カルヴァンと宗教改革について

閲覧数:4,150
投稿者:       投稿日時:2013/10/14 20:23      
(まだ評価されていません。)
コメント数: 0       お気に入り登録数:0

LINEで送る
Pocket

カルヴァンと宗教改革について考えてみます

 

 

・カルヴァンと宗教改革について

 

 

 ・スイスでは、ツヴィングリという人がチューリヒで宗教改革を始めるということが起きた

  →その後、フランスの人文主義者で「キリスト教綱要」を出したカルヴァンという人が

   ジュネーヴで独自の宗教改革を行った

   ※カルヴァンの考えの特徴は、神の絶対主義を強調する厳格な禁欲主義だった

    =そのため、ジュネーヴでは一種の神権政治が行なわれた

 

 

 

 ・カルヴァンは、「予定説」を提唱した

  →この考え方が、職業労働を神の栄光をあらわす道と理解する考え方に結びついて、

   西欧の商工業者の間で普及した

   ※予定説・・魂が救われるかどうかは、あらかじめ神によって決定されている

         という考え方のこと

 

  →教会組織の上では、ルターが司教制度を維持したのに対し、

   カルヴァンは司教制度を廃止し長老主義を取り入れた

   ※長老主義・・教会員の中から信仰のあついものを長老に選んで、

          牧師を補佐させる考え方のこと

 

 

 

 

 ・カルヴァン派は、16世紀の後半にフランス、ネーデルラント、スコットランド、

  イギリスなどにも広まった

  ※カルヴァン派は、ドイツや北欧などで力のあったルター派とならんで、

   無視できないレベルのキリスト教の宗派になった

   →新教徒(プロテスタント)という言葉は、ローマ教皇の権威を認めず、

    万人司祭主義の宗派の総称になった

    ※万人司祭主義・・聖職者の特権を否定する考え方のこと

 

 

 

 

 ・イギリスでは、国王のヘンリ8世が自分の離婚を認めない教皇と対立して宗教改革が始まった

  →ヘンリ8世は、1534年の国王至上法(首長法)で国王が

   イギリス国内の教会(国教会)の首長であると宣言してカトリック世界から離脱した

  →さらに修道院を議会立法で廃止して、その広大な土地財産を没収した

   ※しかし、教義の面で改革が進んだのは長男のエドワード6世という人の時の社会だった

 

 ・次の女王のメアリ1世という人は、スペイン王室と結んでカトリックを復活させようとした

  →しかし、エリザベス1世の時に、1559年の統一法で

   イギリス独自の教会体制が最終的に確立した

   ※イギリス国教会は、ほぼカルヴァン主義を採用しているが、

    司教(主教)制を維持することに加えて、儀式の面でも

    昔のルター派に似たような点を残している

 

 

ポイント

・カルヴァンを中心とした宗教改革の動きについておさえる

 

このあたりが今回のポイントです   

閲覧数:4,150
LINEで送る
Pocket


(この記事はまだ評価されていません)
Loading ... Loading ...
投稿者:
投稿日時2013/10/14 20:23

コメント数: 0
お気に入り登録数:0



コメントを残す