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	<title>アラエス &#187; 三部会</title>
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	<item>
		<title>なぜフランス革命が起きたのか／フランス革命によってどのような動きが出てきたのか</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2533</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2533#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 26 Mar 2014 18:57:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[コイングラム]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史中期]]></category>
		<category><![CDATA[アンシャン＝レジーム]]></category>
		<category><![CDATA[ルイ16世]]></category>
		<category><![CDATA[ロベスピエール]]></category>
		<category><![CDATA[三部会]]></category>
		<category><![CDATA[対仏大同盟]]></category>
		<category><![CDATA[市民の革命]]></category>
		<category><![CDATA[民衆の革命]]></category>
		<category><![CDATA[第一共和政]]></category>
		<category><![CDATA[貴族の革命]]></category>
		<category><![CDATA[農民の革命]]></category>

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		<description><![CDATA[フランスの旧体制（アンシャン＝レジーム）は、大きく3つの身分があった ・第一身分・・聖職者 ・第二身分・・貴族 ・第三身分・・平民 ※第一身分と第二身分は、免税などの特権があり、第三身分に対しては領主だった ※第三身分は [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2533">なぜフランス革命が起きたのか／フランス革命によってどのような動きが出てきたのか</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>フランスの旧体制（<strong>アンシャン＝レジーム</strong>）は、大きく3つの身分があった</p>
<p>・第一身分・・聖職者</p>
<p>・第二身分・・貴族</p>
<p>・第三身分・・平民</p>
<p>※第一身分と第二身分は、免税などの特権があり、第三身分に対しては領主だった</p>
<p>※第三身分は、政治的発言が無く、農民と都市の人々が租税や営業活動の制限などでそれぞれ苦しんでいた</p>
<p>→このような状況だったため、第三身分の人達は、不満が限界に達していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一方、当時のフランスは、軍事費と<strong>マリ＝アントワネット</strong>を中心とした宮廷の浪費が原因で、国家は破産状態だった</p>
<p>→そこで、当時の国王<strong>ルイ16世</strong>が特権身分（第一身分と第二身分）に課税することで問題を解決させようとした</p>
<p>→課税に特権身分は反対し、王に<strong>三部会</strong>の開催を約束させた（＝<strong>貴族の革命</strong>）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※なぜ三部会を開かせようとしたのか</p>
<p>・そもそも三部会とは・・なにかを決める時、第一身分と第二身分と第三身分全てを含んだ多数決で何かを決めるという集まりのこと</p>
<p>→この仕組みだと、第一身分と第二身分が結束すると、必然的に特権身分が物事を決めることが出来るようになる</p>
<p>＝そのため、三部会を開くことで、特権身分の課税を撤廃しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>しかし、1789年に実際に三部会が開かれると、第三身分とそれに同調する貴族や聖職者が、三部会に反対するようになった</p>
<p>→そこで、国民議会を作り、憲法制定に向かうようになっていった</p>
<p>＝これを、<strong>球戯場の誓い</strong>という</p>
<p>※国民議会に対して、軍が用意され、弾圧しようとする動きが見られた</p>
<p>→この動きに対してパリの人々は、バスティーユ襲撃をして、革命が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>パリの様子を聞いて、農民も立ち上がった</p>
<p>→そのため、革命がフランス全土に広がっていった（＝<strong>農民の革命</strong>）</p>
<p>→国民会議では、以下のような動きが見られた</p>
<p>・封建的特権の廃止</p>
<p>・人権宣言の発布</p>
<p>・立憲君主制と制限選挙を柱とする憲法を制定</p>
<p>＝これら一連の流れを、<strong>市民の革命</strong>という</p>
<p>→そして、憲法による選挙で立法議会が成立した</p>
<p>＝立法議会は、ジロンド派の主導によって、1792年に干渉を宣言したオーストリアに宣戦し、立法議会とオーストリアとの間で戦争が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※ただし、戦争によって、革命が失敗する可能性が出てきた</p>
<p>→その時に、サン＝キュロットと呼ばれるパリの民衆が、議会に関わって革命を急激に進めた（＝<strong>民衆の革命</strong>）</p>
<p>＝この動きの結果、普通選挙で国民公会が成立した（＝これを<strong>第一共和政</strong>という）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>国民公会では、民主主義の実現を目指す急進派のジャコバン派が主導権を握った</p>
<p>＝そして、ジャコバン派は1793年にルイ16世を処刑した</p>
<p>※ただし、ルイ16世の処刑を見て、ヨーロッパの君主国は革命が自分の国でも起きることを恐れた</p>
<p>＝そのため、ヨーロッパ君主国は、イギリスの呼びかけで、<strong>第1回対仏大同盟</strong>を結成した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>また、戦争が拡大することで、国内でも革命反対派という人達の勢力が強まっていった</p>
<p>→そこで、ジャコバン派の指導者だった<strong>ロベスピエール</strong>という人は、革命反対派を次々に処刑していった</p>
<p>＝このように、人々の恐怖心でコントロールする政治を恐怖政治といい、ロベスピエールは恐怖政治で危機を乗り切ろうとした</p>
<p>※ロベスピエールは、物価の統制や地代の無償の廃止などを行う形で、人々の要求にこたえた</p>
<p>→結果的に、戦争で入ってきた外国の軍を国外に追い出すことに成功した</p>
<p>※国外に追い出したあと、当時の統制や独裁への不満が表面化してきた</p>
<p>＝そのため、1794年に恐怖政治が倒され、ロベスピエールが処刑されて、総裁政府が誕生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>フランス革命によって、いくつかの動きが見られるようになった</p>
<p>・イギリスやアメリカでの革命の流れを受け継いだことで、身分制の枠組みを徹底的に壊した</p>
<p>・封建制度を廃止し、市民社会を理想とした</p>
<p>・一国の政治が人々の生活全体を決めていくようになった</p>
<p>※封建社会の時は、地域ごとに法も習慣も違った</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2533">なぜフランス革命が起きたのか／フランス革命によってどのような動きが出てきたのか</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>フランスの立憲君主制の成立について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/959</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/959#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 19:31:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[チューペット]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[近代ヨーロッパ史中期]]></category>
		<category><![CDATA[バスティーユ牢獄]]></category>
		<category><![CDATA[フランス]]></category>
		<category><![CDATA[ヴァレンヌ逃亡事件]]></category>
		<category><![CDATA[ヴェルサイユ]]></category>
		<category><![CDATA[三部会]]></category>
		<category><![CDATA[人権宣言]]></category>
		<category><![CDATA[国民議会]]></category>
		<category><![CDATA[球戯場の誓い]]></category>
		<category><![CDATA[立憲君主制]]></category>

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		<description><![CDATA[フランスの立憲君主制の成立について考えてみます &#160; &#160; ・立憲君主制の成立について &#160; &#160; 　・フランスの国家は、イギリスとの戦争を繰り返していたために、財政が行き詰まってしまった [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/959">フランスの立憲君主制の成立について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>フランスの立憲君主制の成立について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・立憲君主制の成立について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フランスの国家は、イギリスとの戦争を繰り返していたために、財政が行き詰まってしまった</p>
<p>　　→そこで、ルイ１６世という人は、テュルゴーやネッケルなどの改革派を起用して、</p>
<p>　　　特権身分に対する課税などの財政改革を行おうとした</p>
<p>　　　※しかし、この財政改革に特権身分が抵抗するということが起きた</p>
<p>　　　　＝そのため、１６１５年から開かれていなかった三部会が招集されることになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７８９年の５月に、ヴェルサイユで三部会が開かれた</p>
<p>　　※しかし、この三部会で議決の方法をめぐって特権身分と第三身分が対立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→６月に、第三身分の議員は、自分たちが本当の国民を代表する国民議会であると宣言した</p>
<p>　　　※そのため、国民議会は憲法の制定までは解散しないことを誓った</p>
<p>　　　　＝この誓いを、「球戯場（テニスコート）の誓い」という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→特権身分からも「球戯場の誓い」に対して同調する人が現れるようになった</p>
<p>　　　※そのため、国王も譲って同調の動きを認めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国民議会は、憲法の起草を始めた</p>
<p>　　※しかし、国王と保守的な貴族は、武力で議会を弾圧しようとした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時、パリの民衆はパンの値上がりに苦しんでいた</p>
<p>　　→そのため、パリの民衆はパンの値上がりに反発して、圧政の象徴とされた</p>
<p>　　　パリのバスティーユ牢獄を７月１４日に攻撃した</p>
<p>　　　＝この事件の後に、全国で農民蜂起が起き、貴族領主の館が襲撃された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国会議会は、８月４日に自由主義的な貴族の提案で、封建的特権の廃止を決めた</p>
<p>　　→この時に、領主裁判権や教会への十分の一税が無償で廃止になった</p>
<p>　　　※ただし、生産物や、貨幣で領主におさめる封建地代の廃止は有償だったため、</p>
<p>　　　　農民が土地を得ることは難しかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・また、８月２６日に、議会は人権宣言を採択した</p>
<p>　　→この人権宣言は、全ての人間の自由や平等、主権在民、言論の自由、私有財産の不可侵など、</p>
<p>　　　近代市民社会の原理を主張するものだった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１０月の初めに、女性を先頭にしたパリの民衆が、ヴェルサイユに行進し、</p>
<p>　　改革に否定的な王家をパリに移転させた</p>
<p>　　※この時に、国民議会もパリに移った</p>
<p>　　　→そして、次の年の１７９０年には、国民議会が以下のようなことを行なわせた</p>
<p>　　　　・全国の行政区画を改めた</p>
<p>　　　　・教会財産を没収した</p>
<p>　　　　・ギルドを廃止して、営業の自由を確立した</p>
<p>　　　　・度量衡統一の方向を打ち出した　　など</p>
<p>　　　　　※１７９９年には、メートル法が正式に採用された</p>
<p>　　　　　＝以上のようにして、１７９０年には市民層が求める様々な改革を行った　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１７９１年の９月に、以下のような内容を含んだ憲法が発布された</p>
<p>　　→・一院制の立憲君主制を定めた</p>
<p>　　　・選挙権を有産市民に限定した</p>
<p>　　　　＝この憲法の発布によって、国民議会が解散となった</p>
<p>　　　　　※しかし、この時すでに国王はヴァレンヌ逃亡事件という事件で</p>
<p>　　　　　　国民の信頼を失っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※ヴァレンヌ逃亡事件</p>
<p>　　→１７９１年６月に、ルイ１６世が王妃のマリ＝アントワネットの実家のオーストリアに</p>
<p>　　　逃亡しようとしたが失敗した事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・フランスで立憲君主制が出来るまでの流れとその内容についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/959">フランスの立憲君主制の成立について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>中世のイギリスとフランスについて</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/853</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/853#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 05:25:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[康太]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[中世ヨーロッパ史]]></category>
		<category><![CDATA[ウィリアム1世]]></category>
		<category><![CDATA[エドワード1世]]></category>
		<category><![CDATA[シモン＝ド＝モンフォール]]></category>
		<category><![CDATA[ジョン王]]></category>
		<category><![CDATA[ヘンリ2世]]></category>
		<category><![CDATA[マグナ＝カルタ]]></category>
		<category><![CDATA[三部会]]></category>
		<category><![CDATA[中世のイギリス]]></category>
		<category><![CDATA[中世のフランス]]></category>
		<category><![CDATA[身分制議会]]></category>

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		<description><![CDATA[中世のイギリスとフランスの様子について考えてみます &#160; &#160; ※中世のヨーロッパの様子 　・１３～１４世紀以後のそれぞれの国王は、課税などを要請するため、 　　貴族、聖職者、都市の代表が出席する身分制議 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/853">中世のイギリスとフランスについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>中世のイギリスとフランスの様子について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※中世のヨーロッパの様子</p>
<p>　・１３～１４世紀以後のそれぞれの国王は、課税などを要請するため、</p>
<p>　　貴族、聖職者、都市の代表が出席する身分制議会を開いて、</p>
<p>　　話し合いを行うことで国内の統一を目指していった</p>
<p>　　※身分制議会・・三身分の代表者からなる議会のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・王権の勢いと中央集権化の動きは、それぞれの国でも独特の動きを見せていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・イギリスについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※イギリスの封建社会は、ウィリアム１世のノルマン朝が征服王朝だったことから、</p>
<p>　　例外的に最初から王権が強かった</p>
<p>　　</p>
<p>　※血統の関係上、フランスから入ったプランタジネット朝の初代の王様だった</p>
<p>　　ヘンリ２世という人は、フランスの西半部を領有して、</p>
<p>　　大きな勢力を作っていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→ところが、その後にヘンリ２世の子どものジョン王という人が、以下のような動きを見せた</p>
<p>　　・フランスの国王であったフィリップ２世と戦って、フランスの領地の多くを失った</p>
<p>　　・教皇のインノケンティウス３世と戦って、破門された</p>
<p>　　・財政困難になって、重い税を課したため、貴族が結束してジョンに反抗した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　＝上のような動きの結果、１２１５年に大憲章（マグナ＝カルタ）というのを</p>
<p>　　　　王に認めさせることになった</p>
<p>　　　　※大憲章が置かれたことで、イギリス立憲政治の最初の基礎が置かれたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ジョン王の後に出てきたヘンリ３世という人は、大憲章を無視した</p>
<p>　　→そこで、シモン＝ド＝モンフォールという人は、</p>
<p>　　　貴族を引き連れて反乱を起こし、王を倒した</p>
<p>　　　＝その結果１２６５年から、今まであった高位聖職者や大貴族の会議に</p>
<p>　　　　州や都市の代表を加えて、国政を協議した</p>
<p>　　　　※この動きがイギリス議会の起源だと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１２９５年からは、エドワード１世という人によって、模範議会というのが</p>
<p>　　招集されるようになった</p>
<p>　　→その後、１４世紀半ばに模範議会の内容が以下のように変わっていった</p>
<p>　　　・上院と下院に分かれるようになった</p>
<p>　　　　※上院・・高位聖職者と大貴族を代表する団体のこと</p>
<p>　　　　※下院・・州と都市を代表する団体のこと</p>
<p>　　　　→そして、法律の制定や新しい課税には下院の承認が必要になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※イギリスでは、騎士が早い段階で軍事的な性格を失って、</p>
<p>　　　　地方のジェントリ（郷紳）になった</p>
<p>　　　　＝そのため、騎士は州を代表して都市の市民と並んで下院と同じ扱いになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・フランスについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・フランスのカペー朝のもとでは、最初は王権が北フランスの一部を</p>
<p>　　領有するだけのきわめて弱い勢力だった</p>
<p>　　※一方で、当時は大諸侯の勢いが強かった</p>
<p>　　</p>
<p>　　→しかし、１２世紀の終わりに即位したフランス国王のフィリップ２世という人は、</p>
<p>　　　ジョン王と戦って国内のイギリス領の大半を奪った</p>
<p>　　</p>
<p>　　→また、ルイ９世という人は、南フランス諸侯の保護を受けていた</p>
<p>　　　異端のアルビジョワ派（カタリ派）を征服して、王権を南フランスにも広げていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→さらに、フィリップ４世という人は、ローマ教皇であるボニファティウス８世という人</p>
<p>　　　との戦いの時に、１３０２年に三部会を開いいた</p>
<p>　　　＝結果的に三部会の支持を得て教皇をおさえ、フィリップ４世は</p>
<p>　　　　王権をさらに強化していった</p>
<p>　　　　※三部会・・聖職者、貴族、平民の代表者が出席する会議のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・中世ヨーロッパの様子をおさえる</p>
<p>・当時のイギリスの様子についておさえる</p>
<p>・当時のフランスの様子についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/853">中世のイギリスとフランスについて</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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