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	<title>アラエス &#187; 国人一揆</title>
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	<item>
		<title>戦国大名の政策について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1182</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1182#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 23 Oct 2013 18:04:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[世界は仲間]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[戦国時代・安土桃山時代]]></category>
		<category><![CDATA[分国法]]></category>
		<category><![CDATA[喧嘩両成敗法]]></category>
		<category><![CDATA[国人一揆]]></category>
		<category><![CDATA[城下町]]></category>
		<category><![CDATA[惣武事令]]></category>
		<category><![CDATA[戦国大名]]></category>
		<category><![CDATA[指出検地]]></category>
		<category><![CDATA[木綿]]></category>
		<category><![CDATA[豊臣秀吉]]></category>
		<category><![CDATA[鉱山]]></category>

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		<description><![CDATA[戦国大名が当時行っていた政策について考えてみます &#160; &#160; ・戦国大名の当時の動きについて &#160; 　※戦国大名は、なぜ政策を出していったのか 　　→家臣を統制したり、領国を支配したりするために、 [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1182">戦国大名の政策について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>戦国大名が当時行っていた政策について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・戦国大名の当時の動きについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※戦国大名は、なぜ政策を出していったのか</p>
<p>　　→家臣を統制したり、領国を支配したりするために、必然的に政策が必要になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　※戦国大名が作った法律は、幕府や守護が作った法律を引きついだり、</p>
<p>　　国人一揆に関する法律を使ったりと、基本的に中世の法律の集大成的な性格を</p>
<p>　　持っていたと言われている</p>
<p>　　→その中でも、分国法や喧嘩両成敗法などの法律が代表的だった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・分国法（家法）・・戦国大名が自分の領国に関して定めた基本的な法律のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・喧嘩両成敗法・・ケンカをした時に、どちらが悪いかは関係なく、</p>
<p>　　　　　　　　　　　ケンカをした両方に同じ刑罰を与える法律のこと</p>
<p>　　　→この法律には、２つの目的があった</p>
<p>　　　　・家臣のケンカを当事者の実力で解決するのではなく、全部のケンカの結果を</p>
<p>　　　　　戦国大名の判断に任せることで、戦国大名が担当する領国の平和を</p>
<p>　　　　　維持する狙いがあった</p>
<p>　　　　　※喧嘩両成敗法を全国レベルで行ったのが、豊臣秀吉の惣無事令だった</p>
<p>　　　　・戦国大名に権力があることを見せつける狙いがあった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　</p>
<p>　・戦国大名は、自分が征服した土地で、検地（土地の調査）を行うことがあった</p>
<p>　　→この検地によって、検地帳に農民の土地面積と年貢の量などが登録された</p>
<p>　　　＝そのため、戦国大名は農民に対しての直接支配が強くなった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※検地には、２種類あった</p>
<p>　　　　・領主が、自分の支配している土地の面積や収入の額を自己申告させる</p>
<p>　　　　・名主に、自分が耕作している土地の面積や収入の額を自己申告させる</p>
<p>　　　　　＝この２つを合わせて、指出検地という</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・戦国大名は、戦いなどのために武器を始めとした様々な物資の生産や調達が</p>
<p>　　大量に必要とされた</p>
<p>　　→そのため、戦国大名は自分の土地にいる商工業者をコントロールする必要があった</p>
<p>　　　※多くの戦国大名は、商工業者の力を結集させることを考えた</p>
<p>　　　　＝そのため、戦国大名は城や城下町の建設、灌漑や治水の事業、</p>
<p>　　　　　鉱山の開発などを行った</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※戦国大名は、朝鮮や明から輸入していた木綿を、兵隊の服や鉄砲の火縄などに</p>
<p>　　　　使ったため、木綿の需要が高まり木綿の栽培が日本で行われるようになった</p>
<p>　　　　＝この動きが、日本人の衣服を大きく変えたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※戦国大名が鉱山を開発したことによって、精錬や採掘の技術が発展した</p>
<p>　　　　→そのため、金や銀の生産が高まり、甲斐の金山や石見の銀山などが有名になった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・戦国大名は、城下町を中心にして、領国を経済の区域の一つとすることを</p>
<p>　　考えている人が多かった</p>
<p>　　→そのため、経済を活発にすることを目的として様々なことを行った</p>
<p>　　　・領国の中にある宿駅や伝馬などの交通の制度を整備した</p>
<p>　　　・関所を廃止した</p>
<p>　　　・市場を作った</p>
<p>　　　　→これらは、商業の取り引きを円滑に行うことを目指していたと言われている</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・戦国大名は、城下町に家臣や商工業者の有力な人達を集めた</p>
<p>　　→そのため、城下町が政治・経済・文化などの中心として発達していった</p>
<p>　　　※特に有名だった城下町に、以下のようなものがあった</p>
<p>　　　　・北条氏－小田原　・今川氏－府中（現在の静岡県）　</p>
<p>　　　　・上杉氏－春日山（現在の上越市）　・大内氏－山口　</p>
<p>　　　　・大友氏－豊後府内（現在の大分市）　・島津氏－鹿児島　　etc</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・戦国大名の様々な支配を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1182">戦国大名の政策について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>応仁の乱について②　－応仁の乱以降の流れと一揆－</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1166</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1166#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 23 Oct 2013 13:38:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マイコ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[南北朝時代・室町時代]]></category>
		<category><![CDATA[加賀の一向一揆]]></category>
		<category><![CDATA[国人一揆]]></category>
		<category><![CDATA[富樫政親]]></category>
		<category><![CDATA[山城の国一揆]]></category>
		<category><![CDATA[応仁の乱]]></category>
		<category><![CDATA[浄土真宗本願寺派]]></category>
		<category><![CDATA[畠山氏]]></category>
		<category><![CDATA[荘園制]]></category>
		<category><![CDATA[蓮如]]></category>

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		<description><![CDATA[応仁の乱について、応仁の乱以降の流れと一揆について考えてみます &#160; &#160; ・応仁の乱以降の流れについて &#160; 　・守護大名は、東軍の細川派と西軍の山名派の２つの軍に分かれて戦った 　　 　　→そ [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1166">応仁の乱について②　－応仁の乱以降の流れと一揆－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>応仁の乱について、応仁の乱以降の流れと一揆について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・応仁の乱以降の流れについて</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・守護大名は、東軍の細川派と西軍の山名派の２つの軍に分かれて戦った</p>
<p>　　</p>
<p>　　→その時、東軍は将軍の家を占拠して、足利義政、足利義視、足利義尚を</p>
<p>　　　抑えつけることに成功したが次の年に足利義視が東軍から逃げ出して、</p>
<p>　　　西軍に回っていった</p>
<p>　　　＝そのため、東と西に１つずつ幕府が作られるようになった</p>
<p>　　　</p>
<p>　　※この時、戦いの場所となった京都は、ボロボロになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・応仁の乱は、１４７７年に両軍が戦いに疲れたという理由で、</p>
<p>　　お互いに和解して終戦を迎えた</p>
<p>　　※しかし、争いは地方では続いていて、地方の争いが全国に広がっていった</p>
<p>　　　＝この争いによって、守護大名が京都から自分の担当する国に戻ったので、</p>
<p>　　　　有力な守護が京都にいて幕府に参加する、という幕府の体制は終了した</p>
<p>　　　　※それと同時に、荘園制も終了した</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・守護大名が京都で戦っていた時、守護大名の国では、国の中で戦っていた守護代や</p>
<p>　　有力な国人が力をつけてきた</p>
<p>　　＝そのため、国を支配する権利は少しずつ守護代や有力な国人に移っていった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　※このような混乱している複雑な状況で、地方の国人は自分達の利益を守ろうとして、</p>
<p>　　　国人一揆を作った</p>
<p>　　　→代表的なものに、山城の国一揆や加賀の一向一揆などがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・山城の国一揆について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１４８５年に山城の国一揆が起きた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・山城の国一揆とは・・山城という地方で、２つの派閥に分かれて争っていた時に、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　畠山氏を国から追い出した一揆のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・山城の国一揆は、山城の住民達に支持されて、一揆の人達が８年間山城を支配することになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・加賀の一向一揆について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・１４８８年に加賀の一向一揆がおきた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・加賀の一向一揆とは・・本願寺の蓮如という人が広めた浄土真宗本願寺派という宗派の</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　勢力を使って、加賀の門徒が国人と手を組んで</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　守護の富樫政親という人を倒した一揆のこと</p>
<p>　　</p>
<p>　　・一揆が実際に支配している本願寺の国は、約１世紀一揆が支配していた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・応仁の乱以降の流れを押さえる</p>
<p>・一揆を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1166">応仁の乱について②　－応仁の乱以降の流れと一揆－</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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		<item>
		<title>守護大名と国人一揆について</title>
		<link>http://ahlaes.com/post/1161</link>
		<comments>http://ahlaes.com/post/1161#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 21 Oct 2013 19:32:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[マイコ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[南北朝時代・室町時代]]></category>
		<category><![CDATA[一揆]]></category>
		<category><![CDATA[使節遵行]]></category>
		<category><![CDATA[刈田狼藉]]></category>
		<category><![CDATA[半済令]]></category>
		<category><![CDATA[国人一揆]]></category>
		<category><![CDATA[国衙]]></category>
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		<category><![CDATA[守護大名]]></category>
		<category><![CDATA[守護請]]></category>

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		<description><![CDATA[守護大名と国人一揆について考えてみます &#160; &#160; ・守護大名と国人一揆について &#160; &#160; 　・守護大名について &#160; 　　・南北朝の動乱の時に、地方の武士の力が強くなっていった [&#8230;]<p><a href="http://ahlaes.com/post/1161">守護大名と国人一揆について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>
<p>守護大名と国人一揆について考えてみます</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>・守護大名と国人一揆について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・守護大名について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・南北朝の動乱の時に、地方の武士の力が強くなっていった</p>
<p>　　　→そこで、地方の武士をそれぞれの国ごとにまとめる役割の人（守護）が</p>
<p>　　　　大きな役割を果たすようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・幕府は、武士をコントロールするために、守護の権力を大きく広げた</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※守護の権力の内容</p>
<p>　　　　・大犯三カ条に加えて、刈田狼藉を取り締まる権利、使節遵行、半済令などを認めた</p>
<p>　　　　　※・刈田狼藉・・田んぼについての争いの時に、自分の田んぼの所有権を主張して、</p>
<p>　　　　　　　　　　　　　　稲を一方的に刈り取ってしまうこと</p>
<p>　　　　　　・使節遵行・・幕府の裁判の判決を、強制的に行う権利のこと</p>
<p>　　　　　　・半済令・・軍事費を得るために、自分の国の荘園や公領の年貢の半分を</p>
<p>　　　　　　　　　　　　強制的に取り立てる権限のこと</p>
<p>　　　</p>
<p>　　　→守護は、上のような権力を使って国内の荘園や公領をコントロールするように</p>
<p>　　　　なったので、国内の荘園や公領を武士たちに分け与えることで、</p>
<p>　　　　武士を自分の手下にしようとした</p>
<p>　　　　※荘園や公領の領主が年貢の徴収を守護に任せること（守護請）も</p>
<p>　　　　　盛んに行われるようになった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・守護は、基本的に幕府から任命されるものだった</p>
<p>　　</p>
<p>　　　※守護の中には、国衙も自分でコントロールするようになり、</p>
<p>　　　　自分が担当している国の全てを支配するような守護が出てきた</p>
<p>　　　　＝このような守護を、鎌倉時代の守護と区別するために、</p>
<p>　　　　　守護大名と呼ばれることがある</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・国人一揆について</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　・守護が活躍していた状況でも、地頭などの領主で当時国人と呼ばれた</p>
<p>　　　地方の武士の中には、自立したい思いが強い武士が多かった</p>
<p>　　　→そのため、守護が武士を手下にするのは簡単ではなかった</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　※特に、守護の力が弱い地域では、以下のようなことが起きた</p>
<p>　　　　・守護を無視して、国人たちが自主的に自分達の裁判を解決した</p>
<p>　　　　・農民を支配するために、国人が農民と契約を結び、地域の一部で一揆を結成した</p>
<p>　　　　　＝この一揆を国人一揆と言う</p>
<p>　　　　　　</p>
<p>　　　※一揆とは・・協力して目標を達成しようとするときに、神や仏に誓って</p>
<p>　　　　　　　　　　一致団結した状態（一味同心）の集団のこと</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　　　→国人一揆を行うような国人は、権力をつけてきたので守護の支配に抵抗することもあった</p>
<p>　　</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>ポイント</p>
<p>・守護大名についてを押さえる</p>
<p>・国人一揆を押さえる</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>このあたりが今回のポイントです</p></p>
<p><a href="http://ahlaes.com/post/1161">守護大名と国人一揆について</a> from: <a href="http://ahlaes.com">アラエス</a></p>
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