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	<title>アラエス &#187; 二・二六事件</title>
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	<item>
		<title>満州事変と日中戦争をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2528</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2528#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 08 Mar 2014 18:31:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
		<category><![CDATA[二・二六事件]]></category>
		<category><![CDATA[五・一五事件]]></category>
		<category><![CDATA[南京虐殺事件]]></category>
		<category><![CDATA[国家総動員法]]></category>
		<category><![CDATA[大政翼賛会]]></category>
		<category><![CDATA[日中戦争]]></category>
		<category><![CDATA[毛沢東]]></category>
		<category><![CDATA[満州事変]]></category>
		<category><![CDATA[産業報国会]]></category>

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		<description><![CDATA[満州事変 ・1931年9月18日に、柳条湖で、満州にいた日本軍（関東軍）が南満州鉄道の線路を爆破するということを起こした →この動きを関東軍は、「柳条湖での爆破は中国側がやったこと」として中国への攻撃を開始した ※この時 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2528">満州事変と日中戦争をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p><strong>満州事変</strong></p>
<p>・1931年9月18日に、柳条湖で、満州にいた日本軍（関東軍）が南満州鉄道の線路を爆破するということを起こした</p>
<p>→この動きを関東軍は、「柳条湖での爆破は中国側がやったこと」として中国への攻撃を開始した</p>
<p>※この時に、ほぼ満州全域を占領した（＝満州事変）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→満州事変の後、関東軍は清の最後の皇帝である溥儀を元首として「満州国」を作った</p>
<p>※満州国は、最初は日本政府も消極的だったが、軍部に従って満州国を認めた</p>
<p>＝実際に、恐慌に苦しむ農民を、日本から集団移住させた</p>
<p>※満州国の実権は日本人が握っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→満州事変に対して、中国は日本の侵略だとして国際連盟に訴えた</p>
<p>→国際連盟は、満州にリットン調査団を送って実情を調査した</p>
<p>＝その結果報告によって、満州国の承認の取り消しと、占領地からの日本軍の引き揚げを勧告する案を作成し、可決した</p>
<p>※日本は、可決が不満だった（42対1で負けている）</p>
<p>→そのため日本は1933年に国際連盟から脱退した</p>
<p>※加えて、1934年にワシントン軍縮条約を破棄し、1935年にロンドン軍縮会議から脱退して、国際社会から孤立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>満州事変の時の国内の動き</p>
<p>・満州事変によって、日本の国内に軍国主義の動きが高まった</p>
<p>→その影響で、2つの出来事が起きた</p>
<p>・1932年5月15日に、海軍の青年将校などが首相の犬養毅を襲って射殺した（＝<strong>五・一五事件</strong>）</p>
<p>・1936年2月26日に、陸軍の青年将校などが大臣などを殺して、一時的に東京の中心部を占拠した（＝<strong>二・二六事件</strong>）</p>
<p>→軍部は、上の2つの事件をきっかけに発言力を強めて、政治に深く介入した</p>
<p>※この時政府は、自由や平和の思想を治安維持法で厳しく取り締まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>中国国内の動き</p>
<p>中国国内では、<strong>国民政府</strong>（蒋介石）と<strong>中国共産党</strong>の内戦が続いていた</p>
<p>→その時に共産党は、毛沢東の指導のもとに、国民政府に対して内戦をやめ、協力して日本に対抗することを呼びかけた</p>
<p>※この考えは、中国国民の支持を受けた</p>
<p>＝結果的に、1936年に内戦は停止され、抗日運動が盛り上がった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※一方で日本は、華北にも手を伸ばそうとしていた</p>
<p>→そして、1937年7月7日に、北京郊外で日本軍と中国軍による衝突事件が起きた</p>
<p>＝この衝突事件をきっかけに、宣戦布告がないまま、<strong>日中戦争</strong>が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日中戦争の時の日本と中国の動き</p>
<p>・日本軍は、シャンハイや首都のナンキンを占領した</p>
<p>※ナンキンを占領する際、日本軍は多くの住民を殺害し、暴行を行った（＝<strong>南京虐殺事件</strong>）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国民政府と中国共産党は、抗日民族統一戦線を作って、日本の侵略に対抗した</p>
<p>→国民政府と中国共産党は、以下のようなことを行った</p>
<p>・国民政府：チョンチンに移動し、アメリカ、イギリス、ソ連などの援助を受けて戦いをつづけた</p>
<p>・中国共産党：農民の支持を得てゲリラ戦を続けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※日中戦争の裏で、朝鮮でも日本への抵抗が続いた</p>
<p>※満州などでも、朝鮮から脱出した人々によって朝鮮民族の独立を目指す戦いが進んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日中戦争からの日本の動き</p>
<p>・日本は、日中戦争が始まると、国家予算のほとんどが軍事費にあてられた</p>
<p>※この時に、国民は心身を鍛え、物資の不足に耐え、節約につとめ、戦争に協力しなければいけないと説かれた</p>
<p>→そのため、国家によって生活の仕方が決められていった</p>
<p>＝結果的に、1938年に<strong>国家総動員法</strong>が制定された</p>
<p>→国家総動員法によって、政府が議会の承認なしに国民生活全体を統制できるようになった</p>
<p>※その時に、以下のようなことが起きた</p>
<p>・国民が軍需工場で働かされた</p>
<p>・資金や物資が厳重に統制された</p>
<p>・生活必需品が配給制になった</p>
<p>・商品の価格統制が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※加えて当時の社会の動きとして、以下のようなことが起きた</p>
<p>・1940年に労働組合が解散させられ、<strong>産業報国会</strong>が作られた</p>
<p>・政友会や立憲民政党などの政党は自分から解散して、<strong>大政翼賛会</strong>にまとめられた</p>
<p>・大政翼賛会の下部組織として、隣組が作られた</p>
<p>※隣組は、住民同士の助け合いと同時に、住民同士の監視の役割も果たした</p>
<p>・政府は、朝鮮人を日本人に同化させる動きを一層見せた（＝<strong>皇民化政策</strong>）</p>
<p>・朝鮮人に、日本式の姓名を名乗らせ（＝創氏改名）、神社への参拝を強制した</p>
<p>※同化政策は、台湾でも行われた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2528">満州事変と日中戦争をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>二・二六事件について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1305</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1305#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 08:03:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[「国策の基準」]]></category>
		<category><![CDATA[二・二六事件]]></category>
		<category><![CDATA[北一輝]]></category>
		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[戒厳令]]></category>
		<category><![CDATA[相沢事件]]></category>
		<category><![CDATA[総力戦体制]]></category>
		<category><![CDATA[軍財抱合]]></category>
		<category><![CDATA[軍部大臣現役武官制]]></category>
		<category><![CDATA[近衛文麿]]></category>

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		<description><![CDATA[二・二六事件を中心とした当時の様子を考えてみます &#160; &#160; ・二・二六事件について &#160; &#160; 　・国内政治に対する政党の影響力が、五・一五事件の後に少しずつ小さくなっていった 　　→逆 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1305">二・二六事件について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>二・二六事件を中心とした当時の様子を考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・二・二六事件について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国内政治に対する政党の影響力が、五・一五事件の後に少しずつ小さくなっていった</p>
<p>　　→逆に、軍部（中でも陸軍）や、すでにある政党に反発する政党、</p>
<p>　　　現状打破、革新などを提唱する人達の政治的な発言力が大きくなっていった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　※現状打破を考える人達は、以下のような理想を持っていた</p>
<p>　　　　・天皇を中心にして国民をまとめる</p>
<p>　　　　・計画経済を行い、内閣や議会の制度を改革する</p>
<p>　　　　・ワシントン体制を終了させる　　など</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→そのため、当時斉藤実と岡田啓介という人達によって、</p>
<p>　　　２代連続で海軍穏健派の内閣が続いたことは、</p>
<p>　　　軍部や現状打破を提唱する人達などが不満を持つ原因の一つになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・さらに、１９３４年に陸軍省というところが、「国防の本義と其強化の提唱」という</p>
<p>　　パンフレットを作った</p>
<p>　　※このパンフレットは、陸軍が政治や経済に積極的に関わっていく意思を示していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３５年に、貴族院で軍出身の議員だった菊池武夫という人が、</p>
<p>　　美濃部達吉の天皇機関説は反国体的だということで非難をした</p>
<p>　　→この非難をきっかけに、若干の政治問題となった</p>
<p>　　　＝この出来事を天皇機関説問題という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※天皇機関説とは・・統治する権利は国家にあって、天皇は国家の最高機関であるから</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　天皇は憲法に従って統治する権利（統治権）を使うべき</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　だと解釈する考え方のこと</p>
<p>　　　　→天皇機関説は、統治権は天皇にあり、天皇の統治権は無制限にある</p>
<p>　　　　　という考え方の上杉慎吉という人などと対立していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・天皇機関説は、今までは明治憲法の体制を理論的に支えるための</p>
<p>　　大切な考え方だとされていた</p>
<p>　　→しかし、現状打破を期待する陸軍や右翼、在郷軍人会という団体などが</p>
<p>　　　全国で激しい運動を行った</p>
<p>　　　＝そのため、当時の岡田内閣は運動に従う形で、国体明徴声明（日本の国体は</p>
<p>　　　　明らかな証拠があり、正しいという考え方）を出して、天皇機関説を否定した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※上のような結果になったため、政党政治や政党内閣制が</p>
<p>　　　　理論的な支えを失うことになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の陸軍内部では、皇道派と統制派が対立する状況だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※皇道派と統制派について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・皇道派・・軍隊に所属している青年を中心に、直接的な行動を取ることで、</p>
<p>　　　　　　　　　今までの支配層を倒したり、天皇親政を目指したりすることを</p>
<p>　　　　　　　　　目指す派閥のこと</p>
<p>　　　　　　　　　→代表的な人に、荒木貞夫や真崎甚三郎という人などがいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・統制派・・陸軍省や参謀本部などを中心に、革新派の官僚や財閥などと手を組んで</p>
<p>　　　　　　　　　軍部の強い統制の中で総力戦体制という体制を作ることを</p>
<p>　　　　　　　　　目指す派閥のこと</p>
<p>　　　　　　　　　→代表的な人に、永田鉄山や東条英機という人などがいる</p>
<p>　　　　※総力戦体制・・国の力を全てつぎ込むという体制のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・皇道派と統制派の対立がはっきりした出来事として、１９３５年の</p>
<p>　　　　相沢事件という事件がある</p>
<p>　　　　※相沢事件・・皇道派の相沢三郎という人が、陸軍省で統制派だった永田鉄山を</p>
<p>　　　　　　　　　　　殺した事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３６年２月２６日の早朝に、北一輝という人の考え方に影響を受けていた</p>
<p>　　皇道派の一部の青年たちが、以下のようなことを行った</p>
<p>　　→・約１４００人の兵隊を連れて、首相官邸や警視庁などを襲った</p>
<p>　　　・斉藤実内務大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎教育総監などを殺害した</p>
<p>　　　・国会を含む国政の中心部分を４日間占拠した</p>
<p>　　　　＝これら一連の出来事をまとめて、二・二六事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この事件は、国家の改造や軍部政権の誕生などを目指したものだったが、</p>
<p>　　　天皇が厳しく罰することを支持したこともあり、反乱軍という扱いになって鎮圧された</p>
<p>　　　※さらに、首都には戒厳令という法律が出された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※この時は、北一輝の「日本改造法案大綱」という本が、</p>
<p>　　　　右翼の人達のバイブルになったと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この事件の後、統制派が皇道派を倒して、陸軍内での主導権を取った</p>
<p>　　　※この時に、陸軍の政治での発言力が一層高まっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、岡田啓介内閣の次に広田弘毅内閣という内閣が誕生した</p>
<p>　　※広田弘毅内閣は、政府の人選、財政改革、軍備の拡張などの面で軍の要求を取り入れて、</p>
<p>　　　なんとか成立したというレベルだった</p>
<p>　　※広田弘毅内閣は、１９３６年に陸軍の要求を取り入れて、</p>
<p>　　　軍部大臣現役武官制を復活させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３６年に、ワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約が</p>
<p>　　　終了することが分かっていた</p>
<p>　　→そこで、陸軍と海軍が帝国国防方針の改定を考え、この改定に基づいて</p>
<p>　　　広田弘毅内閣が「国策の基準」というものを決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※「国策の基準」の内容</p>
<p>　　　　・日本の地位を高める</p>
<p>　　　　・海軍の南進論（東南アジアや南洋諸島にじわじわと進出する考え方）を取った　　</p>
<p>　　　　・陸軍の北進論（ドイツを手を組んでソ連と対抗する考え方）を取った</p>
<p>　　　　・国内で、大規模な軍備の拡張計画が進められた</p>
<p>　　　　　※海軍は、戦艦大和や武蔵などを含む大建艦計画が進められた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、国内の改革が中途半端なことに対して不満を持つ軍と</p>
<p>　　軍拡に反対する政党のそれぞれが反発した</p>
<p>　　→そのため、広田弘毅内閣は１９３７年の１月に総辞職した　　</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・その後、陸軍の穏健派の宇垣一成という人が内閣を担当するという話が出てきた</p>
<p>　　→しかし、宇垣一成内閣に反発する陸軍が、陸軍大臣を推薦しなかった</p>
<p>　　　＝そのため、宇垣一成内閣を作ることが出来なかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→結果的に、当時陸軍の大将だった林銑十郎という人が内閣を作った</p>
<p>　　　※陸軍の統制派は、軍拡を展開するために、最初に重要な産業を育成することが</p>
<p>　　　　必要だと考えた</p>
<p>　　　　＝そこで、林銑十郎内閣は軍財抱合（軍部と財界を調整すること）を行った　</p>
<p>　　　　　→しかし、この行動も失敗に終わった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→その後、１９３７年６月に貴族院の議長を担当していた近衛文麿という人が</p>
<p>　　　様々な層から支持された</p>
<p>　　　＝そこで、第１次近衛文麿内閣が作られた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・二・二六事件を中心に、当時の様子を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>　</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1305">二・二六事件について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>満州事変について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1041</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1041#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 09:50:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[パワフルくん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[世界恐慌・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[リットン調査団]]></category>
		<category><![CDATA[上海事変]]></category>
		<category><![CDATA[二・二六事件]]></category>
		<category><![CDATA[五・一五事件]]></category>
		<category><![CDATA[八・一宣言]]></category>
		<category><![CDATA[国際連盟]]></category>
		<category><![CDATA[満州事変]]></category>
		<category><![CDATA[溥儀]]></category>
		<category><![CDATA[西安事件]]></category>
		<category><![CDATA[関東軍]]></category>

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		<description><![CDATA[満州事変について考えてみます &#160; &#160; ・満州事変について &#160; &#160; 　・日本は、第一次世界大戦の時の好景気によって工業を発展させた 　　※しかし、１９２３年ころから貿易の調子が悪くな [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1041">満州事変について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>満州事変について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・満州事変について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、第一次世界大戦の時の好景気によって工業を発展させた</p>
<p>　　※しかし、１９２３年ころから貿易の調子が悪くなった</p>
<p>　　　→さらに、１９２７年には金融恐慌が発生した</p>
<p>　　　　＝そして、１９２９年の世界恐慌によって、日本が大きなダメージを受けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本の経済面では、混乱が発生すると同時に労働争議が多発し、社会不安が広がった</p>
<p>　　※しかし、日本の既成の政党は政権争いを続けていたため、国民の信頼を失った</p>
<p>　　　＝そこで軍部は、経済危機を大陸での支配圏の拡大によって解決することを考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３１年９月に、日本の関東軍は中国東北地方（当時の日本は「満州」と呼んでいた）の</p>
<p>　　柳条湖で鉄道を爆破するということを起こした</p>
<p>　　→日本は、この爆破を口実にして、軍事行動を起こし、東北地方の大半を占領してしまった</p>
<p>　　　＝この出来事を満州事変という</p>
<p>　　　　※日本の軍部は、国際社会の注目をそらすために、１９３２年に上海事変を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本の軍事行動は国際的に批判された</p>
<p>　　※さらに、中国の提訴によって国際連盟がリットン調査団という団体の派遣を決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・関東軍は、既成事実を作るために、１９３２年３月に、清朝最後の皇帝だった溥儀という人を</p>
<p>　　執政（のちの皇帝）に置いて、中国東北地方に満州国を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・リットン調査団は、軍事行動が自分達を守るためのものであるという日本の主張をしりぞけた</p>
<p>　　※この主張のしりぞけを、国際連盟も支持した</p>
<p>　　　＝そのため、日本は１９３３年３月に、国際連盟脱退を通告された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この後、日本の侵攻は、熱河方面に向かっていった</p>
<p>　　※一時は、長城を超えて北京にせまり、華北支配を狙うようになった</p>
<p>　　→華北支配と並行する形で、一部の軍人はテロやクーデタ事件を起こして、</p>
<p>　　　国内での影響力を強めようとした</p>
<p>　　　※代表的なテロやクーデタに、</p>
<p>　　　　１９３２年の五・一五事件、</p>
<p>　　　　１９３６年の二・二六事件などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本軍は、１９３５年に、防共の名目で内モンゴルと華北に侵攻した</p>
<p>　　→その時日本は、河北省東部に国民政府から分離した冀東防共自治政府を設置させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で中国は、１９２８～３０年に関税自主権回復を達成したことで、国民政府が力を得た</p>
<p>　　→この時に、国内の政治的かつ軍事的な統一を目指した</p>
<p>　　　＝そのため中国は、満州事変などの日本の軍事行動への対応よりも、</p>
<p>　　　　共産党との戦いに力を入れた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３４年に、瑞金という人を中心とする共産党軍は、国民政府軍の攻撃を受けて、</p>
<p>　　延安を中心とする奥地の陝西省と甘粛省を目指す長征というのを実行した</p>
<p>　　※この動きの過程で、共産党内の毛沢東の指導力が高まっていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３５年に、国民政府はイギリスとアメリカ合衆国の援助で通貨を統一した</p>
<p>　　※今まで中国の通貨は基本的に銀で、紙幣を各銀行が発行していたため、</p>
<p>　　　通貨の価値や範囲が不安定だった</p>
<p>　　　→そこで国民政府は、銀を禁止して、ポンドに連動した四大銀行が発行する銀行券を</p>
<p>　　　　国内通貨として定めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝これら一連の動きによって、中国の地方の軍閥の力が弱められ、</p>
<p>　　　国内統一への方向がさらに進んでいった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・満州事変をきっかけに中国の抗日運動が全国に広まっていった</p>
<p>　　→そこで中国は、１９３５年８月に中国共産党が八・一宣言を出して、</p>
<p>　　　内戦の停止と民族統一戦線の結成を呼び掛けた</p>
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<p>　・西安にいた張学良という人は、上のような状況を見て、共産党への攻撃を促した蒋介石を</p>
<p>　　捉えて、日本への対抗と内戦の停止を説得した</p>
<p>　　＝この出来事を西安事件という</p>
<p>　　　→西安事件の時に、蒋介石は説得を受け入れたため、その後に国共がふたたび接近した</p>
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<p>ポイント</p>
<p>・満州事変についておさえる</p>
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<p>このあたりが今回のポイントです　　</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1041">満州事変について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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