「所得」概念と「租税」理論―アダム・スミスの経済学体系
・スミスの経済学体系の基底
⇒労働価値説と社会的分業
労働価値説:労働の質と量こそが国富の源泉であるという説
⇒しかし、労働は単独では社会を豊かにできないので、分業で職業を専門化し、生活に必要なものはお互いに交換を始めるようになる=商業社会へ
☆この労働価値説は、言い換えると「個」が出発点だということです。逆に言えば、全体のことは一切考えていないのです。
⇒つまり、自分にとって最適であることのみを考えて行動する結果、意図せざる形でその社会の全体最適が生み出されるという考え方
こうした考え方は、全体の設計から入って個に至るのではなく、個から出発して全体を説明するという点で、一種の「原子論」なのです。
⇒ホッブズやロックと通じるところがあるのですが、相反する部分もあります。これについては別途まとめたいと思います。
このように「労働」に価値をおいたスミスは、更にそこから3つの本源的所得が生み出されると指摘した。
3つの本源的所得:(1)利潤 (2)地代 (3)賃金
⇒これらを経済分析の基礎に据えたことで、租税はこれら3つの本源的所得のいずれかに対する課税にならざるを得ないことを明らかにした。
では、具体的にどのような基準で納税者に租税負担を求めるべきなのか。
『国富論』より(下記、諸富、55頁):
「あらゆる国家の臣民は、各人の能力にできるだけ比例して、いいかえれば、かれらがそれぞれ国家の保護の下に享受する収入に比例して、政府を維持するために貢納すべきものである。」
⇒この一節から、支払い能力に応じた課税(応能負担)を公平だとみなし、また支出(=消費)に応じて税を負担するのではなく、収入(=所得)に比例して負担することが公平だと考えていることがわかる。
しかし、応能負担を実現するためには正確な所得把握が必須条件となるが、スミスの生きた時代にはそれが徴税技術的に不可能だった。また、納税者自身の所得把握を嫌うことも認識していた。それゆえ、直接税としての所得税の導入には至らなかった。
☆とはいえ、スミスの租税論を過小評価してはならないでしょう。当時は所得税を導入できなくても、後年には導入されたわけだし、今日的には徴税技術も向上しているので、一考の価値はあるように思います。
※全体として、他の記事と合わせて読んだほうが理解がスムーズかと思います。
参考文献、資料
・諸富徹『私たちはなぜ税金を納めるのか―租税の経済史』新潮社、2013年、52-56頁