遊牧民とオアシス民の社会と生活について
遊牧民とオアシス民の社会と生活について考えてみます
・遊牧民の生活と国家について
・遊牧民は、内陸アジアの草原地帯に住んでいた
→内陸アジアは、乾燥した気候なので、農耕が難しかった
=そのため、羊、牛、馬などの家畜を主な財産とする遊牧民は、
草地を求めて定期的に移動した
・遊牧民の特徴として、以下のようなことが挙げられる
→・遊牧と狩猟の生活を送っていた
・主な食料は、乳製品や肉類だった
・衣服は、毛皮などだった
・住居は、フェルトでおおう組み立て式のものだった
=そのため、家畜は衣食住全てをカバーできるという点からも大変貴重だった
・紀元前9世紀~8世紀ころに、銅製の馬具や武器を持った騎馬遊牧民だった
→騎馬の技術は、後に遊牧民が軍事面で圧倒的に優位になることとなった
※当時、男性一人ひとりが小さい頃から騎兵としての訓練を積んだ騎馬遊牧民は、
その機動力を生かして何度か定住農耕地帯に侵入した
・遊牧民の社会の特徴として、以下のようなことが挙げられる
→・遊牧民は、基本的に血縁的なまとまりを持つ集団を単位として行動していた
→それらの集団は、必要に応じて手を組んで、統率力のある指導者を中心に、
大きな国家を作り上げた
※ただし、指導者が死んだり連合の必要性が無くなったりすると、分裂もはやかった
・遊牧民の作った国家を地図上で見てみると、その領域は急速に
拡大や縮小、移動を続けていた
※これは、遊牧国家がもともと機動力のある氏族集団が集まって出来ているから
だといわれている
・特定の名前がある国家でも、以下のような特徴がある
→・その支配下に他の遊牧部族を従えていた
・オアシス民や農耕民など、混合的な構成を持っていることも多かった
・能力があれば、血統や種族に関係なく、登用する実力主義だった
・スキタイと匈奴について
※スキタイとは・・紀元前6世紀ころの南ロシアの草原地帯を支配した最初の遊牧国家のこと
※スキタイの特徴として、以下のようなことが挙げられる
→・特有の動物文様を持つ馬具や武器を使っている
・よく似た遺物は、スキタイの活動地域のみだけでなく、
ユーラシア東部の草原や森林地帯にも分布している
・スキタイの影響を受けて、内陸アジア東部でも、紀元前4世紀ころから
騎馬遊牧民の活動が活発になった
→その結果、以下のような人達が出てきた
・匈奴・・陰山山脈を中心としていた人たち
・烏孫・・天山山脈方面を中心としていた人たち
・月氏・・甘粛やタリム盆地東部を中心とした人たち
・匈奴の動きと流れについて
・匈奴は、単于と呼ばれる統率者のもとで強力な遊牧国家を作っていた
※特にすごかったのは、紀元前3世紀末ころに即位した冒頓単于という人だった
→冒頓単于は、以下のようなことを行った
・中継貿易で利益を上げていた月氏を攻撃して、オアシス地帯を勢力下にした
・成立後間もない漢を圧迫していた
→高祖は、匈奴に敗れて和親策をとった
→武帝は、匈奴を北にしりぞけ、西域にも進出した
=結果的に、匈奴は内陸貿易の利益を失って、紀元前1世紀ころに東西に分裂した
・4世紀には、草原地帯の東西で遊牧民の活動が活発になった
※その時に、鮮卑など「五胡」の華北侵入と、フン人の西進とが前後して始まった
→この動きは、農耕地帯に大きな衝撃を与えた
=そのため、ヨーロッパでも東アジアでも、統一帝国の解体とともに、
動乱の時代を迎えることになった
・オアシスの生活について
※オアシスとは・・乾燥した砂漠や草原地帯のなかでも、
雪解け水による河川や地下水を利用出来た場所のこと
・オアシスには、以下のような特徴がある
→・オアシスでは、定住生活が行われていた
・オアシスは、市場や寺院を持つ市街地と、集約的な農業の営まれる周辺の農村部とが
ある場所だった
・孤立した生活圏だった
・長距離交易の補給の拠点としても重要な場所だった
・タリム盆地の周辺では、敦煌、クチャ、ホータン、カシュガルなど、
数多くのオアシス都市が点在していた
→上のようなオアシス都市は、隊商交易の中継地として、重要な役割を果たしていた
・オアシス都市は、自分たちで連合して大きな国家を作ることはほとんどなかった
→そのため、周辺の大規模国家の支配下に入ることが多かった
※中国の王朝や、草原地帯の遊牧国家は、オアシスの様々な都市の
支配をめぐって争っていた
ポイント
・遊牧民の生活と国家についておさえる
・スキタイと匈奴についておさえる
・オアシスの生活についておさえる
このあたりが今回のポイントです