消費革命とそれを取り巻く社会の様子について

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投稿者:       投稿日時:2013/10/30 02:39      
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消費革命とそれを取り巻く社会の様子について考えてみます

 

 

※高度成長期の概要

 

 ・高度経済成長は、日本の社会や人々の意識を大きく変えた

 

 ・太平洋側を中心に製鉄所や石油化学コンビナートなど新しい工場の建設が続いた

  →特に、京浜、中京、阪神、北九州という4つの地域を中心とした

   帯状の大きな重化学工業地帯が誕生した

   =この重化学工業地帯を太平洋ベルト地帯と言い、太平洋ベルトに産業と人口が

    大量に集まった

    ※政府は、1962年に新産業都市建設促進法という法律を作って、

     開発が弱い地域を活発にしようとしたが、

     太平洋ベルトへの集まりの勢いは止まらなかった

 

 ・全国で、農村地方から都市部に向けて大量の人口移動が起きた

  →この時に、トラクターやコンバインなどが普及して農耕の機械化や省力化が進んで、

   兼業農家が増えた

   ※1955年から段々と専業農家の人口が減っていき、1970年には2割を切った

   ※しかし、第2種兼業農家(農業以外の労働が主で、農業を副業とする農家)の

    比率は1970年に農業総数の50%に達した

    →この時に、「三ちゃん(じいちゃん・ばあちゃん・かあちゃん)農業」

     という言葉も生まれた 

 

 ・一方で、多くの人々が移動した都市部では、住宅地が足りなくなったため、

  都市の郊外に大量の住宅施設が誕生し、大都会の周辺には、核家族が住む高層アパートが

  大量にできた

 

 

 

 

・消費革命について

 

 ※消費革命・・大量に生産できる体制が日本で出来た時に、

        各家庭に自動車や家電製品などの耐久消費財が爆発的に普及したこと

 

 

・消費革命の時の様子について

 

 ・高度成長期の前半は、三種の神器(テレビ・電気洗濯機・冷蔵庫)が普及した

 ・1960年代末以降は、3C(自家用自動車、カラーテレビ、クーラーのことで、

  新三種の神器ともいう)が普及した

 

 ・食生活が豊かになったため、乳製品や肉類の消費が増え、日本人の体格も向上した

 

 ・一方で、お米の食事が減るとともに、食事の洋風化が進んだ

  →この時に、インスタント食品や冷凍食品なども普及し、外食産業が発達した

 

 ・交通網の整備が、政府を中心にして大きく推進された

  →特に、鉄道の電気化が全国で行われ、1964年には、東海道新幹線が開通した

  

 ・一方で、自家用車が急速に普及したため、「マイカー時代」という時代が来て、

  自動車が日本での交通手段の中心を担った(モータリゼーションと言うこともある)

  →さらに、1965年に名神高速道路、1969年に東名高速道路が開通したことで、

   交通において、自動車の存在が大きくなると同時に、高速道路での運転に

   耐えられるような国産自動車の質の向上が考えられるようになった

   =結果的に、先進国の国々へ輸出が拡大することにもつながった

 

 ・生活にゆとりが出てくるようになったため、人々は休日を楽しみたいという

  欲求を持つようになってきた

  →そのため、マスメディアやレジャー産業が発達していった

  

 ・この当時に、新聞や雑誌、書籍などの出版物の部数が飛躍的に増えた

  →これらをモチーフにして、社会派推理小説の松本清張や歴史小説の司馬遼太郎などの

   人気作家が活躍した

   ※この人たちの作品は、純文学と大衆文化の中間という意味で、「中間小説」と呼ばれた

    →この時期の純文学の代表的な人に、三島由紀夫や大江健三郎などという人たちがいる

 

  →特に、週刊誌は発行部数が大量に増えた

   =そのため、少年向けに始まった漫画週刊誌は成年も読んでいた人が多かった

    ※この時、手塚治虫という人が世界にもないようなストーリー漫画を作り、

     その後の漫画やアニメーションの基礎を作ったといわれている

 

 ・1953年に、テレビ放送が始まった

  →テレビ放送は1960年代半ばまでに多くの家庭に普及して、

   日常生活には欠かせないものになった

   ※これによって、映画産業が急激に衰退していった

   ※さらに、マスメディアは大衆文化の中心になるとともに、大量の広告(CM)を出すことで、

    人々の購買意欲をあおるようなことを行っていた

 

 ・「教育熱」を持つ親が増え、高校や大学への進学率が高まった

  ※1975年に、高校の進学率が90%を超えるまでになった

 

 ・マスメディアと公教育機関が大量に情報を国民に提供したことで、

  日本人の考え方や知識を画一化させる影響もあった

  →そのため、自分は社会の中流にいると考える人が日本国民の8~9割を占めるようになった

   =このような意識を、中流意識という

 

 ・1964年位オリンピック東京大会、1970年に大阪で日本万国博覧会を開催した

  →このようなイベントによって、日本の復興を世界にアピールして、

   国際的な文化交流にも貢献した

 

 

 

※なぜ、日本は高度経済成長を迎えられたのか

 

 =理由の一つに、科学技術の発達だといわれている

 

  ・大学などの研究機関では、世界的水準の基礎科学研究が行われた

   →その結果、1965年には朝永振一郎という人が、1973年に江崎玲於奈という人が

    それぞれノーベル物理学賞を授与された

 

  ・また、政府は原子力政策や宇宙開発など積極的な科学技術開発政策を推進した

   →原子力の平和を政府が提唱した上で、1960年代半ばから電力会社が

    各地で原子力発電所を建設した

    ※しかし、ソ連でチェルノブイリ事故が起きてから、

     原発反対の声も上がっている

 

 

 

ポイント

・高度成長の概要をおさえる

・消費革命と当時の社会の様子をおさえる

・高度成長突入のきっかけをおさえる

 

このあたりが今回のポイントです

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