カルヴァンと宗教改革について
カルヴァンと宗教改革について考えてみます
・カルヴァンと宗教改革について
・スイスでは、ツヴィングリという人がチューリヒで宗教改革を始めるということが起きた
→その後、フランスの人文主義者で「キリスト教綱要」を出したカルヴァンという人が
ジュネーヴで独自の宗教改革を行った
※カルヴァンの考えの特徴は、神の絶対主義を強調する厳格な禁欲主義だった
=そのため、ジュネーヴでは一種の神権政治が行なわれた
・カルヴァンは、「予定説」を提唱した
→この考え方が、職業労働を神の栄光をあらわす道と理解する考え方に結びついて、
西欧の商工業者の間で普及した
※予定説・・魂が救われるかどうかは、あらかじめ神によって決定されている
という考え方のこと
→教会組織の上では、ルターが司教制度を維持したのに対し、
カルヴァンは司教制度を廃止し長老主義を取り入れた
※長老主義・・教会員の中から信仰のあついものを長老に選んで、
牧師を補佐させる考え方のこと
・カルヴァン派は、16世紀の後半にフランス、ネーデルラント、スコットランド、
イギリスなどにも広まった
※カルヴァン派は、ドイツや北欧などで力のあったルター派とならんで、
無視できないレベルのキリスト教の宗派になった
→新教徒(プロテスタント)という言葉は、ローマ教皇の権威を認めず、
万人司祭主義の宗派の総称になった
※万人司祭主義・・聖職者の特権を否定する考え方のこと
・イギリスでは、国王のヘンリ8世が自分の離婚を認めない教皇と対立して宗教改革が始まった
→ヘンリ8世は、1534年の国王至上法(首長法)で国王が
イギリス国内の教会(国教会)の首長であると宣言してカトリック世界から離脱した
→さらに修道院を議会立法で廃止して、その広大な土地財産を没収した
※しかし、教義の面で改革が進んだのは長男のエドワード6世という人の時の社会だった
・次の女王のメアリ1世という人は、スペイン王室と結んでカトリックを復活させようとした
→しかし、エリザベス1世の時に、1559年の統一法で
イギリス独自の教会体制が最終的に確立した
※イギリス国教会は、ほぼカルヴァン主義を採用しているが、
司教(主教)制を維持することに加えて、儀式の面でも
昔のルター派に似たような点を残している
ポイント
・カルヴァンを中心とした宗教改革の動きについておさえる
このあたりが今回のポイントです