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	<title>アラエス &#187; コンスタンティノープル</title>
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		<title>十字軍の動きについて　－十字軍が出てくるまでの流れと出てきたときの社会の様子について－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/846</link>
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		<pubDate>Sat, 12 Oct 2013 14:41:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[アイユーブ朝]]></category>
		<category><![CDATA[イェルサレム]]></category>
		<category><![CDATA[ウルバヌス2世]]></category>
		<category><![CDATA[クレルモン宗教会議]]></category>
		<category><![CDATA[コンスタンティノープル]]></category>
		<category><![CDATA[サラディン]]></category>
		<category><![CDATA[セルジューク朝]]></category>
		<category><![CDATA[ヴェネツィア]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>

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		<description><![CDATA[十字軍の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・十字軍が出てくるまでの流れについて &#160; &#160; 　・西ヨーロッパの封建社会は西暦１０００年ころから、３００年ほど 　　安定と成長が続く時代に [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/846">十字軍の動きについて　－十字軍が出てくるまでの流れと出てきたときの社会の様子について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>十字軍の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・十字軍が出てくるまでの流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ヨーロッパの封建社会は西暦１０００年ころから、３００年ほど</p>
<p>　　安定と成長が続く時代になった</p>
<p>　　→そのため、この時代には以下のような特徴がある</p>
<p>　　　・当時は気候が温暖で、三圃制の普及や水車の改良など農業技術の進歩によって</p>
<p>　　　　農業生産が拡大した</p>
<p>　　　・農業の影響もあって、人口が飛躍的に増えた</p>
<p>　　　・人口の増加の影響によって、西ヨーロッパ世界が次第に</p>
<p>　　　　内側でも外側でも拡大していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※どのような拡大の動きがあったのか</p>
<p>　　　　・修道院を中心にした開墾運動　</p>
<p>　　　　・オランダの干拓</p>
<p>　　　　・エルベ川以東への東方の植民</p>
<p>　　　　・イベリア半島の国土回復運動</p>
<p>　　　　・巡礼の流行　　など</p>
<p>　　　　　→中でも大規模な西ヨーロッパの拡大が、十字軍だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・１１世紀に、セルジューク朝が東地中海沿岸に進出し、</p>
<p>　　聖地イェルサレムを支配下に置くということが起きた</p>
<p>　　※セルジューク朝は、ビザンツ帝国をおびやかすほどの力があった</p>
<p>　　　→そのため、ビザンツの皇帝は教皇に助けてもらうことをお願いした</p>
<p>　　　→そこで、当時の教皇のウルバヌス２世は１０９５年にクレルモン宗教会議を行って、</p>
<p>　　　　聖地回復の聖戦を起こすということを提唱した</p>
<p>　　　　＝その結果、１０９６年に諸侯や騎士によって作られた第１回十字軍が出発した</p>
<p>　　　　　→そして、１０９９年にイェルサレムを占領して、イェルサレム王国を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、イスラーム勢力が勢いを盛りかえしてくるということが起きた</p>
<p>　　　※そのため、イスラーム勢力に対して第２回十字軍が誕生した</p>
<p>　</p>
<p>　　→その後、アイユーブ朝のサラディンという人に聖地を再び奪われた</p>
<p>　　　※そこで、聖地を回復するために、ドイツ皇帝、フランス国王、イギリス国王が参加して</p>
<p>　　　　第３回十字軍が作られた</p>
<p>　　　　＝しかし、第２回十字軍も第３回十字軍も成功しなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　・その後、第４回十字軍が誕生した</p>
<p>　　→しかし、第４回十字軍はヴェネツィア商人の要求があったため、聖地の回復という目的を</p>
<p>　　　捨てて、ヴェネツィアの商業上のライバルであるコンスタンティノープルを占領した</p>
<p>　　　＝その結果、第４回十字軍はラテン帝国というところを作った</p>
<p>　　　　※その後も第７回まで十字軍は続いたが、聖地回復という目的が達成されることはなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※十字軍の動きによって、以下のような動きも見られるようになった</p>
<p>　　・聖地への巡礼の保護を目的として、ドイツ騎士団などの宗教騎士団が</p>
<p>　　　各地で活躍するようになった</p>
<p>　　・少年十字軍という軍のように、熱狂的動機によって誕生し、</p>
<p>　　　悲劇的な結末に終わった運動もあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・十字軍の動きによる周辺への影響について</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※十字軍は前提として、民衆の宗教的な情熱だけでなく、参加者それぞれの動機が</p>
<p>　　複雑に絡んで誕生したものである、ということをおさえておく必要がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・教皇は、十字軍の登場を機会に、東西の両方の教会を統一しようという計画を作った</p>
<p>　　→そこで、諸侯は領地や戦利品を期待し、イタリアの様々な都市は商業の利益を</p>
<p>　　　拡大しようとした</p>
<p>　　　※十字軍は結果的に失敗したものの、その後の西ヨーロッパ世界に</p>
<p>　　　　大きな影響を与えたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、十字軍の何度もの失敗は、教皇の権威が揺らぐことになった</p>
<p>　　※そのため、遠征を指揮した国王の権威は高まることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・十字軍の輸送によって、イタリアの様々な都市は繁栄した</p>
<p>　　→そのため、地中海貿易による東方との交易がもう一度盛んになっていった</p>
<p>　　　＝この動きによって、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　　・東西の間で人とものとの交流が活発になった</p>
<p>　　　　・東方の先進文明圏であるビザンツ帝国やイスラームから文物が流入してきた</p>
<p>　　　　・西ヨーロッパ人の視野が広がった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　　→以上のような動きが十字軍をきっかけにして起こり、</p>
<p>　　　結果的に中世西ヨーロッパが大きく変わることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・十字軍についておさえる</p>
<p>・十字軍までの流れについておさえる</p>
<p>・十字軍の周辺の動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです　　　　</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/846">十字軍の動きについて　－十字軍が出てくるまでの流れと出てきたときの社会の様子について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>ビザンツ帝国について①　－ビザンツ帝国の歴史－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/841</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/841#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 12 Oct 2013 13:49:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[オスマン帝国]]></category>
		<category><![CDATA[ギリシア正教会]]></category>
		<category><![CDATA[コンスタンティノープル]]></category>
		<category><![CDATA[ハギア＝ソフィア聖堂]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[ユスティニアス大帝]]></category>
		<category><![CDATA[ヴァンダル王国]]></category>
		<category><![CDATA[十字軍]]></category>
		<category><![CDATA[東ローマ帝国]]></category>

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		<description><![CDATA[ビザンツ帝国について、歴史を中心に考えてみます &#160; &#160; ・ビザンツ帝国の歴史について &#160; &#160; 　・西ヨーロッパがカール大帝のころまで一つの世界として自立する一方で、 　　東ヨーロッ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/841">ビザンツ帝国について①　－ビザンツ帝国の歴史－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ビザンツ帝国について、歴史を中心に考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ビザンツ帝国の歴史について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ヨーロッパがカール大帝のころまで一つの世界として自立する一方で、</p>
<p>　　東ヨーロッパではビザンツ帝国（東ローマ帝国）がギリシア正教と</p>
<p>　　ギリシア古典文化を融合した独自の文化的世界を作った</p>
<p>　　→ビザンツ帝国は、西ヨーロッパに対して経済的かつ文化的な</p>
<p>　　　先進文明圏として優位を保った</p>
<p>　　　</p>
<p>　・ビザンツ帝国は、西ヨーロッパとは違い、ゲルマン人の大移動による</p>
<p>　　深刻な打撃を受けなかった</p>
<p>　　→そのため、商業と貨幣経済は繁栄し続けた</p>
<p>　　　※首都のコンスタンティノープル（旧名ビザンティウム）は、</p>
<p>　　　　ヨーロッパ世界最大の貿易都市として、中世の間栄えていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・政治面では、ローマ帝政末期以来の巨大な官僚制による皇帝専制支配が維持されていた</p>
<p>　　※西ヨーロッパでは、皇帝と教皇という２つの権力が並んでいたが、</p>
<p>　　　ビザンツ皇帝は、地上でのキリスト教の代理人として、</p>
<p>　　　ギリシア正教会を支配する立場にあった</p>
<p>　　　＝そのため、ビザンツ皇帝は政治と宗教の両面で最高の権力者だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ローマ帝国が滅亡してからしばらくは、西方のゲルマンの様々な国家も、</p>
<p>　　ローマ帝国唯一の後継者であるビザンツ皇帝の権威を認めて服従していた</p>
<p>　　→特に、ユスティニアス大帝は地中海帝国の復興を目指し、</p>
<p>　　　北アフリカのヴァンダル王国やイタリアの東ゴート王国を滅ぼして、</p>
<p>　　　一時的に地中海のほぼ全域にローマ帝国を復活させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・内政については、「ローマ法大全」の編纂や、ハギア（セント）＝ソフィア聖堂の</p>
<p>　　建立などの事業に力を注ぎ、中国から養蚕技術を取り入れて、</p>
<p>　　絹織物産業の発展の基礎を築いていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、長期間の征服戦争によって国力は低下していってしまった</p>
<p>　　→そのため、ユスティニアヌス大帝が死んだ後に、</p>
<p>　　　イタリアがランゴバルド王国やフランク王国に奪われてしまった</p>
<p>　　→また、７世紀にササン朝が、その後にアラブ人ムスリムが進出してきたことによって、</p>
<p>　　　シリア・エジプトが奪われた</p>
<p>　　→さらに、スラヴ人が大量にバルカン半島に移住した</p>
<p>　　→そして、北方でトルコ系のブルガール人がブルガリア帝国を作った</p>
<p>　　　＝このように、ビザンツ帝国は段々と支配権を小さくしていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１０世紀から１１世紀前半は、異民族を撃退して一時的に勢力を回復した</p>
<p>　　→しかし、１１世紀の後半に東方からセルジューク朝の侵入を受けた</p>
<p>　　→そして、１３世紀の前半に第４回十字軍が首都を奪ってラテン帝国という帝国を作った</p>
<p>　　　＝このように、国内はどんどん混乱していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、一度ビザンツ帝国が復活した</p>
<p>　　　※しかし、昔のような勢いが戻ることはなかった</p>
<p>　　　　＝そのため、結果的に１４５３年にオスマン帝国に滅ぼされてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ビザンツ帝国の歴史についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/841">ビザンツ帝国について①　－ビザンツ帝国の歴史－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>西ローマ帝国の滅亡について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/690</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/690#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 04 Oct 2013 20:39:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[オリエント地中海古代史]]></category>
		<category><![CDATA[ゲルマン人の大移動]]></category>
		<category><![CDATA[コロヌス]]></category>
		<category><![CDATA[コンスタンティヌス帝]]></category>
		<category><![CDATA[コンスタンティノープル]]></category>
		<category><![CDATA[テオドシウス帝]]></category>
		<category><![CDATA[テトラルキア（四帝分治制）]]></category>
		<category><![CDATA[ディオクレティアヌス帝]]></category>
		<category><![CDATA[ビザンツ帝国]]></category>
		<category><![CDATA[専制君主制]]></category>

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		<description><![CDATA[西ローマ帝国の滅亡について考えてみます &#160; &#160; ・西ローマ帝国の滅亡について &#160; &#160; 　・２８４年にディオクレティアヌス帝が即位した &#160; 　　→ディオクレティアヌス帝は、 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/690">西ローマ帝国の滅亡について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>西ローマ帝国の滅亡について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・西ローマ帝国の滅亡について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・２８４年にディオクレティアヌス帝が即位した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→ディオクレティアヌス帝は、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・四帝分治制（テトラルキア）という制度を使って、政治的な秩序を回復した</p>
<p>　　　　※四帝分治制・・帝国を４つに分け、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　正帝と副帝を２人ずつたてて統治させる制度のこと</p>
<p>　　　・軍の兵員を増やして、徴税の仕組みを新しくするなどの様々な改革を行った</p>
<p>　　　　→上のような改革によって、分裂の危機をとりあえず回避した</p>
<p>　　　・皇帝を神として礼拝させ、専制君主として支配した</p>
<p>　　　　＝結果的に、政治体制が元首政から専制君主政（ドミナトゥス）へと変化していった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ディオクレティアヌス帝の政策を、コンスタンティヌス帝という人が引き継いだ</p>
<p>　　→コンスタンティヌス帝は、以下のようなことを行った</p>
<p>　　　・今まで迫害されていたキリスト教を公認することで、帝国の統一を狙った</p>
<p>　　　・軍隊をさらに増強して、帝国の支配を安定させようとした</p>
<p>　　　・財政基盤を整備するために、コロヌスを土地に縛り付けて税の収入を確保した</p>
<p>　　　・下層民の身分や職業を世襲化させた</p>
<p>　　　・３３０年に新しい首都を、ビザンティウムというところに建設した</p>
<p>　　　　※この都市は、コンスタンティノープルと名前を変えた</p>
<p>　　　　→財政基盤の整備や世襲化などを使って、巨大な官僚体制を作っていった</p>
<p>　　　・官吏の力を強め、皇帝が官吏を使って帝国を専制支配する体制を作っていった</p>
<p>　　　・ローマを官僚制を土台とした階層社会にした</p>
<p>　　　　→そのため、人々は官吏としての出世が目標になっていった</p>
<p>　　　　</p>
<p>　　　　＝こうして、ポリス以来の市民の自由は完全に失われてしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・コンスタンティヌス帝が改革したのにも関わらず、膨大な数の軍隊と官僚を支えるための</p>
<p>　　重い税金は相次ぐ属州の反乱を招くことになった</p>
<p>　　→そして、３７５年にゲルマン人の大移動ということが起きたため、帝国内部が混乱した</p>
<p>　　　＝そのため、帝国の分裂を防ぐことは難しかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そこで、３９５年にテオドシウス帝は帝国を東西に分割して２人の子どもに分け与えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東西の分割によって、東ローマ帝国（ビザンツ帝国）と西ローマ帝国が出て来た</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東ローマ帝国は、コンスタンティノープルを首都とし、都市経済が比較的に順調だった</p>
<p>　　→そのため、その後１４５３年まで東ローマ帝国は続いた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西ローマ帝国は、ローマを首都とし、ゲルマン人の侵入によって混乱してしまった</p>
<p>　　→そのため、４７６年にゲルマン人傭兵隊長のオドアケルという人によって、</p>
<p>　　　西ヨーロッパ皇帝が退位させられた</p>
<p>　　　＝その結果、西ヨーロッパ帝国は滅亡してしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ディオクレティアヌス帝の動きについておさえる</p>
<p>・コンスタンティヌス帝の動きについておさえる</p>
<p>・東ローマ帝国と西ローマ帝国の様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/690">西ローマ帝国の滅亡について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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