国際通貨体制の流れと変化と歴史について
国際通貨体制について、様々な面から考えてみます
・国際通貨体制とは
→国際の通貨に関する制度のことで、固定相場制と変動相場制が代表的
=この体制を理解するためには、戦後からの歴史を知る必要があると言われている
※・固定相場制・・為替のレートが一定で変わらない制度のこと
・変動相場制・・為替のレートが、通貨量や需要と供給など、
様々な理由で変わる制度のこと
・第二次世界大戦後の国際経済の状況について
・第二次世界大戦の後は、非常に混乱した状態の場所がいくつもあった
→その中で、アメリカがずば抜けて経済力を持っていた
※当時は、国際流動性(外国で通用するお金の量)が少ないと言われていたが、
ドルだけは圧倒的に強いという状況が存在していた
→上のように、ドルの圧倒的な強さとアメリカの経済力の強さがあったので、
ドル中心の国際通貨体制になったと言われている
・ドルが中心になった後、アメリカはIMF-GATT体制という体制の時に、
自由貿易を展開すると同時に、国際復興開発銀行(IBRD、世界銀行)という
ものを作り、戦後の経済の復活を目指した
→この時に、2つの大きな出来事が起きた
・冷戦が発生し、東西対立の時に、西側の国々へ経済や軍事の面で援助をした
・ベトナム戦争が発生し、軍事の面での支出が増えた
→この出来事によって、ドルが世界中に出て行ったので、
アメリカが外国から借りているお金の量が
アメリカ自身が持っていた金の量よりも多くなってしまった (海外の借金>金の量)
→結果的に、「金が少なくて、アメリカはドルを返してくれるのか?」
という疑問が広がり、ドルに対して不安を持つ人が増え、
金がアメリカから大量に出て行くという事態が起きた
=この出来事をドル危機という
・アメリカは、ドルの力を維持するための政策を行ったが、結局不可能だった
→そこで、当時のアメリカの大統領だったニクソンという人が
1971年8月に新しい経済政策というものを発表した
=この発表の時に、金とドルの交換を停止することになった
(この停止を、ドル・ショック、または、ニクソン・ショックと言う)
※このショックで、固定相場制は終わったと言われている
・ドル・ショックの後、1971年12月に、スミソニアン協定という協定によって、
新しい固定相場制のルールが考えられたが、
結果的には1973年から、どんどん変動相場制に変わっていった
※スミソニアン協定について
・ワシントンのスミソニアン博物館という場所で行われた、
10カ国の財務省のトップが集まった会議での協定のこと
・ドルの価値は当時は、金1オンス=35ドルというレートだったが、
これを1オンス=38ドルに切り下げるということを行って、
各国の通貨の平価調整(ドルとの交換比率の調整)をした
→このレートの変化によって、当時は1ドル=360円というレートだったが、
1ドル=308円というレートに変わった
・1973年からの変動相場制への変更が続き、
1976年にはキングストン合意という合意が行われた
※キングストン合意について
・ジャマイカの首都のキングストンというところで行われたIMF暫定委員会という
委員会での合意のこと
→この時に、IMF協定の第2次改正案が合意された
・キングストン合意で合意された内容
→・変動相場制に移ることを認めること
・国が金の値段を決めること(公定価格)は廃止となった
・金の代わりとして、SDR(特別引き出し権)を土台として
考えることになった
※SDR(特別引き出し権)について
・IMFが何かあった時のために準備しておく資産のこと
・1969年のIMF協定第1次改正の時に、
金やドルを補うためのものとして用意された
・IMFに加盟している国は、IMFに出している金額の量に応じて、
SDRの権利の配分を得る
→国際収支が赤字になった国は、SDRの権利を使って、
他の国から外貨を借りることができる
ポイント
・国際通貨体制を押さえる
・第二次世界大戦の後の状況を押さえる
・ドル危機の内容を押さえる
・固定相場制が終わる過程を押さえる
・スミソニアン協定、キングストン合意の内容を押さえる