「生活保障」
まずは要約から入る。本書は、「生活保障」という視点から、日本の社会が直面している状況を整理し、問題を打開する道筋について考えようとしたものである。生活保障とは、年金、医療、介護などのいわゆる社会保障だけでなく、これらを雇用と結びつけることで経済成長を促して実現するものである。例えば、北欧諸国は、社会保障支出が大きく経済成長率も高い。これは職業訓練や生涯教育、母の就労を支える保育サービスなど「雇用活性化」に重点をおいているからだと言える。一方で日本の生活保障は、主に男性を軸とする雇用と、福祉は家族に依拠するという形で成り立ってきた。こうした構造に限界が来ているのが今日の日本の状況である。これを転換するためにスウェーデンモデルをどう活用できるかを考えているのが本書である。
第一章では、日本型生活保障の解体のなかで、社会にどのような分断があるかを明らかにし、それがなぜ解決できないのかについて検討している。分断は第一に、正規労働者層と非正規労働者層がある。これは主に所得格差という形で表れている。大まかにいえば、正規労働者層の方が所得は高く、非正規労働者層の方が所得は低いといった具合である。第二に、ジェンダーやエスニシティの問題がある。ジェンダーで言えば、1999年以降、男女雇用機会均等法改正や労働者派遣法改正に伴い、女性の社会的上昇の機会をもたらした。しかし、女性の多くは非正規労働者であるのが現状である。エスニシティも女性の問題と似ていて、外国人労働者は非正規労働者が多い。こうした分断が複雑にクロスしているのが日本の状況である。
本来であれば、こうした分断を修復するのが社会保障なのだが、日本での実態は修復どころか固定化、拡大していると指摘されている。その第一が制度的排除である。例えば、非正規労働者などは労働時間が短いゆえに社会保険から排除されてしまうという面がある。第二に実質的な排除である。例えば、社会保険に加入できてもワーキングプアのために保険料が払えないという状況である。いずれにしても、結果的には生活不安や貧困が拡がることは否定できない。
ではなぜ、こうした分断の解決が困難なのか。それは不信の構造という問題にある。世論調査などによると、日本においては福祉を重視している人が多いにもかかわらず、政治不信や行政不信が根強いために、高い税金を支払うことに抵抗があるという構造ができている。これを解決するために著者が指摘しているのが、明確で合意可能なルールの必要性である。誰がいかなる条件のもとで何をどれだけ受けとるのか、その時の政府が果たすべき責任は何かなどの、ルールを明確にする必要があると指摘している。
第二章では、日本型生活保障の仕組みをより具体的にみて、その解体過程を検討している。第三章では、日本と同じく雇用に力点をおいたスウェーデン型の生活保障の仕組みを検討している。第二章、第三章については、福祉政策の比較として最後にまとめて記述する。
第四章、第五章では、今後の生活保障のビジョンを検討している。第四章はベーシックインカムとアクティベーションを対照し、前者は膨大な財源の必要性やフリーライダーの問題から持続困難と指摘し、著者は雇用と社会保障をこれまで以上に連携させる後者を是としている。後者を整えるためのモデルとして、機能別に四つにまとめられている。第一に、職業訓練などの参加支援である。第二に、均等待遇など働く見返りの強化である。第三に、新産業分野などの雇用創出と維持である。第四に、ワークシェアリングなどの労働時間の短縮や労働市場からの一時離脱である。これらが相互に、相乗的に進められることが重要だと指摘する。
第五章では、第四章で述べた参加支援に焦点を当て、「一方通行型」社会から「交差点型」社会を提唱している。つまり、働き始めても学び直すことができたり、子どもを産み、育て、家族のケアにかかわりながら働き続けるための政策などである。また、こうした政策は政府や自治体に限らず、NPOや協同組合などの民間の役割も重要だと指摘する。最後は給付のみならず、負担についても言及されており、生活保障政策と合わせて負担についても理念とルールを明確にし、信頼を醸成する独自の装置が必要と指摘して締めくくられている。
ここからは第二章と第三章を中心に、日本とスウェーデンの福祉政策を比較する。第二章において、著者は日本型生活保障の特徴について5点言及している。第一に、社会保障支出は小さかったという点である。第二に、社会保障支出は小さかったにもかかわらず、雇用の実質的な保障によって格差を相対的に抑制していたという点である。家族賃金的な要素が強く、公共に代わって主婦が保育などを担当していた。第三に、第一と第二のゆえに日本の社会保障支出は、会社や家族に頼れなくなる高齢者の医療や年金に集中している点である。第四に、社会保障支出が高齢者に集中しているがゆえに、教育や住宅などの現役世代への支援が弱いという点である。第五に、以上のような仕組みを全体としてとらえると、そこでは企業や業界ごとの雇用保障に、職域ごとに区切られた年金や健康保険が組み合わされて、「仕切られた生活保障」ともいうべき形でできていたと指摘する。しかし、近年ではグローバル化などに伴ってライフサイクルが多様化し、出産・育児で働けない、自分の技能が時代遅れになってしまったなどの「新しい社会的リスク」が顕在化した。こうしたリスクに対応するために、これまでの社会保障の仕組みを組みかえる必要があると指摘している。
第三章においては、著者は日本型生活保障とスウェーデン型の生活保障を比較している。社会的支出の大きさという面からみると、スウェーデンのほうが大きい。なかでも公共サービスの比重が高く、現役世代向けの支出が大きい。現金給付でみると年金の割合は小さめである。一方の日本は、社会的支出は低い。支出の内訳は、現金給付では年金の比重が高く、公共サービスへの支出が少ない。その中では医療の比重が高いが、そのうち4割近くが高齢者医療である。
雇用のかたちからみると、スウェーデンは雇用保護法制指標は高いが、流動性の高い労働市場と積極的労働市場政策の組み合わせで失業を抑制している。一方の日本は、大企業が長期的雇用慣行、低生産性部門は公共事業や保護・規制で雇用維持というかたちである。ここに流動性はなく、企業で労働力を抱えるかたちで失業を抑制しているので、積極的労働市場政策への支出は小さい。
生活保障の類型からみると、スウェーデンは雇用保障が課税ベースを拡大し、社会保障を支え、社会保障が人々の就労を拡げて雇用保障を維持するというかたちである。一方の日本は、強い雇用保障で人生の前半を守り、小さな社会保障で人生の後半に対応するかたちをとっている。こうした点から、日本とスウェーデンは雇用保障に重点を置くという点では同じだが、アプローチの仕方が異なると言える。
現在の日本の現状(とりわけ雇用)を解決する上で、全ての制度をそのまま取り入れるかどうかは別にしても、参考になる部分は多いと思われるという点と、宮本氏が現在の社会保障国民会議に選ばれていて割とホットな人ということで一読の価値ありだと思います。
〈参考文献〉
宮本太郎『生活保障』、岩波書店、2009年