日本国憲法について -出来るまでの流れと内容-
日本国憲法の誕生について考えてみます
・日本国憲法の誕生について
・1945年10月に、幣原喜重郎内閣はGHQに憲法の改正を命令された
→そこで幣原喜重郎内閣は、松本烝治という人をトップに置いた、
憲法問題調査委員会という組織を作った
・憲法問題調査委員会が、一応だが憲法の改正案を作った
※しかし、改正した憲法の内容が、結局天皇の権力を認めるというような
以前と変わらないものだった
→そのため、GHQは極東委員会の活動が始まる前に、
自分達で英文の改正案(マッカーサー草案)を緊急で作って、
1946年の2月に日本政府に見せた
=日本政府は、マッカーサー原案に少しだけ手を加えて和訳したものを、
日本政府の原案として発表した
※高野岩三郎という人などが所属していた民間の憲法研究会というところは、
1945年12月に国民主権の原則と立憲君主制(天皇が権力を持っているが、
その権力は憲法に従って使うこと)を土台にした「憲法草案要綱」というものを
作って、GHQや日本政府にも提出をしていた
→GHQは、マッカーサー草案を作った時に、「憲法草案要綱」も参考にしていた
と言われている
・新しい憲法の制定は手続きの都合上、大日本帝国憲法を改正する形となった
→この時に、衆議院と貴族院で内容を修正して、新しい憲法が制定された
=このようにしてできた新しい憲法を日本国憲法といい、1946年11月3日に公布、
1947年5月3日に施行された
※GHQの案がどのように修正されて日本国憲法になったのか
・GHQの案は、国会は衆議院だけの一院制を採用するつもりだったが、
日本政府の希望で参議院を取り入れた二院制を採用するようになった
・芦田均という人の意見によって、戦力不保持に関する第9条第2項に、
「前項の目的を達成するため」という文章が加えられた
→この文章の追加は、自分の国を守るための軍隊を持つことが少し考えられていた
と言われている
・新しくできた日本国憲法は、主権在民(国民主権)、基本的人権の尊重、平和主義の
3つが大きな原則だった
→国民主権によって、象徴天皇制が採用されている
※象徴天皇制
・天皇が政治的な権力を持たないで、「日本国民統合の象徴」として
存在することになった制度のこと
=この制度ができたことで、国民が直接選挙をする国会が「国権の最高機関」となった
→平和主義によって、戦争を放棄すること、戦力は持たないこと、交戦権を認めないこと
などが決められた
※交戦権・・国家が戦争を行う権利のこと
・新しい憲法ができたことで、以下のようにして多くの法律が作られたり改正されたりした
→日本国憲法によって、作られたり改正されたりした法律の例
・1947年に民法が改正され、新民法が誕生した
→新民法によって、以下のようなことが決められた
・家を中心とした戸主制度を廃止して、男女に同じ権利を与えるという
新しい家族制度が出来た
・戸主が家族に対して支配する権利はなくなった
・家督相続制度の代わりに、財産ついては均分相続(相続分を均等にすること)が
決められた
・結婚や家族などの関係で、男性が優位となるような様々な規定がなくなった
・刑事訴訟法が、人権の尊重を重視して全面的に改正された
→そのため、不敬罪や姦通罪などがなくなった
※姦通罪・・夫がいる女性が、夫以外の男性と性的な関係を結んだ時に、
性的な関係を結んだ2人に与えられる犯罪のこと
・1947年に地方自治法という法律が出来た
→この法律によって、都道府県知事や市町村長が公選になった
・地方の行政や警察に影響を与えていた内務省が、GHQの指示によってなくなった
・1947年の終わりに警察法という法律が作られ、次の年の1948年に施行された
※警察法・・国家や地方の警察だけでなく、自治体の警察を作ることも決めた
法律のこと
ポイント
・日本国憲法が出来るまでと、その内容について押さえる
このあたりが今回のポイントです