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	<title>アラエス &#187; プロテスタント</title>
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	<item>
		<title>中世からのルネサンスと宗教改革の流れと動き</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2488</link>
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		<pubDate>Tue, 11 Feb 2014 05:03:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近世・近代ヨーロッパ史初期]]></category>
		<category><![CDATA[イエズス会]]></category>
		<category><![CDATA[カトリック]]></category>
		<category><![CDATA[カルヴァン]]></category>
		<category><![CDATA[プロテスタント]]></category>
		<category><![CDATA[ルター]]></category>
		<category><![CDATA[ルネサンス]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ＝カトリック]]></category>
		<category><![CDATA[三大発明]]></category>
		<category><![CDATA[宗教改革]]></category>
		<category><![CDATA[対抗宗教改革]]></category>

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		<description><![CDATA[※中世までのヨーロッパ文化・・ローマ＝カトリック教会の影響が強かった →しかし、中世末期に教会の権威が衰えた ＝その結果、神に仕える生き方から、人間の個性や自由を求める考え方が生まれた ※個性や自由を求める考えのベースは [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2488">中世からのルネサンスと宗教改革の流れと動き</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>※中世までのヨーロッパ文化・・<strong>ローマ＝カトリック教会</strong>の影響が強かった</p>
<p>→しかし、中世末期に<strong>教会の権威が衰えた</strong></p>
<p>＝その結果、神に仕える生き方から、<strong>人間の個性や自由を求める考え方</strong>が生まれた</p>
<p>※個性や自由を求める考えのベースは、<strong>古代ギリシア・ローマ文化</strong>だった</p>
<p>→このように、古代文化を復興させ、自分たちの生き方に役立てようとした運動を<strong>ルネサンス</strong>という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ルネサンスによって、以下のようなことが起きた</p>
<p>・<strong>レオナルド＝ダ＝ヴィンチ</strong>や<strong>ミケランジェロ</strong>などの芸術家が出てきた</p>
<p>・<strong>三大発明</strong>（火薬、羅針盤、活版印刷）が誕生した</p>
<p>※火薬（火砲）・・剣で戦う騎士の没落をはやめた</p>
<p>※羅針盤・・海外への進出を容易にした</p>
<p>※活版印刷術・・聖書の普及をはやめ、宗教改革に貢献した（<strong>グーテンベルク</strong>）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ルネサンスが最盛期を迎えた時に、ドイツで<strong>ルター</strong>の<strong>宗教改革</strong>が始まった</p>
<p>※ルターは、<span style="text-decoration: underline">贖宥状（信者の罪を免除する証書）と教皇の権威を否定</span>して、<strong>聖書だけ信仰すること</strong>を求めた</p>
<p>→ルターの動きに対して、教会の権力に不満を持っていた諸侯や民衆も、聖書で社会を変えようとした（<strong>プロテスタント</strong>）</p>
<p>※ただしルターは、人々の急激な運動を否定したため、民衆の急激な運動を武力でおさえつけた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また、<strong>カルヴァン</strong>という人が、スイスで宗教改革を始めた</p>
<p>→カルヴァンは<strong>予定説</strong>を提唱し、富を蓄積することを肯定した</p>
<p>※予定説・・魂が救われるかどうかは、前もって定められているという考え方のこと</p>
<p>＝この予定説をもとに、禁欲的に労働を行うことが神の意志にかなうと考えた</p>
<p>※予定説は、西欧の商工業者に受け入れられた</p>
<p>※西欧の商工業者は、富を蓄えることを教会から非難されていたために、蓄財を認める予定説を支持した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>宗教改革に対して、ローマ＝カトリック教会は自分たちの動きを反省した</p>
<p>→その後、教会が教皇の権威を再確認した</p>
<p>＝その結果、聖職者の規律を正して、宗教改革の普及を食い止めようとした（＝<strong>対抗宗教改革</strong>）</p>
<p>※対抗宗教改革のために、<strong>イエズス会</strong>という組織が作られた</p>
<p>→イエズス会は、世界各地で布教活動を行って、カトリックの信仰を普及させた</p>
<p>※この布教活動はアジアにも広がった</p>
<p>→そのため、1549年には<strong>フランシスコ＝ザビエル</strong>が日本で布教を始めた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2488">中世からのルネサンスと宗教改革の流れと動き</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>カルヴァンと宗教改革について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/921</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/921#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 11:23:52 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[アルコール]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近世・近代ヨーロッパ史初期]]></category>
		<category><![CDATA[エリザベス1世]]></category>
		<category><![CDATA[カルヴァン]]></category>
		<category><![CDATA[プロテスタント]]></category>
		<category><![CDATA[ヘンリ8世]]></category>
		<category><![CDATA[万人司祭主義]]></category>
		<category><![CDATA[予定説]]></category>
		<category><![CDATA[国王至上法]]></category>
		<category><![CDATA[宗教改革]]></category>
		<category><![CDATA[神権政治]]></category>
		<category><![CDATA[長老主義]]></category>

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		<description><![CDATA[カルヴァンと宗教改革について考えてみます &#160; &#160; ・カルヴァンと宗教改革について &#160; &#160; 　・スイスでは、ツヴィングリという人がチューリヒで宗教改革を始めるということが起きた 　　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/921">カルヴァンと宗教改革について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>カルヴァンと宗教改革について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・カルヴァンと宗教改革について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・スイスでは、ツヴィングリという人がチューリヒで宗教改革を始めるということが起きた</p>
<p>　　→その後、フランスの人文主義者で「キリスト教綱要」を出したカルヴァンという人が</p>
<p>　　　ジュネーヴで独自の宗教改革を行った</p>
<p>　　　※カルヴァンの考えの特徴は、神の絶対主義を強調する厳格な禁欲主義だった</p>
<p>　　　　＝そのため、ジュネーヴでは一種の神権政治が行なわれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カルヴァンは、「予定説」を提唱した</p>
<p>　　→この考え方が、職業労働を神の栄光をあらわす道と理解する考え方に結びついて、</p>
<p>　　　西欧の商工業者の間で普及した</p>
<p>　　　※予定説・・魂が救われるかどうかは、あらかじめ神によって決定されている</p>
<p>　　　　　　　　　という考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→教会組織の上では、ルターが司教制度を維持したのに対し、</p>
<p>　　　カルヴァンは司教制度を廃止し長老主義を取り入れた</p>
<p>　　　※長老主義・・教会員の中から信仰のあついものを長老に選んで、</p>
<p>　　　　　　　　　　牧師を補佐させる考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・カルヴァン派は、１６世紀の後半にフランス、ネーデルラント、スコットランド、</p>
<p>　　イギリスなどにも広まった</p>
<p>　　※カルヴァン派は、ドイツや北欧などで力のあったルター派とならんで、</p>
<p>　　　無視できないレベルのキリスト教の宗派になった</p>
<p>　　　→新教徒（プロテスタント）という言葉は、ローマ教皇の権威を認めず、</p>
<p>　　　　万人司祭主義の宗派の総称になった</p>
<p>　　　　※万人司祭主義・・聖職者の特権を否定する考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・イギリスでは、国王のヘンリ８世が自分の離婚を認めない教皇と対立して宗教改革が始まった</p>
<p>　　→ヘンリ８世は、１５３４年の国王至上法（首長法）で国王が</p>
<p>　　　イギリス国内の教会（国教会）の首長であると宣言してカトリック世界から離脱した</p>
<p>　　→さらに修道院を議会立法で廃止して、その広大な土地財産を没収した</p>
<p>　　　※しかし、教義の面で改革が進んだのは長男のエドワード６世という人の時の社会だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・次の女王のメアリ１世という人は、スペイン王室と結んでカトリックを復活させようとした</p>
<p>　　→しかし、エリザベス１世の時に、１５５９年の統一法で</p>
<p>　　　イギリス独自の教会体制が最終的に確立した</p>
<p>　　　※イギリス国教会は、ほぼカルヴァン主義を採用しているが、</p>
<p>　　　　司教（主教）制を維持することに加えて、儀式の面でも</p>
<p>　　　　昔のルター派に似たような点を残している</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・カルヴァンを中心とした宗教改革の動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです　　　</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/921">カルヴァンと宗教改革について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>宗教改革の始まりについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/920</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/920#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 11:18:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[アルコール]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近世・近代ヨーロッパ史初期]]></category>
		<category><![CDATA[アウクスブルクの和議]]></category>
		<category><![CDATA[シュマルカルデン戦争]]></category>
		<category><![CDATA[ドイツ農民戦争]]></category>
		<category><![CDATA[プロテスタント]]></category>
		<category><![CDATA[ルター]]></category>
		<category><![CDATA[レオ10世]]></category>
		<category><![CDATA[九十五カ条の論題]]></category>
		<category><![CDATA[宗教改革]]></category>
		<category><![CDATA[福音信仰]]></category>
		<category><![CDATA[領邦教会制]]></category>

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		<description><![CDATA[宗教改革の始まりについて考えてみます &#160; &#160; ・宗教改革について &#160; 　※カトリック教会への批判は１４世紀ころからすでにみられていた &#160; &#160; 　・１５１７年に、ドイツ中部 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/920">宗教改革の始まりについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>宗教改革の始まりについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・宗教改革について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※カトリック教会への批判は１４世紀ころからすでにみられていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１５１７年に、ドイツ中部のザクセンのヴィッテンベルク大学の神学教授の</p>
<p>　　マルティン＝ルターは、「魂の救いは福音信仰のみによる」という考えから、</p>
<p>　　贖宥状（免罪符）の悪い部分を攻撃する九十五カ条の論題を発表した</p>
<p>　　※福音信仰・・魂の救いは善行にはよらず、キリストの福音を信ずることだけ</p>
<p>　　　　　　　　　だという考え方のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※当時、メディチ家出身の教皇のレオ１０世という人は、ローマのサン＝ピエトロ大聖堂の</p>
<p>　　　新築資金を調達するために、「教会のために喜捨などの善行を積めば、</p>
<p>　　　その功績によって過去におかした罪も赦される」と説明して、贖宥状を売り出していた</p>
<p>　　　※ドイツは、当時は「ローマの牝牛」と言われていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→ルターの論題がドイツ各地に伝えられると、幅広い社会層がルターの論題を支持していた</p>
<p>　　※代表的な支持者に、教皇庁の搾取に反発する諸侯や市民、領主の搾取のもとに</p>
<p>　　　あった農民などがいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１５２１年に、ルターは教皇から破門された</p>
<p>　　→ルターは、皇帝のカール５世にヴォルムスの帝国会議に呼び出されたが、</p>
<p>　　　自分の説を撤回できなかった</p>
<p>　　　＝結果的に、ザクセン選帝侯の保護のもとで「新約聖書」のドイツ語訳を完成した</p>
<p>　　　　※これにより、民衆が直接キリストの教えに接することが出来るようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で、ルターの説に影響を受けたミュンツァーという人は、１５２４年～１５２５年に</p>
<p>　　農奴制の廃止などを要求するドイツ農民戦争を指導して、処刑された</p>
<p>　　→ルター自身、最初は農民蜂起に同情的だったが、</p>
<p>　　　やがて農民蜂起を弾圧する諸侯の側にまわった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ザクセン選帝侯をはじめ、ルターの教えを採用した諸侯はカトリック教会の権威から離れ、</p>
<p>　　領内の教会の首長となって（領邦教会制）、修道院の廃止、教会儀式の改革などをすすめた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後のドイツでは、カール５世がイタリア戦争やオスマン帝国による</p>
<p>　　ウイーン包囲などの国際的な情勢のために何度かルター派との妥協にせまられた</p>
<p>　　→そして、旧教徒（カトリック）と新教徒（プロテスタント）との争いは</p>
<p>　　　シュマルカルデン戦争にまで発展した</p>
<p>　　　＝結果的に、１５５５年にアウクスブルクの和議が成立した</p>
<p>　　　　※アウクスブルクの和議で、以下のようなことが決められた</p>
<p>　　　　　・諸侯はカトリック派とルター派のいずれをも採用できた</p>
<p>　　　　　・領民はそれぞれの諸侯の宗派に従うという原則が確立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そして、ルター派は北欧諸国にも広がっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・宗教改革の始まりとルターの動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/920">宗教改革の始まりについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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