高度経済成長期の日本経済の歴史について -高度成長から石油危機まで-
高度経済成長期の日本経済の歴史について考えてみます
・高度経済成長について
・高度成長・・日本は1950年代の半ばから、高度経済成長という急速な経済成長が起きた
※特に、1955年から1973年の石油危機までは、平均10%前後の成長をして、
この期間にGNPが約6倍になった
・高度経済成長を引き起こしたポイントは何だったのか
→高度成長のポイントは、間接的なものと直接的なものがあったと言われている
・間接的な要因
・戦後から政治や経済の制度を改革していった
・安くて質の高い労働力が多かった
・日本国民の貯蓄の意識が高かった
(日本の国民は、世界と比べても、所得の中から貯金をする割合が高い)
・IMF-GATT体制という体制の中で、自由貿易が行われた
・世界全体も景気が良かった
・原油の価格が安定していた
→国際という面での経済の状態が良かった
・直接的な要因
・企業が設備への投資を大量に行っていた
※なぜ設備への投資が積極的に行われていたのか
・様々な分野で、アメリカやヨーロッパの技術が取り入れられるようになり、
企業どうしで、設備の投資へ競争をする、といったような状態が起きた
・「投資が投資を呼ぶ」と言われ、一つの産業への投資が、
他の産業への投資を促進する結果となった
・「消費革命」という言葉が生まれたほどの消費がされたことによって、
大量消費社会という社会になった
→結果的に投資によるメリットや効果が高まっていった
・産業によって、様々な利益を狙うようになっていった
・鉄鋼、機械、自動車、電気機器などの産業
→設備を大きくすること、工程を一貫したものにすることが進められ、
「規模の利益」が追求されるようになった
※規模の利益・・設備の規模を大きくすることで、商品1つあたりの
生産コストが小さくなり、企業の収入が増えることを狙った利益のこと
・石油化学の産業
→コンビナートというのが、様々な場所で作られ、それに関連する産業を集めるという、
「集積の利益」が追求されるようになった
※集積の利益・・生産を一定の地域に集まって行うことで、
流通や移動のコストを削ることができ、
そこを削ることによって生まれる利益のこと
→集積の利益は、集積する産業が多すぎると、
土地代が上がったり、混雑したりして、逆効果を生む可能性がある
=このことを、集積の不利益と言う
→規模の利益と集積の利益も、設備投資の拡大を引き起こすポイントだった
・高度経済成長の時の世界と日本の動きについて
・世界との動き
・貿易、為替の自由化が展開され、日本は1963年にGATT11条国、
64年にIMF8条国に指定された
※・GATT11条国・・国際収支(海外との取引による収支)の悪化が理由で、
輸入の量を制限することができない国のこと
・IMF8条国・・国際収支の悪化が理由で、為替を制限することができない国のこと
・日本が1964年にOECD(経済協力開発機構)に加盟して、
67年に資本の自由化を行った
※資本自由化・・国際間での資本移動を自由にする動きのこと
※日本は、戦後から資本自由化までは、外貨法と為替管理法という法律によって、
国際間の資本の取り引きを制限していた
・日本の動き
・日本政府が、池田勇人首相のもと、所得倍増計画という計画を出し、
経済成長を積極的に目指していった
※所得倍増計画の例
・金融面・・財政投融資の資金が、重要な産業に多く貸しつけられるようになった
・財政面・・高度経済成長の時に、ドッジ・ラインに基づく、
均衡財政主義(収入と支出を同じにする)というのが取られた
※しかし、この時に・・
→・支出の配分について、公共投資の部分を多くした
・企業や家計が貯蓄をするように、貯蓄優遇税制という制度を作った
→このような動きが、さらなる経済成長へとつながっていった
→日本は、以上のようにして経済成長をして、時々不況になったことはあったものの、
神武景気、岩戸景気、オリンピック景気、いざなぎ景気、などの景気を経験してきた
・日本の高度経済成長期を、大きな視点で見ると、どうだったのか
→高度経済成長期の前半と後半で違った
・前半・・経常収支は、基本的に赤字だった
景気が良くなれば、輸入も増えたが、赤字を減らさなければいけないので、
仕方なく好景気を押さえる動きになった
=このような状態は、国際収支の天井と言われた
・後半・・経常収支が常に黒字になる状態となった
ポイント
・高度経済成長の間接的なポイントと直接的なポイントをそれぞれ押さえる
・規模の利益と集積の利益を押さえる
・高度成長の時の、世界との動き、日本の中での動きを押さえる
・高度成長を、マクロの視点で見た概要を押さえる