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	<title>アラエス &#187; 五・一五事件</title>
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	<item>
		<title>満州事変と日中戦争をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2528</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2528#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 08 Mar 2014 18:31:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[中国共産党]]></category>
		<category><![CDATA[二・二六事件]]></category>
		<category><![CDATA[五・一五事件]]></category>
		<category><![CDATA[南京虐殺事件]]></category>
		<category><![CDATA[国家総動員法]]></category>
		<category><![CDATA[大政翼賛会]]></category>
		<category><![CDATA[日中戦争]]></category>
		<category><![CDATA[毛沢東]]></category>
		<category><![CDATA[満州事変]]></category>
		<category><![CDATA[産業報国会]]></category>

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		<description><![CDATA[満州事変 ・1931年9月18日に、柳条湖で、満州にいた日本軍（関東軍）が南満州鉄道の線路を爆破するということを起こした →この動きを関東軍は、「柳条湖での爆破は中国側がやったこと」として中国への攻撃を開始した ※この時 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2528">満州事変と日中戦争をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p><strong>満州事変</strong></p>
<p>・1931年9月18日に、柳条湖で、満州にいた日本軍（関東軍）が南満州鉄道の線路を爆破するということを起こした</p>
<p>→この動きを関東軍は、「柳条湖での爆破は中国側がやったこと」として中国への攻撃を開始した</p>
<p>※この時に、ほぼ満州全域を占領した（＝満州事変）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→満州事変の後、関東軍は清の最後の皇帝である溥儀を元首として「満州国」を作った</p>
<p>※満州国は、最初は日本政府も消極的だったが、軍部に従って満州国を認めた</p>
<p>＝実際に、恐慌に苦しむ農民を、日本から集団移住させた</p>
<p>※満州国の実権は日本人が握っていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>→満州事変に対して、中国は日本の侵略だとして国際連盟に訴えた</p>
<p>→国際連盟は、満州にリットン調査団を送って実情を調査した</p>
<p>＝その結果報告によって、満州国の承認の取り消しと、占領地からの日本軍の引き揚げを勧告する案を作成し、可決した</p>
<p>※日本は、可決が不満だった（42対1で負けている）</p>
<p>→そのため日本は1933年に国際連盟から脱退した</p>
<p>※加えて、1934年にワシントン軍縮条約を破棄し、1935年にロンドン軍縮会議から脱退して、国際社会から孤立した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>満州事変の時の国内の動き</p>
<p>・満州事変によって、日本の国内に軍国主義の動きが高まった</p>
<p>→その影響で、2つの出来事が起きた</p>
<p>・1932年5月15日に、海軍の青年将校などが首相の犬養毅を襲って射殺した（＝<strong>五・一五事件</strong>）</p>
<p>・1936年2月26日に、陸軍の青年将校などが大臣などを殺して、一時的に東京の中心部を占拠した（＝<strong>二・二六事件</strong>）</p>
<p>→軍部は、上の2つの事件をきっかけに発言力を強めて、政治に深く介入した</p>
<p>※この時政府は、自由や平和の思想を治安維持法で厳しく取り締まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>中国国内の動き</p>
<p>中国国内では、<strong>国民政府</strong>（蒋介石）と<strong>中国共産党</strong>の内戦が続いていた</p>
<p>→その時に共産党は、毛沢東の指導のもとに、国民政府に対して内戦をやめ、協力して日本に対抗することを呼びかけた</p>
<p>※この考えは、中国国民の支持を受けた</p>
<p>＝結果的に、1936年に内戦は停止され、抗日運動が盛り上がった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※一方で日本は、華北にも手を伸ばそうとしていた</p>
<p>→そして、1937年7月7日に、北京郊外で日本軍と中国軍による衝突事件が起きた</p>
<p>＝この衝突事件をきっかけに、宣戦布告がないまま、<strong>日中戦争</strong>が始まった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日中戦争の時の日本と中国の動き</p>
<p>・日本軍は、シャンハイや首都のナンキンを占領した</p>
<p>※ナンキンを占領する際、日本軍は多くの住民を殺害し、暴行を行った（＝<strong>南京虐殺事件</strong>）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国民政府と中国共産党は、抗日民族統一戦線を作って、日本の侵略に対抗した</p>
<p>→国民政府と中国共産党は、以下のようなことを行った</p>
<p>・国民政府：チョンチンに移動し、アメリカ、イギリス、ソ連などの援助を受けて戦いをつづけた</p>
<p>・中国共産党：農民の支持を得てゲリラ戦を続けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※日中戦争の裏で、朝鮮でも日本への抵抗が続いた</p>
<p>※満州などでも、朝鮮から脱出した人々によって朝鮮民族の独立を目指す戦いが進んだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>日中戦争からの日本の動き</p>
<p>・日本は、日中戦争が始まると、国家予算のほとんどが軍事費にあてられた</p>
<p>※この時に、国民は心身を鍛え、物資の不足に耐え、節約につとめ、戦争に協力しなければいけないと説かれた</p>
<p>→そのため、国家によって生活の仕方が決められていった</p>
<p>＝結果的に、1938年に<strong>国家総動員法</strong>が制定された</p>
<p>→国家総動員法によって、政府が議会の承認なしに国民生活全体を統制できるようになった</p>
<p>※その時に、以下のようなことが起きた</p>
<p>・国民が軍需工場で働かされた</p>
<p>・資金や物資が厳重に統制された</p>
<p>・生活必需品が配給制になった</p>
<p>・商品の価格統制が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※加えて当時の社会の動きとして、以下のようなことが起きた</p>
<p>・1940年に労働組合が解散させられ、<strong>産業報国会</strong>が作られた</p>
<p>・政友会や立憲民政党などの政党は自分から解散して、<strong>大政翼賛会</strong>にまとめられた</p>
<p>・大政翼賛会の下部組織として、隣組が作られた</p>
<p>※隣組は、住民同士の助け合いと同時に、住民同士の監視の役割も果たした</p>
<p>・政府は、朝鮮人を日本人に同化させる動きを一層見せた（＝<strong>皇民化政策</strong>）</p>
<p>・朝鮮人に、日本式の姓名を名乗らせ（＝創氏改名）、神社への参拝を強制した</p>
<p>※同化政策は、台湾でも行われた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2528">満州事変と日中戦争をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>政党内閣の終了と国際連盟の脱退について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1301</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1301#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 07:41:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[ゴンショウ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[昭和時代・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[リットン調査団]]></category>
		<category><![CDATA[ロンドン海軍軍縮会議]]></category>
		<category><![CDATA[三月事件]]></category>
		<category><![CDATA[五・一五事件]]></category>
		<category><![CDATA[十月事件]]></category>
		<category><![CDATA[国際連盟]]></category>
		<category><![CDATA[政党内閣]]></category>
		<category><![CDATA[日中軍事停戦協定]]></category>
		<category><![CDATA[満州国]]></category>
		<category><![CDATA[血盟団事件]]></category>

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		<description><![CDATA[政党内閣の終了と国際連盟の脱退について考えてみます &#160; &#160; ・政党内閣の終了について &#160; &#160; 　・ロンドン海軍軍縮会議での統帥権干犯問題、昭和恐慌、満州事変などをきっかけに、 　　 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1301">政党内閣の終了と国際連盟の脱退について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>政党内閣の終了と国際連盟の脱退について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・政党内閣の終了について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・ロンドン海軍軍縮会議での統帥権干犯問題、昭和恐慌、満州事変などをきっかけに、</p>
<p>　　軍人や右翼などによる国家改造運動というのが急激に活発になっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→陸軍や海軍の青年や右翼の人達は、日本が停滞してしまう原因は、</p>
<p>　　　財閥や政党などの支配する階層の人達が無能であり、</p>
<p>　　　腐敗しているからだと考えた</p>
<p>　　　＝そこで、支配層の人達を倒して、軍を中心とした内閣を作ることで、</p>
<p>　　　　国内と国外の政策を大きく変えることが必要だと考えた</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３１年に、陸軍の青年が、三月事件と十月事件という、</p>
<p>　　クーデターの未遂事件を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※三月事件</p>
<p>　　　→橋本欣五郎という人をトップに置いた陸軍の青年の秘密結社である</p>
<p>　　　　桜会という団体が、右翼の指導者である大川周明という人の協力と</p>
<p>　　　　陸軍の一部の賛同を得て、軍部政権を作るためのクーデターを計画したが、</p>
<p>　　　　結局クーデターが起きなかった、という事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※十月事件</p>
<p>　　　→桜会が大川周明などの右翼と手を組んで政党内閣を倒して、</p>
<p>　　　　満州事変に合わせる形で強引に国内の改造を行うための</p>
<p>　　　　クーデターを企画したが、未然にバレてまた失敗した、という事件のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３２年の２月～３月に、井上日召という人を中心した右翼の血盟団という</p>
<p>　　団体の団員が、元大蔵大臣の井上準之助と三井合名会社理事長の団琢磨という人を</p>
<p>　　暗殺する、という事件が起きた</p>
<p>　　＝この事件を、血盟団事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３２年５月１５日に海軍の青年の一団が首相官邸に入って、</p>
<p>　　犬養毅首相を射殺するという事件を起こした</p>
<p>　　＝この事件を五・一五事件という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・上のような一連のテロ活動は、支配層を脅かしたと言われている</p>
<p>　　→そこで、元老の西園寺公望という人は穏健派で海軍の大将だった斉藤実という人を</p>
<p>　　　次の首相に任命した</p>
<p>　　　＝この時に、大正の終わりから８年続いた政党内閣が終了した</p>
<p>　　　　※政党内閣は太平洋戦争の後まで復活しなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国際連盟の脱退について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３２年９月に、斉藤実内閣は日満議定書という議定書をやりとりして、</p>
<p>　　満州国を認めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※満洲国について</p>
<p>　　　・満洲国は、日本の権益と日本軍の無条件の駐屯を認めた</p>
<p>　　　・満州の交通機関の管理を日本に任せることを決めた</p>
<p>　　　・関東軍司令官の推薦と同意に基づいて、満州国政府の重要なポジションに</p>
<p>　　　　日本人を使うことを決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、満洲国については今までの事実を掘り返すことで国際連盟に</p>
<p>　　対抗することを考えていた</p>
<p>　　→一方で、連盟国側は１９３３年２月の臨時総会の時に、リットン調査団の</p>
<p>　　　報告をもとにして、満州国は日本に操られている国家だということを認定した</p>
<p>　　　＝そのため、満州国の承認を日本が撤回するということを求める勧告案を</p>
<p>　　　　臨時総会で採択した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※リットン調査団の報告書の内容について</p>
<p>　　　　・満州国は満州の人達が自分から動いて独立運動を起こすことで、</p>
<p>　　　　　作られたものではない</p>
<p>　　　　・日本の軍事行動は、自分の国を守るための軍事行動ではない</p>
<p>　　　　・日本の満州での経済面に関する利益は中国側が配慮をする必要がある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・当時の臨時総会に参加していた、松岡洋右という人を中心とした日本のチームは、</p>
<p>　　勧告案を採択した総会の会場から出ていった</p>
<p>　　→そして、日本政府は３月に、正式に国際連盟からの脱退を伝えた</p>
<p>　　　（発効されたのは１９３５年だった）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・国際連盟の脱退を決めた後の日本について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３３年５月に、日中軍事停戦協定（塘沽停戦協定）が結ばれた</p>
<p>　　→この協定によって、満州事変自体は終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※日中軍事停戦協定の内容について</p>
<p>　　　　・河北省の東北部の冀東という地域から、中国軍と日本軍の両方を撤退させる</p>
<p>　　　　・冀東を非武装地帯（軍隊や軍事施設を置かない地帯）とした</p>
<p>　　　　・冀東の治安維持は中国警察が行う</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、日本は満州の経営と開発を行おうとした</p>
<p>　　→そのため、１９３４年に溥儀を皇帝にするという帝政に満州国を移行させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３６年に、日本が第２次ロンドン海軍軍縮会議という会議を脱退して、</p>
<p>　　ロンドン条約が効力を失った</p>
<p>　　→そのため、１９３４年に廃棄を伝えていたワシントン海軍軍縮条約も効力を失った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→以上のような状況だったので、当時の日本は国際的に孤立していたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・政党内閣が終了するまでの流れを押さえる</p>
<p>・国際連盟の脱退の流れを押さえる</p>
<p>・日本が国際連盟の脱退を決めた後の動きを押さえる</p>
<p>　</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1301">政党内閣の終了と国際連盟の脱退について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>満州事変について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1041</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1041#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 09:50:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[パワフルくん]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[世界恐慌・第二次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[リットン調査団]]></category>
		<category><![CDATA[上海事変]]></category>
		<category><![CDATA[二・二六事件]]></category>
		<category><![CDATA[五・一五事件]]></category>
		<category><![CDATA[八・一宣言]]></category>
		<category><![CDATA[国際連盟]]></category>
		<category><![CDATA[満州事変]]></category>
		<category><![CDATA[溥儀]]></category>
		<category><![CDATA[西安事件]]></category>
		<category><![CDATA[関東軍]]></category>

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		<description><![CDATA[満州事変について考えてみます &#160; &#160; ・満州事変について &#160; &#160; 　・日本は、第一次世界大戦の時の好景気によって工業を発展させた 　　※しかし、１９２３年ころから貿易の調子が悪くな [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1041">満州事変について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>満州事変について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・満州事変について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本は、第一次世界大戦の時の好景気によって工業を発展させた</p>
<p>　　※しかし、１９２３年ころから貿易の調子が悪くなった</p>
<p>　　　→さらに、１９２７年には金融恐慌が発生した</p>
<p>　　　　＝そして、１９２９年の世界恐慌によって、日本が大きなダメージを受けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本の経済面では、混乱が発生すると同時に労働争議が多発し、社会不安が広がった</p>
<p>　　※しかし、日本の既成の政党は政権争いを続けていたため、国民の信頼を失った</p>
<p>　　　＝そこで軍部は、経済危機を大陸での支配圏の拡大によって解決することを考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３１年９月に、日本の関東軍は中国東北地方（当時の日本は「満州」と呼んでいた）の</p>
<p>　　柳条湖で鉄道を爆破するということを起こした</p>
<p>　　→日本は、この爆破を口実にして、軍事行動を起こし、東北地方の大半を占領してしまった</p>
<p>　　　＝この出来事を満州事変という</p>
<p>　　　　※日本の軍部は、国際社会の注目をそらすために、１９３２年に上海事変を起こした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本の軍事行動は国際的に批判された</p>
<p>　　※さらに、中国の提訴によって国際連盟がリットン調査団という団体の派遣を決めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・関東軍は、既成事実を作るために、１９３２年３月に、清朝最後の皇帝だった溥儀という人を</p>
<p>　　執政（のちの皇帝）に置いて、中国東北地方に満州国を作った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・リットン調査団は、軍事行動が自分達を守るためのものであるという日本の主張をしりぞけた</p>
<p>　　※この主張のしりぞけを、国際連盟も支持した</p>
<p>　　　＝そのため、日本は１９３３年３月に、国際連盟脱退を通告された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・この後、日本の侵攻は、熱河方面に向かっていった</p>
<p>　　※一時は、長城を超えて北京にせまり、華北支配を狙うようになった</p>
<p>　　→華北支配と並行する形で、一部の軍人はテロやクーデタ事件を起こして、</p>
<p>　　　国内での影響力を強めようとした</p>
<p>　　　※代表的なテロやクーデタに、</p>
<p>　　　　１９３２年の五・一五事件、</p>
<p>　　　　１９３６年の二・二六事件などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・日本軍は、１９３５年に、防共の名目で内モンゴルと華北に侵攻した</p>
<p>　　→その時日本は、河北省東部に国民政府から分離した冀東防共自治政府を設置させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・一方で中国は、１９２８～３０年に関税自主権回復を達成したことで、国民政府が力を得た</p>
<p>　　→この時に、国内の政治的かつ軍事的な統一を目指した</p>
<p>　　　＝そのため中国は、満州事変などの日本の軍事行動への対応よりも、</p>
<p>　　　　共産党との戦いに力を入れた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３４年に、瑞金という人を中心とする共産党軍は、国民政府軍の攻撃を受けて、</p>
<p>　　延安を中心とする奥地の陝西省と甘粛省を目指す長征というのを実行した</p>
<p>　　※この動きの過程で、共産党内の毛沢東の指導力が高まっていた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・１９３５年に、国民政府はイギリスとアメリカ合衆国の援助で通貨を統一した</p>
<p>　　※今まで中国の通貨は基本的に銀で、紙幣を各銀行が発行していたため、</p>
<p>　　　通貨の価値や範囲が不安定だった</p>
<p>　　　→そこで国民政府は、銀を禁止して、ポンドに連動した四大銀行が発行する銀行券を</p>
<p>　　　　国内通貨として定めた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　＝これら一連の動きによって、中国の地方の軍閥の力が弱められ、</p>
<p>　　　国内統一への方向がさらに進んでいった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・満州事変をきっかけに中国の抗日運動が全国に広まっていった</p>
<p>　　→そこで中国は、１９３５年８月に中国共産党が八・一宣言を出して、</p>
<p>　　　内戦の停止と民族統一戦線の結成を呼び掛けた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・西安にいた張学良という人は、上のような状況を見て、共産党への攻撃を促した蒋介石を</p>
<p>　　捉えて、日本への対抗と内戦の停止を説得した</p>
<p>　　＝この出来事を西安事件という</p>
<p>　　　→西安事件の時に、蒋介石は説得を受け入れたため、その後に国共がふたたび接近した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・満州事変についておさえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです　　</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1041">満州事変について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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