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	<title>アラエス &#187; 吉野作造</title>
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	<item>
		<title>第一次世界大戦の時の日本の様子をまとめてみた</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/2473</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/2473#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 06 Feb 2014 16:05:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[橋本真夜中]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[シベリア出兵]]></category>
		<category><![CDATA[ロシア革命]]></category>
		<category><![CDATA[二十一カ条の要求]]></category>
		<category><![CDATA[吉野作造]]></category>
		<category><![CDATA[大戦景気]]></category>
		<category><![CDATA[桂太郎]]></category>
		<category><![CDATA[第一次世界大戦]]></category>
		<category><![CDATA[第一次護憲運動]]></category>
		<category><![CDATA[米騒動]]></category>
		<category><![CDATA[西園寺公望]]></category>

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		<description><![CDATA[第一次世界大戦の時の日本 &#160; &#160; 第一次世界大戦が始まると、1914年8月に、日本は日英同盟を理由にして、連合国側に立って、ドイツに宣戦した ※その後、ドイツ領の南洋諸島、ドイツ軍基地のチンタオを占領 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/2473">第一次世界大戦の時の日本の様子をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>第一次世界大戦の時の日本</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦が始まると、1914年8月に、日本は日英同盟を理由にして、連合国側に立って、ドイツに宣戦した</p>
<p>※その後、ドイツ領の南洋諸島、ドイツ軍基地のチンタオを占領した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>1915年に、日本は<strong>二十一カ条の要求</strong>を中国政府に出した</p>
<p>→その結果、以下のようなことが起きた</p>
<p>・多くの要求を中国に認めさせた</p>
<p>・中国国内では強い反発が起きて、反日の風潮が高まった</p>
<p>・欧米の国々も日本を警戒した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦自体は、連合国側に有利に進められた</p>
<p>※ただし、1917年に連合国側のロシアで<strong>ロシア革命</strong>が起きて、社会主義政権（<strong>ソビエト政府</strong>）が成立した</p>
<p>＝結果、ロシアは単独でドイツと講和条約を結んで、連合国から脱退した</p>
<p>→そこで、連合国側は社会主義が広がることを恐れて、<strong>シベリアに出兵</strong>して革命に介入した</p>
<p>※このときに日本も派兵している</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次大戦が終わって、ロシアの内戦がおさまると、連合国はどんどん兵を引き揚げた</p>
<p>※日本軍は兵を引き揚げなかった</p>
<p>→そのため、様々な国から非難を受け、1922年に撤兵した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次大戦前の日本（1912年）は、陸軍の軍備拡張をおさえようとした<strong>西園寺公望</strong>内閣が、陸軍の反対によって終了した</p>
<p>→そこで、陸軍大将の<strong>桂太郎</strong>が3度目の内閣を作った</p>
<p>※ただし、政党政治家や言論人は、3度目の桂太郎内閣を立憲政治に反したやり方だと考えていた</p>
<p>＝そのため、桂太郎内閣打倒の運動を起こした（＝<strong>第一次護憲運動</strong>）</p>
<p>→第一次護憲運動は民衆に支持されたため、1913年に内閣は総辞職に追い込まれた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦中は、世界的に民主主義の風潮が高まった</p>
<p>→この時に、日本国内で<strong>吉野作造</strong>が<strong>民本主義</strong>を提唱した</p>
<p>※民本主義は広く支持され、政党内閣制と普通選挙制の理論的な根拠になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>第一次世界大戦中に、日本は<strong>大戦景気</strong>が起きた</p>
<p>→具体的に、以下のようなことが起きた</p>
<p>・東アジアの国々に工業製品を輸出した</p>
<p>・大戦の時に各国で船が不足して、日本の船が積極的に使われた</p>
<p>・薬品、染料、化学肥料などの国産化が進んだ</p>
<p>・生糸や綿糸、綿織物の輸出が増えた</p>
<p>・電力が広く使われるようになり、水力発電所が各地で作られた</p>
<p>＝これらの動きがあったので、日本は好景気になった</p>
<p>※三井や三菱などの大企業は、莫大な利益を上げて財閥となった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>好景気で、以下のようなことが起きた</p>
<p>・国民の生活水準が上がった</p>
<p>・物価も一緒に上がった</p>
<p>・大戦の長期化やシベリア出兵などの影響で、1918年の夏に米価が急上昇した</p>
<p>→米価については、富山県の漁村の女性たちが、コメの安売りを要求した</p>
<p>※この動きを新聞が報道したため、要求が全国に広がっていき、各地で米商店や精米会社を襲う動きが起きた</p>
<p>＝これを<strong>米騒動</strong>という</p>
<p>→結果、政府は安売りを実施し、軍隊を出動させて米騒動をしずめた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/2473">第一次世界大戦の時の日本の様子をまとめてみた</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>大正デモクラシーを中心とした考え方と理想主義や人道主義、当時の様々な傾向や運動について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1639</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1639#comments</comments>
		<pubDate>Thu, 14 Nov 2013 20:29:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マイコ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[日本思想後期　－近現代－]]></category>
		<category><![CDATA[吉野作造]]></category>
		<category><![CDATA[大杉栄]]></category>
		<category><![CDATA[大正デモクラシー]]></category>
		<category><![CDATA[平塚らいてう]]></category>
		<category><![CDATA[武者小路実篤]]></category>
		<category><![CDATA[民本主義]]></category>
		<category><![CDATA[河上肇]]></category>
		<category><![CDATA[無政府主義]]></category>
		<category><![CDATA[谷崎潤一郎]]></category>
		<category><![CDATA[阿部次郎]]></category>

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		<description><![CDATA[大正デモクラシーを中心とした考え方と理想主義・人道主義、 様々な社会の傾向と運動について考えます &#160; &#160; ※そもそも大正デモクラシーとは・・ 　→大正時代に起きた、民主主義的な社会の様子や、そのための [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1639">大正デモクラシーを中心とした考え方と理想主義や人道主義、当時の様々な傾向や運動について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>大正デモクラシーを中心とした考え方と理想主義・人道主義、</p>
<p>様々な社会の傾向と運動について考えます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>※そもそも大正デモクラシーとは・・</p>
<p>　→大正時代に起きた、民主主義的な社会の様子や、そのための運動などのことをまとめて指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・大正デモクラシーの思想について</p>
<p>　※第一次世界大戦の前後で、都市の知識人達が大正デモクラシーという考え方を生み出した</p>
<p>　→大正デモクラシーを理論的に支えた人の代表に吉野作造がいる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・吉野作造と民本主義について</p>
<p>　</p>
<p>・吉野作造は、民本主義を提唱し、大正デモクラシーを理論的に支えた</p>
<p>　※民本主義とは・・</p>
<p>　　→国民の考えを尊重して、国民の利益と幸福を目的とした政治を行う考え方のこと</p>
<p>　　　ただし、主権は天皇で、多くの国民が政治に参加することが大切だと考えた</p>
<p>　　　→この考え方が支持されたことにより、普通選挙制や政党内閣制の実現のための道が</p>
<p>　　　　開かれたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※民本主義と民主主義の違い</p>
<p>　　・民本主義・・明治憲法を前提として、天皇を主権と考えた</p>
<p>　　・民主主義・・国民が主権だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・理想主義と人道主義について</p>
<p>　</p>
<p>　※当時、理想主義や人道主義が提唱され、阿部次郎や白樺派などの人達が中心だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・阿部次郎－人格主義などを提唱し、「三太郎の日記」などを書いた</p>
<p>　　　　　　　→人格主義とは・・自分の中にある人格を、様々な文化を吸収して</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　発展させるべき、という考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　※阿部次郎の「三太郎の日記」は、倉田百三の「愛と認識との出発」と一緒に</p>
<p>　　　　　　　　「青春の古典」と言われた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・白樺派－教養を重視し、個性を自由に伸ばすべきだという考え方を提唱した</p>
<p>　　　　　　＝この考え方を人道主義と言い、</p>
<p>　　　　　　　代表的な人に武者小路実篤や有島武郎などがいる</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・武者小路実篤－・「新しき村」を建設し、「友情」や「その妹」などの本を書いた</p>
<p>　　　　　　　　　　　※「新しき村」・・自分をすべて生かす理想の共同体のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　・本当の利己（自分の利益を追求して、他人の利益を気にしないこと）</p>
<p>　　　　　　　　　　　を行えば、それが人類のためになるように人間が作られている部分に</p>
<p>　　　　　　　　　　　人間の価値があると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・有島武郎－・上流階級の身分でありながら、自分が社会主義のような人道主義である</p>
<p>　　　　　　　　　という矛盾に苦しんだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・その他に、永井荷風や谷崎潤一郎などがいる</p>
<p>　　　・永井荷風や谷崎潤一郎・・文明開化が肉体を無視していることを批判して</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　　自分の肉体の官能の美しさを提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　→理想主義や人道主義の人達の特徴</p>
<p>　　・西洋近代の考え方に触れることをベースにした</p>
<p>　　・明るく伸びやかに自我を肯定した</p>
<p>　　・理想の核心は自我だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・さまざまな風潮と社会運動について</p>
<p>　・大杉栄－・無政府主義（アナーキズム）を提唱した</p>
<p>　　　　　　　→政府や政党などの全ての権力を否定し、</p>
<p>　　　　　　　　個人の自由な意志が全てのモノの上位に来ると考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・河上肇－・「貧乏物語」という本を書いた</p>
<p>　　　　　　　→元々は非利己主義を目指す人道主義者だったが、</p>
<p>　　　　　　　　「貧乏物語」で貧困の対策を立てて以来、マルクス主義に変わっていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・女性解放運動について</p>
<p>　</p>
<p>　・女性解放運動のスタート・・福田英子という人が女性の権利を拡張するべきだと訴えた</p>
<p>　</p>
<p>　・女性解放運動の発展・・平塚らいてうが発展に影響を与えた</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・平塚らいてう－・「青鞜」という雑誌を作り、「元始、女性は実に太陽であった」</p>
<p>　　　　　　　　　　　と宣言した</p>
<p>　　　　　　　　　　　→結果的に、女性の自我の確立に大きな影響を与えた</p>
<p>　　　　　　　　　　・平塚らいてうは、「新しい女」と呼ばれ、非難されていたが、</p>
<p>　　　　　　　　　　　婦人参政権の要求や、母性保護などを提唱し、</p>
<p>　　　　　　　　　　　女性の社会的な解放に力を注いだ</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※１９２２年には、全国水平社が創立された</p>
<p>　　→「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と訴える水平社宣言というものが出された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・吉野作造が民本主義を提唱し、大正デモクラシーを理論的に支えた</p>
<p>・阿部次郎が人格主義を提唱し、白樺派が人道主義を提唱した</p>
<p>・武者小路実篤、有島武郎、永井荷風、谷崎潤一郎などの考え方を押さえる</p>
<p>・理想主義や人道主義の人達の特徴を押さえる</p>
<p>・大杉栄が無政府主義を提唱し、河上肇が「貧乏物語」を書いて思想が変わった</p>
<p>・福田英子が女性解放運動のスタートを切った</p>
<p>・平塚らいてうが女性の自我の確立に大きな影響を与えた</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1639">大正デモクラシーを中心とした考え方と理想主義や人道主義、当時の様々な傾向や運動について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>政党内閣の誕生について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1288</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1288#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 28 Oct 2013 04:12:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[バーのサトシ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[大正時代]]></category>
		<category><![CDATA[原敬]]></category>
		<category><![CDATA[吉野作造]]></category>
		<category><![CDATA[大正デモクラシー]]></category>
		<category><![CDATA[天皇機関説]]></category>
		<category><![CDATA[寺内正毅]]></category>
		<category><![CDATA[憲政会]]></category>
		<category><![CDATA[民本主義]]></category>
		<category><![CDATA[男子普通選挙法]]></category>
		<category><![CDATA[米騒動]]></category>
		<category><![CDATA[超然内閣]]></category>

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		<description><![CDATA[政党内閣の誕生について考えてみます &#160; &#160; ・政党内閣の誕生について &#160; 　 　・１９１６年に、吉野作造という人が民本主義という考え方を提唱した &#160; &#160; 　　※民本主義に [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1288">政党内閣の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>政党内閣の誕生について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・政党内閣の誕生について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・１９１６年に、吉野作造という人が民本主義という考え方を提唱した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※民本主義について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・民本主義・・国民の考えを尊重して、国民の利益と幸福を目的とした政治を行う</p>
<p>　　　　　　　　　　考え方のこと</p>
<p>　　　　　　　　　　※ただし、主権は天皇で、多くの国民が政治に参加することが</p>
<p>　　　　　　　　　　　大切だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※民本主義と民主主義の違い</p>
<p>　　　　・民本主義・・明治憲法を前提として、天皇を主権と考えた</p>
<p>　　　　・民主主義・・国民が主権だと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　</p>
<p>　　　・民本主義は、天皇機関説と一緒に、大正デモクラシーを理論的に支えることになった</p>
<p>　　　　※大正デモクラシー・・大正時代に起きた、民主主義的な社会の様子や、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　　そのための運動などのことをまとめて指す</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・吉野作造は、普通選挙制や政党内閣制の実現をして、下の階級の人達の</p>
<p>　　　　経済的な不平等を直していくべきだと考えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→吉野作造の民本主義の提唱によって、政治で民主化を要求する国民の声が増えてきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、１９１６年に第２次大隈重信内閣が総辞職するという出来事が起きた</p>
<p>　　→その次に寺内正毅という人が出てきて、超然内閣を作るという行動を取った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・寺内正毅内閣の超然内閣については、立憲同志会などの第２次大隈内閣の時の与党の</p>
<p>　　それぞれの派閥が集まり、憲政会という団体を作って、寺内正毅内閣に対抗した</p>
<p>　　→この結果、寺内正毅内閣は１９１７年に衆議院を解散させた</p>
<p>　</p>
<p>　　　※この解散の後の選挙で、立憲政友会が衆議院の第一党になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・第一次世界大戦によって日本の経済が急激に発展したことによって、</p>
<p>　　米騒動という出来事が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※日本経済の成長が、なぜ米騒動を引き起こしたのか</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　・大戦の時に、日本の経済が急成長した</p>
<p>　　　　→この時に、工業労働者が増え、都市に人々が集まるようになった</p>
<p>　　　　　＝その結果、お米の消費量が増えた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・しかし、当時は農業が停滞したこともあり、お米の消費量が増えるにつれて、</p>
<p>　　　　お米の値段が上昇した</p>
<p>　　　　→そのため、都市で働く人や貧乏な農民の生活が苦しくなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　・さらに、１９１８年にシベリア出兵のために地主や商人がお米を買い込んだため、</p>
<p>　　　　お米の値段がさらに上昇した</p>
<p>　　　　→すると、富山県の漁村の女性をきっかけにして、都市の人々や貧乏な農民などが、</p>
<p>　　　　　お米の安売りを求めて買い占めの反対を叫ぶようになった　</p>
<p>　　　　　※中には、お米の商人や精米会社などを襲って、警察とぶつかる人達もいた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　　→このようにして大騒動になり、政府が軍隊を出して抑えつけるまでになった</p>
<p>　　　　　＝この出来事を米騒動という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→米騒動が落ち着いた時に、寺内正毅内閣は責任を取って総辞職をした</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・米騒動に驚いた元老たちは、とうとう政党内閣を認めることを決めた</p>
<p>　　→そこで、１９１８年９月に立憲政友会の総裁の原敬という人を首相に指名した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※原敬は、今までの首相と違い、華族や藩閥の出身者でなく、平民の衆議院議員だった</p>
<p>　　　　→そのため、原敬は「平民宰相」として国民に歓迎された</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・原敬は、国民の期待とは反対で、普通選挙制を取り入れることに積極的ではなかった</p>
<p>　　→そのため、選挙権としての税金を３円に引き下げ、</p>
<p>　　　小選挙区制という制度を取り入れるだけで終わってしまった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、普通選挙を求める運動はどんどん高まっていった</p>
<p>　　→そのため、１９２０年には数万人のデモが行われるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　→この動きを見て、憲政会などの野党は衆議院に男子普通選挙法を提出した</p>
<p>　　　※しかし、政府は時期が早すぎるという理由で拒否して、さらに衆議院を解散させた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・与党の立憲政友会は、大戦景気があったため、立憲政友会のかねてからの政策だった</p>
<p>　　鉄道の拡充や高等学校の増加などの積極政策を公約にして、選挙で大勝した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・しかし、立憲政友会の積極政策は、１９２０年の恐慌によって</p>
<p>　　政府の財政が厳しくなったため、行うことが難しくなってきた</p>
<p>　　※さらに、この時に立憲政友会の関連する汚職事件が大量に発生した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・おまけに、１９２１年に原敬が、政党政治がダメになっている状況に</p>
<p>　　怒った一人の青年に、刺殺されるという出来事も起きた</p>
<p>　　→この後に、立憲政友会の高橋是清という人が後を継いだがすぐに終了した</p>
<p>　　→さらにこの後に、海軍の大将だった加藤友三郎という人が</p>
<p>　　　立憲政友会を与党と扱って、内閣を作った</p>
<p>　　　＝ここから、約２年は３代にわたって、非政党内閣が続いた</p>
<p>　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・政党内閣とその状況について、米騒動や原敬などを中心に押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p>
<p>&nbsp;</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1288">政党内閣の誕生について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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