戦国大名の政策について
戦国大名が当時行っていた政策について考えてみます
・戦国大名の当時の動きについて
※戦国大名は、なぜ政策を出していったのか
→家臣を統制したり、領国を支配したりするために、必然的に政策が必要になった
※戦国大名が作った法律は、幕府や守護が作った法律を引きついだり、
国人一揆に関する法律を使ったりと、基本的に中世の法律の集大成的な性格を
持っていたと言われている
→その中でも、分国法や喧嘩両成敗法などの法律が代表的だった
・分国法(家法)・・戦国大名が自分の領国に関して定めた基本的な法律のこと
・喧嘩両成敗法・・ケンカをした時に、どちらが悪いかは関係なく、
ケンカをした両方に同じ刑罰を与える法律のこと
→この法律には、2つの目的があった
・家臣のケンカを当事者の実力で解決するのではなく、全部のケンカの結果を
戦国大名の判断に任せることで、戦国大名が担当する領国の平和を
維持する狙いがあった
※喧嘩両成敗法を全国レベルで行ったのが、豊臣秀吉の惣無事令だった
・戦国大名に権力があることを見せつける狙いがあった
・戦国大名は、自分が征服した土地で、検地(土地の調査)を行うことがあった
→この検地によって、検地帳に農民の土地面積と年貢の量などが登録された
=そのため、戦国大名は農民に対しての直接支配が強くなった
※検地には、2種類あった
・領主が、自分の支配している土地の面積や収入の額を自己申告させる
・名主に、自分が耕作している土地の面積や収入の額を自己申告させる
=この2つを合わせて、指出検地という
・戦国大名は、戦いなどのために武器を始めとした様々な物資の生産や調達が
大量に必要とされた
→そのため、戦国大名は自分の土地にいる商工業者をコントロールする必要があった
※多くの戦国大名は、商工業者の力を結集させることを考えた
=そのため、戦国大名は城や城下町の建設、灌漑や治水の事業、
鉱山の開発などを行った
※戦国大名は、朝鮮や明から輸入していた木綿を、兵隊の服や鉄砲の火縄などに
使ったため、木綿の需要が高まり木綿の栽培が日本で行われるようになった
=この動きが、日本人の衣服を大きく変えたと言われている
※戦国大名が鉱山を開発したことによって、精錬や採掘の技術が発展した
→そのため、金や銀の生産が高まり、甲斐の金山や石見の銀山などが有名になった
・戦国大名は、城下町を中心にして、領国を経済の区域の一つとすることを
考えている人が多かった
→そのため、経済を活発にすることを目的として様々なことを行った
・領国の中にある宿駅や伝馬などの交通の制度を整備した
・関所を廃止した
・市場を作った
→これらは、商業の取り引きを円滑に行うことを目指していたと言われている
・戦国大名は、城下町に家臣や商工業者の有力な人達を集めた
→そのため、城下町が政治・経済・文化などの中心として発達していった
※特に有名だった城下町に、以下のようなものがあった
・北条氏-小田原 ・今川氏-府中(現在の静岡県)
・上杉氏-春日山(現在の上越市) ・大内氏-山口
・大友氏-豊後府内(現在の大分市) ・島津氏-鹿児島 etc
ポイント
・戦国大名の様々な支配を押さえる
このあたりが今回のポイントです