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	<title>アラエス &#187; ベルリンの壁</title>
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	<item>
		<title>国際政治の動きについて②　－冷戦の終わりと第三世界について－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1708</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1708#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 15 Nov 2013 17:58:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ロンリ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[国際政治]]></category>
		<category><![CDATA[アフリカの年]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリンの壁]]></category>
		<category><![CDATA[マルタ会談]]></category>
		<category><![CDATA[平和１０原則]]></category>
		<category><![CDATA[新冷戦]]></category>
		<category><![CDATA[植民地独立付与宣言]]></category>
		<category><![CDATA[第三世界]]></category>
		<category><![CDATA[第１回非同盟諸国首脳会議]]></category>

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		<description><![CDATA[国際政治の動きについて、冷戦の終わりと第三世界について考えてみます &#160; &#160; ・１９７０年代から１９８０年代の動きについて 　 　・１９７９年にソ連がアフガニスタンに侵略して攻撃を始めたことで、 　　ア [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1708">国際政治の動きについて②　－冷戦の終わりと第三世界について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>国際政治の動きについて、冷戦の終わりと第三世界について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・１９７０年代から１９８０年代の動きについて</p>
<p>　</p>
<p>　・１９７９年にソ連がアフガニスタンに侵略して攻撃を始めたことで、</p>
<p>　　アメリカとソ連との関係が再び悪くなった</p>
<p>　　→そこで、アメリカはソ連を「悪の帝国」と呼んで、核を増やすなど、強気な態度を取った</p>
<p>　　　＝これを、「新冷戦」と呼ぶ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９８０年代後半に、ソ連でゴルバチョフという人が政権を取って、民主化などの改革や、</p>
<p>　　西側と仲良くなることを目指して、「新思考外交」という考えを進めていった</p>
<p>　　→その結果・・</p>
<p>　　　・アメリカとソ連との緊張は再び緩和されて、アメリカとソ連との首脳会談が復活した</p>
<p>　　　・１９８７年に、中距離核戦力（ＩＭＦ）全廃条約が結ばれたりして、アメリカとソ連は</p>
<p>　　　　和解の方向に向かって行った</p>
<p>　　　・１９８９年１２月に、マルタ会談という会談で、アメリカとソ連の首相が、</p>
<p>　　　　冷戦の終結（冷戦の終わり）を認め合った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・冷戦が終わったことによる各地の動き</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ドイツ</p>
<p>　　→１９８９年１１月にベルリンの壁が崩壊して、その翌年にドイツが昔のように統一された</p>
<p>　</p>
<p>　・東欧諸国</p>
<p>　　→次々と社会主義政権が潰れ、ワルシャワ条約機構が無くなった</p>
<p>　</p>
<p>　・ソ連</p>
<p>　　→１９９１年の終わりころに、ソ連が無くなって、独立国家共同体（ＣＩＳ）が作られた</p>
<p>　</p>
<p>　・南北朝鮮（韓国と北朝鮮）</p>
<p>　　→１９９１年に両方の国が同時に参加した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９９５年にＣＳＣＥが生まれ変わって、欧州安保協力機構（ＯＳＣＥ）として</p>
<p>　　冷戦後が安定することに貢献している</p>
<p>　　※しかし、中国と台湾との対立や南北朝鮮が分かれているという状況は解決していない</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・第三世界の形成</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第二次世界大戦後に、アジアやアフリカの植民地が、次々に独立していった</p>
<p>　　→独立をした国々は、１９５５年にアジア・アフリカ会議（バンドン会議）</p>
<p>　　　という会議を開いて、平和１０原則という原則を発表した</p>
<p>　　　※平和１０原則で、人種差別をしないことや、他国の政治に関わらないこと、</p>
<p>　　　　紛争を平和的に解決することを主張した上で、</p>
<p>　　　　独立をした国々の間での連帯感を促した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※１９６０年に、アフリカで１７の国が新しく独立をしたので、</p>
<p>　　　アフリカの年と言われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※１９６０年に、国連の総会で、植民地独立付与宣言というものが選ばれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・独立をした国々（第三世界）は、東西のどちらかに組み込まれるということは少なかった</p>
<p>　　→そのため、インドみたいに、冷戦の対立を緩和させる非同盟中立の</p>
<p>　　　立場を取る国が多かった</p>
<p>　　※そこで、１９６１年にベオグラードで、第一回非同盟諸国首脳会議という会議を開いて</p>
<p>　　　国際的影響力が大きくなることを目指した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・１９７０年代から１９８０年代の動き、特にゴルバチョフ以降の協調の部分を押さえる</p>
<p>・冷戦が終結した後の各地の動きを押さえる</p>
<p>・第三世界が作られる過程と、その後の動きを押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1708">国際政治の動きについて②　－冷戦の終わりと第三世界について－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>冷戦と内戦について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1344</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1344#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 29 Oct 2013 18:11:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[天然パーマ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[高度成長・平成時代]]></category>
		<category><![CDATA[デタント]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリンの壁]]></category>
		<category><![CDATA[ペレストロイカ]]></category>
		<category><![CDATA[中距離核戦力全廃条約]]></category>
		<category><![CDATA[双子の赤字]]></category>
		<category><![CDATA[新冷戦]]></category>
		<category><![CDATA[東欧革命]]></category>
		<category><![CDATA[湾岸戦争]]></category>
		<category><![CDATA[独立国家共同体]]></category>
		<category><![CDATA[ＰＫＯ協力法]]></category>

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		<description><![CDATA[冷戦と内戦について考えてみます &#160; &#160; ・冷戦と内戦について &#160; &#160; 　・１９７０年代半ばに、アメリカとソ連の関係は緊張緩和へと向かっていった 　　＝この動きを、デタントという 　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1344">冷戦と内戦について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>冷戦と内戦について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・冷戦と内戦について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９７０年代半ばに、アメリカとソ連の関係は緊張緩和へと向かっていった</p>
<p>　　＝この動きを、デタントという</p>
<p>　　　※しかし、１９７９年にソ連がアフガニスタンに侵攻したことがきっかけとなって、</p>
<p>　　　　次の年の１９８０年のアメリカ大統領選挙で当選したレーガンという人が</p>
<p>　　　　ソ連と対決する姿勢をはっきりと示した</p>
<p>　　　　＝そのため、１９８０年代は「新冷戦」の時代になったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→レーガン大統領は、軍拡を行う一方で、経済政策として企業の活動を活発にする</p>
<p>　　　大幅減税や規制緩和を行った</p>
<p>　　　※同じ時期に、イギリスのサッチャー政権や日本の中曽根政権は、</p>
<p>　　　　有効需要創出政策（ケインズ政策）や福祉国家政策を批判して、</p>
<p>　　　　昔の自由放任経済に戻る「小さな政府」の実現が目指された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・新冷戦について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・新冷戦が進んだことで、アメリカとソ連の経済はさらに悪化した</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※アメリカは、国内産業の空洞化、国家財政と国際収支が赤字となる</p>
<p>　　　　「双子の赤字」に苦しんだ</p>
<p>　　　　→アメリカはこの時、世界最大の債務国に転落した</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※ソ連も、深刻な経済危機になってしまった</p>
<p>　　　　→そこでソ連は、１９８５年に登場したゴルバチョフという人の指導によって、</p>
<p>　　　　　ソ連国内経済の立て直しを行った</p>
<p>　　　　　＝この立て直しをペレストロイカという</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→ソ連は、ペレストロイカを始めとして以下のようなことを行った</p>
<p>　　　　　・元々計画経済を行っていたが、計画経済が機能不全になったため、</p>
<p>　　　　　　市場原理を導入した</p>
<p>　　　　　・情報公開や市場原理の導入などを通して政治や社会の自由化を進めた</p>
<p>　　　　　・積極的な外交を行うことで、アメリカとの関係を改善しようとした</p>
<p>　　　　　・１９８７年に中距離核戦力（ＩＮＦ）全廃条約を結んだ</p>
<p>　　　　　・１９８８年に、アフガニスタンから兵隊を撤収させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝以上のような動きをふまえて、マルタ島という場所で、アメリカとソ連の</p>
<p>　　　　首脳会談を行った結果、「冷戦の終結」がアメリカとソ連の共同で宣言された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・冷戦後の世界の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・冷戦後に、ソ連が自由化の動きを進めたが、その動きが東欧の国々の人々を刺激した</p>
<p>　　→その結果、東欧の国々はどんどん社会主義体制を放棄して、</p>
<p>　　　東側陣営から抜け出していった</p>
<p>　　　＝この動きを東欧革命という</p>
<p>　　</p>
<p>　・東欧革命の後、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　→・冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」は壊され、次の年に東ドイツと西ドイツが統一した</p>
<p>　　　・東アジアで、１９９０年にソ連と韓国が、１９９２年に中国と韓国が国交を結んだ</p>
<p>　　　　＝これらの動きの結果、東西対決という構造が崩れることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９９１年の終わりに、ソ連が解体するという動きが起きた</p>
<p>　　＝この動きによって、冷戦の時代は完全に終了した</p>
<p>　　　→この時、旧ソ連の国々の多くは、ロシア共和国（現在のロシア連邦）を中心とする</p>
<p>　　　　ゆるやかな連合体として「独立国家共同体」（ＣＩＳ）を作った</p>
<p>　　　　※しかし、旧ソ連やユーゴスラヴィアなどでは、民族と宗教にもとづいた</p>
<p>　　　　　深刻な紛争が続いていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・冷戦が終わった後に、アメリカの外国に対する影響力がもう一度強くなった</p>
<p>　　→１９９１年の初めに、クウェートに侵攻したイラクに対して、</p>
<p>　　　アメリカ軍を中心とした「多国籍軍」が国連の決議を背景にして、</p>
<p>　　　武力での制裁を加えた</p>
<p>　　　＝この時の戦争を、湾岸戦争という</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※湾岸戦争の時に、日本はアメリカから「国際貢献」をせまられた</p>
<p>　　　　→そこで日本は、「多国籍軍」に大量の資金の援助を行った</p>
<p>　　　　　※しかし、国際的には地域紛争に対して国連平和維持活動（ＰＫＯ）で</p>
<p>　　　　　　対応する動きが強まっていた</p>
<p>　　　　　　＝そのため日本は、１９９２年から内戦の続くカンボジアなどへ</p>
<p>　　　　　　　自衛隊を派遣することを始めた</p>
<p>　　　　　　　→さらに、一連の特別措置法に基づいて、２００１年のアフガン戦争、</p>
<p>　　　　　　　　２００３年のイラク戦争にも自衛隊を派遣した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　※日本の自衛隊の海外派遣について</p>
<p>　　・日本の自衛隊については、海外派遣が違憲かどうか、などについて意見が対立していた</p>
<p>　　　→しかし、１９９２年に宮沢喜一という人を首相とする内閣のもとで、</p>
<p>　　　　ＰＫＯ協力法という法律が作られた</p>
<p>　　　　＝その結果、ＰＫＯへの自衛隊の海外派遣が可能になった</p>
<p>　　※日本は実際に以下の場所に派遣している</p>
<p>　　　・１９９３年にモザンビーク</p>
<p>　　　・１９９４年にザイール（現在のコンゴ民主共和国）</p>
<p>　　　・１９９６年にゴラン高原</p>
<p>　　　・２００２年に東ティモール</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・冷戦の時の動きのその後の世界の様子をおさえる</p>
<p>・日本の自衛についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1344">冷戦と内戦について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>ソ連の「雪どけ」とその後の各国の動きについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1058</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1058#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 17:06:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[さやかとゆい]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦後世界史・冷戦・第三世界]]></category>
		<category><![CDATA[キューバ危機]]></category>
		<category><![CDATA[コミンフォルム]]></category>
		<category><![CDATA[スターリン]]></category>
		<category><![CDATA[ソ連]]></category>
		<category><![CDATA[ナジ＝イムレ]]></category>
		<category><![CDATA[フルシチョフ]]></category>
		<category><![CDATA[ベルリンの壁]]></category>
		<category><![CDATA[ホットライン]]></category>
		<category><![CDATA[雪どけ]]></category>

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		<description><![CDATA[ソ連の「雪どけ」とその後の各国の動きについて考えてみます &#160; &#160; ・ソ連の「雪どけ」について &#160; &#160; 　・１９５３年に、スターリンが死ぬということが起きた 　　→すると、ソ連は外交 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1058">ソ連の「雪どけ」とその後の各国の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>ソ連の「雪どけ」とその後の各国の動きについて考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・ソ連の「雪どけ」について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５３年に、スターリンが死ぬということが起きた</p>
<p>　　→すると、ソ連は外交政策を見直して、１９５５年にユーゴスラヴィアと和解し、</p>
<p>　　　西ドイツとの国交が回復した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５６年２月のソ連共産党第２０回大会で、フルシチョフ第一書記が、</p>
<p>　　スターリン体制の下での指導者の崇拝と、不法な処刑や抑圧を批判した</p>
<p>　　※この批判を、スターリン批判という</p>
<p>　　　＝この結果フルシチョフは、自由化の方向へ向かった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後ソ連は、以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・資本主義国との平和共存を表明した</p>
<p>　　　・東西間の緊張緩和政策を表明した</p>
<p>　　　・コミンフォルムを解散した</p>
<p>　　</p>
<p>　　＝これら一連のソ連の転換を「雪どけ」という</p>
<p>　　　※「雪どけ」は、東欧の社会主義の国々に驚きを与えたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・「雪どけ」後の各国の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ポーランドでは、１９５６年６月に、ポズナニというところで</p>
<p>　　生活の改善と民主化を目指す民衆と、軍や警察とが衝突した</p>
<p>　　＝そこで共産党は、指導者をゴムウカに交替させて、自由化路線をとった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５６年１０月にハンガリーで、社会主義体制とソ連からの離脱を求める大衆行動が</p>
<p>　　全国的に広がった</p>
<p>　　→ソ連は、この動きを軍事介入によって武力で鎮圧した</p>
<p>　　　※この時に首相のナジ＝イムレという人が処刑された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東ドイツで、１９５０年代の終わりに農業の集団化が進められた</p>
<p>　　→すると、東ベルリンから西側に脱出する人々が増えた</p>
<p>　　　＝そのため、１９６１年に東西ベルリンの境界に壁を作って、脱出を阻止した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９５８年に第一書記と首相を兼任したフルシチョフが経済改革を実行した</p>
<p>　　→そこでフルシチョフは、大陸間弾道ミサイルの開発と１９５７年の世界最初の</p>
<p>　　　人工衛星の成功を背景に、アメリカ合衆国との直接対話を進めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→１９５９年にフルシチョフは、アメリカに訪問して、</p>
<p>　　　アイゼンハウアー大統領と会談した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９６２年に、ソ連がキューバにミサイルを配備した</p>
<p>　　→すると、アメリカ合衆国がソ連のミサイルの配備の撤去を要求して、</p>
<p>　　　海上封鎖を行った</p>
<p>　　　＝その結果、世界がアメリカとソ連の軍事的な衝突の危機に対して</p>
<p>　　　　緊張する状態になった</p>
<p>　　　　※この時のアメリカとソ連の危機を、キューバ危機という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→ソ連は、キューバの革命政権を維持することを条件にミサイルを撤去した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらに、１９６３年に、アメリカとソ連との間で偶然戦争が起きることを防ぐために、</p>
<p>　　　アメリカとソ連との間でホットライン（直通回線）が設置された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・ソ連の「雪どけ」までの流れについておさえる</p>
<p>・「雪どけ」の後の各国の動きについておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1058">ソ連の「雪どけ」とその後の各国の動きについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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