令は、法律を待たないですぐに実行することが出来て、

    憲法にも縛られないほど強力なものだった

 

   ※マッカーサーに対してアメリカ政府は、日本の政府に不満があった場合は

    直接的に行動して良いという権限も持っていた

 

 

 

 ・連合国が日本にどのような政策を行うかということを決めるための最高の機関として、

  ワシントンに極東委員会という機関が置かれた

  

 ・一方で東京には、最高司令官(連合国軍最高司令官総司令部のトップ)に

  アドバイスをする機関として対日理事会という機関が作られた

 

  →上のような機関は、アメリカが原爆によって日本に負けを認めさせた

   ということもあって、アメリカ政府が中心になって運営された

  →さらに、アメリカは、緊急事態の場合には極東委員会の意見を待たずに、

   「中間指令」という指令を出すことができた

   

   ※対日理事会は、農地改革の時以外は大きな影響力を持っていなかった

 

  →極東委員会と対日理事会で今後の日本をどうするかということについて

   目標が考えられていた

   =目標は、軍事を捨てることと民主化を行うことで、日本の社会を変え、

    アメリカや東アジアなどで日本が権力を使って再び暴れ回らないように

    することだった

 

 

 

 ・ポツダム宣言を認めた時に、鈴木貫太郎内閣は総辞職をした

  →その後、皇族(天皇の親族)だった東久邇宮稔彦という人が内閣を作った

 

  →東久邇宮稔彦内閣は、1945年8月以降から、以下のようなことを行った

   ・連合国軍が日本に駐在することを受け入れた

   ・旧日本軍の武器を速やかに取り去ること

   ・降伏を宣言する文書への調印

 

 

  ※しかし、GHQは「一億総懺悔」「国体護持」などを提唱して、占領政策とは違う

   以下のような政策を取った

   →・治安維持法と特別高等警察(特高)の廃止

    ・人権指令(共産党の人や政治関連で捕まった人をすぐに釈放する指令)を出した

      →人権指令によって、言論や思想など、人々の自由を保障する動きが

       進められた

       ※・一方で、占領軍に対する批判はプレス=コード(新聞発行綱領)

         という規則で禁止された

        ・さらに、新聞などの出版物は占領軍が事前に検閲をすることになった

    ・天皇に関する議論を自由にすることを勧めていった

 

     →これらの政策が作られたことをきっかけに、東久邇宮稔彦内閣は総辞職をした

 

 

 

 ・東久邇宮稔彦内閣の後に、幣原喜重郎内閣が誕生した

  →マッカーサーは、「憲法の自由主義化」と五大改革というものを幣原喜重郎内閣に

   口頭で指示した

   

   ※「憲法の自由主義化」・・憲法の内容を自由主義を中心としたものにすること

 

   ※五大改革の内容

    ・労働組合を作ることを勧めていく

    ・自由主義的な改革を教育制度で行う

    ・婦人参政権を与える

    ・経済の仕組みを民主化にする

    ・秘密警察などを禁止する

 

 

  →さらにGHQは、神道指令を出して、国家と神道の分離を行った

 

   ※神道指令・・政府が神社や神道を支援したり、推薦したりすることを

          禁止する指令のこと

 

   ※国家と神道の分離・・戦争の時の軍国主義や天皇の崇拝などを行う考え方の

              土台となった国家神道を分解した

 

 

 

 ・日本の国内と国外にいる陸軍と海軍の兵隊の武装解除と復員を行った

  →この動きによって、日本の軍隊は消滅した

   ※武装解除・・軍隊から装備を取り上げること

    復員・・戦争のために作られた軍隊の人達を一般の人に戻して、

        兵隊を集めるのをやめること

 

 

 

 ・GHQは、軍や政府のトップなど、戦争を指導してきた人達をどんどん逮捕した

  ※その中で、28人がA級戦犯容疑者ということで起訴された

   →そのため、1946年5月から東京に作られた極東国際軍事裁判所というところで

    A級戦犯についての裁判が始まった

    =この裁判を、東京裁判という

 

  ※A級戦犯・・第二次世界大戦の時に戦争犯罪(国際条約に違反する行動)を行った

         ということで連合国軍に起訴された人達のこと

 

 

 

 ・戦犯容疑者の逮捕が進むにつれて、日本の国内と国外で「天皇の戦争に対する責任」

  という問題が注目されるようになった

  →しかしGHQは、天皇制が無くなることで起こる大きな混乱を避けて、

   逆に天皇制を日本のコントロールの道具として利用することを考えた

   =そのためGHQは、天皇は戦犯容疑者という扱いにしなかった

 

   ※1946年元日に、昭和天皇は人間宣言というものを行った

    →この時に、天皇が神の地位であるということを、昭和天皇自身が否定した

 

 

 

 ・GHQが1946年1月に、戦争犯罪人、陸軍と海軍の軍人、超国家主義の人達、

  大政翼賛会の人達に公職追放(公務員や議員などの公的な職から排除すること)を

  命令した

  →公職追放によって、1948年5月までに政界、財界、言論界など

   約21万人が排除された

 

 

 

 ・日本の軍事を無くすために、軍事に関する産業を禁止する、船舶の保有について

  制限する、ということなどを行った

  →さらに、日本国内の産業に関する設備を、中国や東南アジアなどの戦争の被害を受けた

   国に与えるという現物給付での賠償を行った

 

 

 

ポイント

・戦後に行われた占領と改革について押さえる

 

このあたりが今回のポイントです

 

閲覧数:1,000
LINEで送る
Pocket


(この記事はまだ評価されていません)
Loading ... Loading ...
投稿者:
投稿日時2013/10/28 19:35

コメント数: 0
お気に入り登録数:4



コメントを残す